休日の学園にて
静かで穏やかな空気の流れる校長室は、そこだけ時間が止まっているかのようだった。
普段はエルミタージュが書類に書き込みをする音か、彼の為にルルがお茶の用意をする音しか聞こえないのだが、今日は少し違っていた。
いつも書き机に向かっているエルミタージュはソファでくつろぎ、その向かいには黒髪黒眼の少年が座っている。
「どうですか、彼女は」
紅茶の香りを楽しみながら尋ねる。
「次期祈りの巫女に会ったのでしょう?」
ラインは穏やかに微笑んでいるエルミタージュを見つめる。
「リフィルの弟子とは思えない人物だ」
その答えに、エルミタージュは笑みを深くする。
嘘をつかない彼のことだ。それが全くの本音なのだろう。
「彼女は良い巫女になると思いますか?」
「それはわからない。だが今のままでは決して良い巫女とは呼べない」
「今後の努力次第だということですか?」
「そうだな」
エルミタージュは満足して頷く。
「そう言ってくれて安心しました。少なくとも良い巫女になる可能性はあると、君は思ったのですね?」
「そんなもの、誰だって可能性はあるだろう。活かせるかどうかだ」
「ワープ・セベリアの人間性は、どう思います?」
そこで、ラインは少し考えた。
「……要領はよくない。器用でもない。周りに振り回される。それにすぐ傷つく。いたって損な性質だ。巫女に向いているとは言えないな」
あまりの酷評に、エルミタージュは苦笑する。これも彼にとって全くの本心なのだから、否めない。
「では。君は彼女を護る巫女の騎士になろうと思えるでしょうか」
「…………」
ラインは目を閉じ、ソファにもたれかかった。しばらくの間静寂が校長室を包む。
「ワープ・セベリアがどうあれ」
やがてラインが静かに口を開いた。
「俺が騎士となることを、貴方とリフィルが望むなら」
エルミタージュは黒づくめの少年を、深い優しさを称えた目で見つめた。
「私たちの望みは、君が自分の意思で自らの道を決めることです」
ささやくような言葉。
ラインは思い深げにテーブルの上のティーカップを見つめる。
「俺にはまだわからない。自分の好きなように生きるというのが、どういうことなのか」
淡々とそう言うラインに、エルミタージュは思い深げな顔を向けた。
「君はワープさんのことを損な性質だと言いましたが、それは君にも当てはまりますね」
訝しげにエルミタージュを見るライン。
「君はなぜ自分を幸せにしようと思わないのでしょう」
老人の目は、まるで愛しい孫を見るような優しいものだった。
だがそのまなざしを受けても尚、ラインの表情が和らぐことはない。
「俺が、俺自身を許していないからだ」
黒の瞳はどこまでも深い。
その瞳を、エルミタージュは哀しくやるせない思いで見つめる。それでも次には笑顔を浮かべ、どこまでも優しく語りかけた。
「ワープさんは君のことを、優しい人物だと思ったみたいですよ」
「…………」
「君と彼女が、お互いに良い影響を与えてくれるのなら、それこそリフィルの思惑通りです」
紅茶のおかわりを注ぎながら、エルミタージュは穏やかに言う。
ラインはソファに身を預け、天井を見上げた。
ワープ・セベリア。
あの不安げで頼りない少女の姿が目に浮かぶ。
「あの子を守りたいと、君が思ってくれたら嬉しいのですがね」
エルミタージュはいたずらっ子のように笑う。
「ついでに授業もきちんと受けてくれたら、担任教諭の胃炎も和らぎます」
「…………」
ラインはため息をついた。
「貴方は本当に、俺に騎士候補生としての資格があると思っているのか」
「ええ思っていますよ。君は素晴らしい騎士になります」
きっぱりと言い切られ、ラインは目を瞬く。それからバツが悪そうにそっぽを向いた。
「……俺はそう思わない」
「ではそう思えるようになるまで、私は気長に待ちましょう」
穏やかに紅茶を飲み続けるエルミタージュ。その顔を睨み付けるように見つめ、ラインは深くため息をついた。