4話【回路】―― 回路図としての倭 (卑弥呼の構想と、阿知寝・与太彦の出会い)
第一章 4話:生存工学の仕様書
邪馬台国の中心、女王の居所を囲む空気は、日田の霧よりも重く、冷ややかだった。
縹色の帳が垂れ下がる奥座敷。そこには列島の秩序を司る者たちが、息を潜めて座していた。
「……日田より、阿知寝を連れて参りました」
与太彦の声が震えている。
その背後で、阿知寝は平然とした顔で立ち尽くしていた。宮中の者が眉をひそめるのも無理はない。彼は日田の泥がついたままの姿で、ろくに拝礼もせず、物珍しそうに天井の梁を眺めていたからだ。
「……阿知寝。その無礼な様は何だ」
最前列に座していた管領・阿知が、苦しげに声を絞り出した。
父と息子の、数年ぶりの再会。だが、そこには感動の余地など微塵もなかった。阿知は息子の不甲斐なさと、それ以上に彼が放つ異質な「知の毒」に、本能的な危惧を感じていた。
「よせよ、オヤジ。上辺の礼法なんて『無駄な演算』だろう? そんな暇があるなら、この部屋の換気効率の悪さを計算したほうがいい。女王様が酸欠で判断を誤っちまうぜ」
「この、不届き者が……!」
阿知が立ち上がろうとした時、帳の奥から涼やかな声が響いた。
「よい、管領。その男には、礼節ではなく『理』を求めたのだ」
卑弥呼である。
彼女の視線が帳を透かし、阿知寝を射抜いた。阿知寝は初めて、その不遜な笑みを消し、算木を一本、指先で弄んだ。
「女王様。あんたに呼び出された理由はわかってる。この国という名の『システム』が、過負荷で今にも焼き切れそうなんだろ?」
阿知寝は躊躇いなく歩み出ると、高価な畳の上に、懐から取り出した何本もの算木をぶちまけた。宮官たちが悲鳴のような声を上げるが、彼は構わず、泥だらけの手でそれを並び替えていく。
「見てな。これが今の倭国の回路図だ」
並べられた算木は、九州北部の地形、そして停滞する鉄の流れを克明に示していた。
「沿岸の豪族たちは『抵抗器』だ。流れるべき富を熱に変えて、自分たちだけが太り、末端には一滴の電流も流さない。オヤジたちがやってる『調整』なんてのは、その抵抗器をなだめて回るだけの無意味な作業だ。そんなの政治じゃねえ。ただの『設計ミス』の放置だ」
阿知寝の言葉は、鋭い刃となって居並ぶ重臣たちを切り裂いた。
「俺が提案するのは『生存工学』によるリブートだ。日田をハブとし、既存の利権をすべてバイパスして、新たな配線を引き直す。抵抗器(磐根たち)が邪魔をするなら、回路から焼き切ればいい。そうすれば、大陸からの鉄は、この列島を隅々まで走る『血流』に変わる」
静まり返る座敷の中で、阿知寝は最後に一本の算木を中央に突き立てた。
「これは賭けじゃない。最善の計算結果だ。俺に全権を預けるなら、この国を再起動してやる。……どうする、女王様?」
静寂が支配した。管領・阿知は、息子のあまりにも大胆な、しかし完璧な論理の前に言葉を失っていた。
「……面白い」
卑弥呼の声が、闇に溶けるように響いた。
「阿知寝よ。その『仕様書』、私が買い取ろう。そなたを今日より『大計使』に任ずる。国のすべての数を、そなたの算盤に委ねる」
「話が早くて助かる。じゃあ、まずはその第一歩……。この国に巣食う最大の『バグ』を掃除させてもらうぜ」
阿知寝の視線は、まだここにはいない、宰相・磐根が座るべき空席へと向けられていた。阿知寝と与太彦が退室し、緊張の余韻だけが残る広間。
だが、帳の奥では、音もなく女王の「形」がただ鎮座し続けていた。
その背後、影に徹する弟王が、手元の木簡に静かに阿知寝の登用を記録する。
(……「大計使」か。姉上の不在を埋めるプロキシ(影武者)と、この国を再構築する演算器(阿知寝)。これで、姉上が帰還するまでのシステム維持(留守居)の条件は整った)
それは感情を排した、純粋な整合性の確認であった。邪馬台国という回路は、卑弥呼という核を欠いたまま、弟王による運用の下で、阿知寝という新たなプログラムを走らせ始めたのである。
次話より、5月20日毎朝6時投稿の予定となります。よろしくお願いします。全57話の予定となります。




