4話【接触】―― 狗邪韓国「文書の壁」をハックせよ (朝鮮半島への上陸と、魏の官僚システムへの介入)
第三章 第4話:パッチの適用と『広域過所』の奪取
狗邪令・張参の執務室に、算木が弾かれる乾いた音だけが響いていた。
卓上に広げられたのは、阿知寝が導き出した「もう一つの帳簿」である。そこには張参が郡府へ隠していた、物資の横流しと賄賂の正確なログが、冷徹な数式となって並んでいた。
「……これが、お前の抱えている『不整合』の正体だ」
阿知寝は算木を一本、張参の鼻先に突きつけた。
張参は脂汗を流し、震える手で漆塗りの杯を握りしめている。もはや官僚としての威厳は剥げ落ち、システムを私物化した報いに怯える一人の「エラー」に過ぎなかった。
「このまま報告すれば、お前のOSは即座にシャットダウンされる。だが、俺は破壊を望んでいるわけじゃない。お前のその私欲という関数を組み込んだまま、システムを正常に動かす『パッチ』を当てに来たんだ」
「パッチ……? 何を言っている」
「簡単なことだ。お前が隠した欠損金を、俺たちが持ち込んだ『倭国の至宝』の等価交換としてログを書き換える。そうすれば、お前の横領は『公式な外交経費』として処理される。お前の私財は守られ、帳簿の整合性も保たれる」
阿知寝が提示したのは、倫理的な解決ではない。欲望を論理で包み隠すための、高度な「不正回避プログラム」の提供だった。
張参の目が、卑屈な輝きを取り戻す。
「……交換条件は、洛陽までの『広域過所』だな?」
「話が早い。だが、ただの過所じゃない。魏の全土……西域から長江沿岸まで、あらゆる関所を無検査で通過できる『管理者権限(特権パス)』を生成しろ。劉夏太守の印は、既にお前の手元にあるはずだ」
阿知寝は確信していた。この男なら、自分の保身のためなら公式の印章を偽造することすら厭わない。
張参は無言で立ち上がり、奥の棚から重厚な箱を取り出した。中には帯方郡太守の権威を宿した、真鍮の印が鎮座していた。
白紙の木簡に、赤い印影が次々と刻まれていく。
それは、倭国の使節団というデータが、魏の大陸全土を自由に駆け巡るための「パケット交換許可」が下りた瞬間だった。
「完了だ……。これで、お前たちは自由だ。だが忘れるな、これが発覚すれば私もお前たちも終わりだぞ」
「心配するな。俺たちはログを残さない戦い方を知っている」
阿知寝は墨の乾かぬ「広域過所」を掴み、背後の卑弥呼と与太彦に合図を送った。
都亭の外へ出ると、狗邪韓国の冷たい朝の空気が、熱を帯びた頭を冷やしてくれた。
門の前には、既に旅の準備を整えた難升米ら「陽」の使節団と、陰に潜む「実行部隊」たちが、阿知寝の戻りを待っていた。
「阿知寝、パッチの適用は成功したようね」
卑弥呼が静かに囁く。
「ああ。これで大陸という巨大な回路に、三本の『線』を同時に走らせることができる。与太彦、お前の船は準備できているか」
「当たり前だ。呉へ向かう小型の高速ノード、いつでも出港できるぜ。パルス(信号)を待ってる状態だ」
阿知寝は頷き、懐の算木を強く握りしめた。
これより、一つの巨大な「倭」というプログラムは、三つの特務ルートへと分割される。
魏の心臓部・洛陽。
技術の最前線・呉。
そして数理の源流・天竺。
「これよりデプロイを開始する。各自、任務完了まで接続を維持しろ。……倭国の未来は、この並列処理の成否にかかっている」
阿知寝の宣言と共に、八百八十八の影たちがそれぞれの方向へと動き出した。
大陸という広大な基板の上で、倭国独自のアルゴリズムが、ついにその真価を問われようとしていた。




