第三章 1話【接触】―― 狗邪韓国「文書の壁」をハックせよ (朝鮮半島への上陸と、魏の官僚システムへの介入)
第三章 第1話:文書の壁
狗邪韓国の都亭。そこは、魏の権威を物理的に形にしたような、冷たく巨大な石造りの建築物だった。
倭国の木と土の柔らかさとは対照的な、寸分の狂いもなく切り出された石材の集積。阿知寝はその回廊を歩きながら、壁面に刻まれた微細なノミの跡を指先でなぞった。
「……設計思想が違う。ここは、個人の意志が入る隙間のない、巨大な論理機械だ」
だが、その強固な機械は今、致命的な「処理遅延」を起こしていた。
使節団が到着してから数日が経過したが、洛陽への出発許可はいっこうに下りない。狗邪令・張参は、連日のように「書類の不備」や「郡府への照会待ち」という定型句を並べ立て、難升米らを応接間に留め置いていた。
「阿知寝、まだ進展はないのか。難升米殿の忍耐も限界に近いぞ」
背後から現れた与太彦が、いら立ちを隠さずに声をかける。
「焦るな。いま、この場所の『処理手順』を解析しているところだ」
阿知寝は懐から算木を取り出し、空間に文字を書くように弾いた。
「与太彦、魏には『九品官人法』という新しいOSが導入されている。人を九つの階級に分け、公文書のやり取り一つにも厳格な権限設定を求める仕組みだ。だが、この仕組みには致命的な脆弱性がある」
「バグがあるってのか?」
「ああ。情報の流れが複雑になればなるほど、その中継点にいる役人が情報を止めることができる。張参は今、わざと『血栓』を作っているんだ。俺たちを足止めすることで、自分への賄賂という名の『追加チップ』を要求しているのさ」
阿知寝の視線は、詰所に山積みされた木簡の束に注がれていた。
文書が積み上がるほど、真実はその重みの下に埋もれていく。役人の筆先一つで、正常なデータも「エラー」に書き換えられる。これが、大陸が誇る官僚機構の正体だった。
「……見えましたよ、阿知寝」
回廊の角、影の中から卑弥呼の声が響いた。
「張参の書斎。あそこに積み上げられた帳簿の束……。入り口の警備記録と、裏口から運び出される物資の量に、わずかな『計算違い』が生じています」
卑弥呼のセンサーは、文書の山の中に潜む、張参の私的な「不正ログ」を正確にキャプチャしていた。
「なるほど。公式な文書をハックするには、その裏にある『非公式なデータ』を突きつけるのが一番効率的だ」
阿知寝の口元が、わずかに吊り上がる。
「壁が厚ければ厚いほど、その隙間に生じたヒビは致命的になる。与太彦、準備しろ。これから俺たちが、この都亭のシステムに『パッチ』を当ててやる」
阿知寝は算木を強く弾いた。
彼らが直面しているのは、物理的な国境ではない。大陸を支配する「文書」という名の、目に見えない強固なファイアウォール。
倭国のエンジニアたちは今、その最深部へとコードを送り込もうとしていた。




