5話【脈動】―― 列島共生圏(アーキペラゴ・コモンズ)の再配線 (国内の利権「血栓」の排除と、弟王へのバトンタッチ)
第二章 5話:鎮護部の防壁
「……いいか。ここから先は『光』と『影』に分かれる」
対馬の入り江に停泊する大船団を背に、阿知寝は選抜された「影」の者たちを前にして低く告げた。
遣魏使の総勢は、阿知寝が計算し尽くした最適解「888人」。
だが、魏の公文書に記録され、皇帝の前に跪くのは、難升米率いる180名強の外交使節団のみである。
「残りの700名は、この瞬間から倭国の民であることを捨てろ。ある者は大陸の動乱を渡り歩く商人に、ある者は村々を回る旅の一座に、ある者は流しの橋職人に成り果てろ。魏の役人が『光』の接待にうつつを抜かしている間、お前たちは魏のインフラ、技術、そして人心という名の『ソースコード』をすべて読み取れ(コピーしろ)」
阿知寝の背後では、考工部の者たちが旅一座の派手な衣装や楽器のなかに、精緻な測量器具や工具を隠し込んでいた。彼らの目的は、魏の「大河への架橋」という高度な土木事業を修理という名目で手伝い、その設計思想を奪うことにある。
「大計使……。本当に、俺はここで終わりか」
背後から声をかけたのは、草壁猛だった。
彼の目は、これから未知の大陸へ挑む友への羨望と、それを抑え込む強い自制心に揺れていた。
「猛。お前にしかできない仕事だと言ったはずだ。この888人が大陸で『影』として散れば、公式な外交ルートは彼らを保護できなくなる。もし正体が露見し、魏の軍勢に追われたとき……公式な港ではない『裏の退路』を開けておけるのは、対馬を知り尽くしたお前しかいない」
阿知寝は草壁の分厚い肩に手を置いた。
「俺たちが大陸という巨大な演算系に潜り込んでいる間、この対馬は、俺たちの命を繋ぐ唯一の『I/Oポート』だ。ここを塞がれたら、俺たちは帰る場所を失い、倭国の再起動は失敗に終わる」
「……分かってるさ。理屈ではな」
草壁は苦笑し、腰の剣を強く握り直した。
「行け、阿知寝。お前が大陸でどんな『仕様書』を盗んでこようが、それを持ち帰るための海道は、俺が死んでも死守してやる。対馬の蛇口は、俺というファイアウォールが誰にも触れさせん」
その直後だった。
対馬の守備隊から、急を告げる狼煙が上がった。
阿知寝たちの出航準備による混乱と、警備の「隙」を突こうとした国内の反乱豪族、そして彼らと結託した半島の小勢力が、入り江の裏手から迫っていたのだ。
「来たか。阿知寝、お前は船を出せ。後ろを振り向くな」
草壁はそう言い捨てると、静かに歩き出した。
彼が率いる「鎮護部」の精鋭の多くは、すでに阿知寝の「影」として船に乗り込んでいる。今の草壁の手元には、数少ない手勢しか残っていない。
「猛!」
「案ずるな。俺一人いれば、ここは通さんと言ったはずだ」
草壁猛は、入り江に続く唯一の細道を背に、仁王立ちとなった。
迫り来る敵兵の怒号を、潮騒が飲み込んでいく。
「ここから先は、俺という『盾』の許諾が必要だ。……命の要らぬ奴から、かかってこい!」
草壁の一喝が空気を震わせた。
その背後で、阿知寝たちを乗せた「旅一座」の偽装船が、音もなく霧の向こうへと滑り出した。
光を難升米に、影を阿知寝に、そして守護を草壁に。
倭国という名の回路が、ついに大陸への「接続」を開始した。




