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第12話:天才少年のプライドをボッキリ折ってしまった

談話室は、現代の会議室というよりは貴族の密室お茶会といった趣の豪華な作りで、奥には魔法コンロも備え付けられていた。


主役は若者たちだと意識し、私はテーブルの隅に陣取った。しかしフィリアはわざわざ椅子を私の真横まで引き寄せ、腕と腕が触れ合う距離でピタリと寄り添う。斜め向かいでは、カスピアンが座ることも忘れ、黒板に図を書きながら熱弁の準備をしている。正面のコーデリアは、私にしがみつくフィリアを見て驚きつつ、どこか楽しげに目を輝かせていた。


「――早速ですが、第一章『魔法とは人と精霊の共通事象の部分体である』について、私の解釈を述べさせていただきます」


それから十分ほど、カスピアンの独壇場だった。

フィリアはこの手の話には興味を示さないかと思っていたが、私の腕に身を預けながらニコニコと聴き入っている。


「……概ねこのような解釈と考えていますが、フィリア嬢、そしてエリアス先生。ぜひ忌憚なきご意見をいただきたい」


正直、驚いた。所々曖昧な箇所はあるが、中等部一年生ということを考えれば、下手な大学生よりも遥かによくまとまっている。

「すごいね。中等部一年生とは思えない見事な要約だった。私が口を出すとただの講義になりかねない。基本は傍観者、せいぜいファシリテーターとして見守らせてもらうよ」

一歩引き、フィリアに議論のバトンを渡す。だが彼女はどこか不満げに頬を膨らませた。

「ずるい……。私には、そんなに褒めてくれないのに」

「フィリア、せっかくの機会だ。君の意見を聞かせておくれ」

促すと、彼女は小さく溜息をつき、仕方なさそうにボソボソと語り出した。


「……結論から言うと、この章で最も重要な部分への言及が不足しています。著者は後に続く論理の『言葉の定義』を厳密にしようとしていますが、肝心の『共通事象の部分体とは何か』という仮説への言及が、極めて曖昧です」


容赦ない一刀両断だった。しかも、その内容は私が抱いた違和感とほぼ重なっている。

普段から彼女が私にぶつけてくる質問の濃度は、高等部の優秀な生徒を遥かに凌駕している。幼い見た目と甘えん坊な振る舞いに反して、その知性は大人びていた。


「曖昧、ですか……? 具体的に、もう少し詳しく聴かせてもらいたいな、フィリア嬢」

カスピアンの表情が一瞬、困惑と怒りで歪んだが、すぐに冷静さを取り戻し、鋭い視線でフィリアを見つめた。


「第一章の本質は、『人間がいかにして精霊に干渉すべきか』という仮説にあります。人間は感覚や記憶、倫理を『自然言語空間』に射影して一般化している。そしてこの著書の根幹には、精霊も人間と同じ言語構造を持つという仮定がある。魔法を定義するとは、人間の言語空間と精霊の言語空間の共通項――つまり『部分体』を特定すること。それが論理の出発点です」


私は心の中で深く頷いた。

「……いったん、ここまでは大丈夫でしょうか?」

フィリアはなぜかカスピアンではなく、ジャッジを求めるように私を見上げた。

「カスピアン君、ここまでは問題ないかな?」

「ええ……所々言葉が難しいですが、一旦、先に進めてください」

先ほどまでの自信は消え、彼は圧倒的な視座から語るフィリアに、自らの未熟さを突きつけられているようだった。


「では続けます。実際には人間ですら原体験は人それぞれで、解釈の差で争いさえ起きる。自然言語を用いた論理体系という構造そのものに欠陥があるんです。それは精霊側も同じで、個体差・種族差は人間より遥かに大きく、著書の仮説のように一意な射影をつくることは不可能です。だからこそ近現代の魔術は細分化された。聖女ルーティアの抱いた共通体系という理想は、現時点では一種の『夢物語』である――というのが、昨今の魔術の主流という理解です」


フィリアはこの著書の限界、さらには現代魔術の潮流にまで言及しだした。中等部一年のレベルを大きく逸脱し、大学生の期末レポートでもこれほど鋭いものは稀だろう。


「……では、君は聖女ルーティアの考えは間違っていると?」

「正しいとか間違っているという話ではありません。曖昧な前提条件から出発した論理体系は、出力される結果も曖昧になる、という話です」

「なっ……では、この本は読む価値すらないと!?」

「それも違います。むしろ……そうですね……」


フィリアは少し考え込み、私にしか聞こえない声で独り言を漏らした。

「……厳密な手続きによるマナの抽出を、精霊達(みんな)と直接行うことができれば。先生から教わった『数学』を使えば……もしかして……」

一分ほど黙り込んだ後、彼女はカスピアンに向き直った。

「失礼しました。私には有意義な本でしたが、今の私の考えをお伝えしても……たぶん、貴方にはご理解いただけない。それが正しいと思います」


「フィリア、それは流石に言い過ぎ――」

私の制止を遮るように、カスピアンが椅子を倒して立ち上がった。

「……つまり、今日の私の話の半分も理解できないような未熟者とは、話す価値もないということか……っ!」

その目には、うっすらと悔し涙が浮かんでいた。

「誰もそんなことは言っていません」

フィリアは平然としている。彼女が言葉を濁したのは、単に「まだ自分でも言語化できていない高度な何か」だったからだろう。それにしても、言い方というものがある。


「……今日は未熟な私の話を聴いていただき、感謝します。フィリア嬢。いつか、貴方と対等に話ができるようになってみせる。その時は、また時間をいただきたい。失礼する!」

カスピアンは弾かれたように部屋を飛び出していった。

「こら! カスピアン、戻りなさい!」

姉のコーデリアの声も、今の彼には届かなかった。


フィリアとカスピアンの知的水準の断絶はあまりに大きく、議論にすらならなかった。

ふと思う。カスピアンがフィリアの目線にたどり着く日は来るのか。それとも時が経つほど差は開き、フィリアは孤独を深めるのか。私を越え、私さえも彼女の言葉を理解できなくなる日も、そう遠くはないのかもしれない。


静寂の中、コーデリアが深い溜息で均衡を破った。

「この度は、愚弟が大変失礼いたしました。私からも深くお詫び申し上げます」

深々とお辞儀する姿には気品が漂う。さすが大貴族の令嬢だ。

フィリアは、なぜカスピアンが走り去ったのか、なぜ謝られているのかも分からず、首を傾げている。

「こちらこそ、フィリアが不躾な言い方をしてしまい、申し訳ありませんでした。後でカスピアン君に、私からもフォローを入れておきます」

そう言うと、フィリアは少しバツが悪そうに肩をすくめた。


「私……やっぱり、ダメでしたか……?」

しょんぼりと不安げに見上げる彼女の頭を、私は優しく撫でた。

「いや、反省点は多々あるけれど……フィリアはいつもよりずっと、ちゃんと喋れていたよ。よく頑張ったね」

コミュ症で他人とろくに話せなかった彼女が、今日はしっかり自説を述べた。それだけで、今日の面会には価値があった。

「はい! ……先生が隣にいて、先生に向かって話しているんだって思ったら、不思議と喋れました。やっぱり、先生といっしょがいいです」

嬉しそうに私の腕にしがみついてくる。


その様子を、コーデリアは目をキラキラさせて見守っていた。

「もしよろしければ、お茶を淹れ直しますわ。もう少しゆっくりしていかれませんこと?」


その後、フィリアはコーデリアから「お二人の馴れ初め」を根掘り葉掘り聞かれ、たじたじになっていた。いつもの内気な少女に戻っていたが、その表情はどこか楽しげだ。

私はお茶の香りを楽しみつつ、自然とフィリアを会話の輪に引き込んでくれるコーデリアの配慮に、心の中で感謝を捧げるのだった。

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