女王の変化④
翌週の昼下がり。
高層階のリビングは、静かな光に満ちている。
テーブルの上には、艶のある白い箱。
妻は背筋を伸ばしてソファに座っていた。
腹部に手を添えることはない。ただ、静かに呼吸している。
夫は少し離れた位置に立っている。視線は穏やかだが、口は挟まない。
控えめなノック。
佐川「失礼いたします。」
佐川が入室する。
いつもの、少し色の落ちたエプロン姿。
佐川「お呼びでしょうか、奥様。」
妻「そこに立ちなさい。」
ローテーブルの前を示す。
佐川「はい。」
数秒の沈黙。
妻が箱を指先で押し出す。
妻「開けなさい。」
佐川は戸惑いながら蓋を持ち上げる。
中を見た瞬間、息が止まる。
佐川「……新しい、制服でございますか。」
妻「ええ。」
佐川「私に。」
妻「他に誰がいるの。」
声は平坦で、揺れない。
佐川は箱の中の白いブラウスにそっと触れる。
佐川「今のものでも、まだ――」
妻「今後はこちらを着用すること。」
言葉をかぶせる。
妻「この家の使用人として、整った身なりでいなさい。」
佐川「……承知いたしました。」
佐川は深く頭を下げる。
佐川「ご配慮、感謝――」
妻「不要よ。」
間髪入れずに返す。
妻「これはあなたのためではない。」
静寂。
妻「この家のため。」
佐川はゆっくり息を飲み込む。
佐川「……かしこまりました。」
妻は続ける。
妻「サイズは確認済み。合わなければ報告しなさい。」
佐川「はい。」
妻「今、着替えてきなさい。」
佐川「ただいま、でございますね。」
妻「そう。」
佐川は箱を抱え、静かに退出する。
ドアが閉まる。
リビングに落ちる静けさ。
数分後、再びノック。
佐川「失礼いたします。」
ドアが開く。
新しい制服に身を包んだ佐川が立っている。
白いブラウスは張りがあり、
濃紺のスカートは落ち着いている。
エプロンはまだ新しく、きちんと整っている。
以前より、明らかに凛とした姿。
妻は視線をゆっくり上下させる。
妻「回って。」
佐川「……はい。」
一回転。
妻「止まりなさい。」
佐川「はい。」
数秒。
妻「問題ないわね」
短い評価。
佐川は頭を下げる。
佐川「ありがとうございます。」
妻「感謝は不要と言ったでしょう。」
佐川「……失礼いたしました。」
妻は一歩近づき、エプロンの紐を軽く直す。
妻「結び目が少し甘い。」
佐川「申し訳ございません。」
妻「次からは最初から整えて。」
佐川「はい。」
妻は距離を戻す。
妻「業務に戻って。」
佐川「承知いたしました。」
深く一礼し、佐川は静かに退出する。
ドアが閉まる。
静寂。
数秒後、妻の肩がわずかに下がる。
夫が近づく。
夫「終わったな。」
妻「ええ。」
少しの沈黙。
妻がゆっくり夫を見上げる。
妻「……ありがとう。」
夫の眉がわずかに動く。
夫「何がだ。」
妻「用意してくれたでしょう。」
夫「頼まれたからな。」
妻「それでも。」
妻の声は低く、しかし柔らかい。
妻「私ひとりでは、まだ踏み出せなかった。」
夫は静かに聞いている。
妻「形だけでも整えられたのは、あなたが動いてくれたから。」
夫「そう思うなら、それでいい。」
責める言葉も、諭す言葉もない。
ただ事実を受け止める声。
妻は小さく息を吐く。
妻「私はまだ、優しくはなれない。」
夫「無理に変わる必要はない。」
妻「ええ。」
腹部にそっと手を置く。
妻「でも、少しずつ。」
夫がその手の上に自分の手を重ねる。
夫「それで十分だ。」
妻はわずかに目を細める。
妻「あなたは、何も言わないのですね。」
夫「何を。」
妻「もっと柔らかくしろ、とか。」
夫は静かに首を振る。
夫「お前が決めることだ。」
その一言に、妻の表情がほんの少し緩む。
妻「……そう。」
窓の外の光が差し込む。
家の空気はまだ張り詰めている。
けれど、どこか整い始めている。
妻は夫の手を軽く握る。
妻「本当に、ありがとう。」
夫はそれに小さく頷くだけだった。
静かな午後だった。




