夫婦の未来④
寝室の扉が静かに開いた。
廊下の明かりの中に、夫の姿が現れる。
ネクタイは外され、表情はいつもの冷静さを取り戻しているが、どこか柔らかい。
リビングでは、佐川が最後のグラスを拭いていた。
足音に気づき、すぐに振り返る。
佐川「……旦那様」
夫「片付けは終わったか」
佐川「ほぼ、完了しております。床も拭き直しました」
夫「厨房は」
佐川「これから最終確認をいたします」
夫は数秒、室内を見渡す。
夫「そうか」
その一言に、佐川は小さく息をつく。
佐川「ありがとうございます」
夫「佐川」
佐川「はい」
夫「軽食を用意しろ」
佐川はわずかに目を上げる。
佐川「……軽食、でございますか」
夫「量は多くなくていい。温かいものを」
佐川「奥様も、召し上がりますか」
夫「ああ。俺の分も用意しろ」
短く答える。
佐川「……承知いたしました。何をご用意いたしましょうか」
夫「消化にいいものだ。胃に負担のかからないものにしろ」
佐川は一瞬だけ考える。
佐川「スープと、少量のサンドイッチではいかがでしょう」
夫「任せる」
佐川「お時間は」
夫「出来上がり次第、寝室へ持って来い」
佐川は小さく頷く。
佐川「かしこまりました」
夫は続ける。
夫「ノックは二回。返事があってから入れ」
佐川「……はい」
夫「あいつは休んでいる。音を立てるな」
佐川「承知しております」
一瞬、沈黙。
夫は低く付け加える。
夫「今日のことは、口にするな」
佐川の手が止まる。
佐川「……心得ております」
夫「余計な気遣いも不要だ」
佐川「はい」
夫「お前は、仕事だけしていればいい」
その言葉は冷静で、揺れない。
佐川「……承知いたしました」
夫は踵を返す。
数歩進んで、立ち止まる。
夫「佐川」
佐川「はい」
夫「スープは熱すぎるな」
佐川「……適温にいたします」
夫「そうしろ」
再び寝室へ向かう足音。
扉が閉まる。
リビングに静寂が戻る。
佐川はゆっくりと息を吐き、エプロンの紐を締め直す。
佐川「……軽食」
小さく呟く。
寝室の向こうでは、二人が同じ空間にいる。
自分は入れない空間。
佐川は厨房へ向かう。
鍋に火を入れる音が、静かに夜へ溶けていった。




