選択のない一夜② 〜妻の胸の内〜
夜の寝室。
大きな窓の外には、都会の灯りが静かに瞬いている。
ベッドの端に腰掛ける妻。
三十七歳。
もう若いとは言えない年齢。
けれど夫は、今も変わらず自分を選んでいる。
その事実だけが、彼女の誇りだった。
――佐川。
名前を思い浮かべるだけで、胸の奥がわずかにざらつく。
あの女の元夫。
あの男の、あの下卑た視線。
自分に向けられた侮辱。
夫は即座に動いた。
守ってくれた夫。
怒りを露わにしたのも、自分のためだった。
それが、忘れられない。
「守られる側は、私であるべき。」
佐川ではない。
佐川は、弱い。
そしてその弱さが、夫の怒りや庇護心を引き出した。
それが、許せなかった。
夫の視線が向く理由が、憎しみや責任であっても。
――他の女に向くこと自体が。
妻はゆっくり息を吐く。
誕生日のスイートルーム。
二つ目の結婚指輪。
あの日は完全に二人きり。
それで十分なはず。
それなのに、胸の奥にあるのは安心ではなく、欲だった。
もっと。
もっと夫を独占したい。
この家から、余計な女の気配を消したい。
佐川が戻らなければ。
夫はまた、私だけを見る。
また二人だけの生活になる。
使用人の気配も、廊下の足音も、
キッチンから漂う存在感も消える。
「正直に言えば……」
妻は小さく呟く。
「戻ってこなくてもいい。」
恨みがある。
佐川の元夫への嫌悪。
元妻とはいえ、関係者は許せない。
行き場がない?
働く場所がない?
それは私の責任ではない。
自分の人生の後始末くらい、自分でつけるべき。
夫が「戻るなら従順に」と言った時、
胸の奥が静かに満たされた。
ああ、やはりこの人は私と同じだ、と。
冷たい選択を、迷わずできる。
もし戻らなければ。
それはそれでいい。
二人きりの城が完成する。
もし戻るなら。
もっと低く、もっと従順に、
自分に逆らえない存在として置けばいい。
どちらに転んでも、主導権は自分にある。
妻はベッドに横たわる。
隣で眠る夫の体温を感じながら、目を閉じる。
願うのはただ一つ。
「あなたは、私だけを見ていればいい。」
佐川が戻るかどうかは、どうでもいい。
本当に欲しいのは。
夫と二人だけの、完全な世界だった。




