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猪とエルフ

 トシゾウを遣いにだし、その場に残ったサーシャはマーサの店でしばらく待っていた。小一時間待つと、トシゾウから話を聞いたタニアが店に合流した。そしてそこからも既に二時間ほど経過して今に至る。待ちはじめがランチ後のアイドルタイムくらいだったから現在の時刻は夕刻近くなり、店内には夕飯を食べにきた客が多くなってきていた。


「こない」

「きませんねー」


 わたしたちはエルフを待っているのだが。何時間この店の席を占拠しているだろうか。繁盛店の一席を何時間も占拠するとは結構な暴挙である。一回くらい城に帰ってから戻ってくるんでもよかったな。

 しかもだ。


「おなかすいてきたー」

「そろそろ夕飯時ですものね」


 まわりのテーブルは話をしている段階でも埋まり続け、すでにほぼ満席状態である。各々美味そうな匂いを漂わせるという無意識の暴力をふるってくる。

 ぐう。

 鳴る腹をそのままに、背もたれへだらんと身体を預けて天井を仰ぐ。

 まちつかれたー。ハラヘッター。


「ねーご飯にしよっか?」

「そうですね、食べながら待ちましょうか」


 背もたれから身を起こしていう。タニアもわたしの鳴る腹を察してか反対はしない。

 という事で、わたしたちは店の名物である猪肉の丸ごと煮込みとパンを注文して再び待ちに入った。今度は料理だからエルフと違って確実に来るので待つ事に問題はない。むしろこの待ち時間が絶好のスパイスとなるのだ。


「ですが賢者がエルフだったとは驚きですね」

「そうなのよ! わたしなんてこの世界にエルフがいた事自体知らなかったのよ」

「そこはわたしの教育不足でした。申し訳ありません、奥様」

「なに言ってるのよ。タニアは仕事の合間を縫ってよくわたしに貴族のマナーやらなにやら色々教えてくれたじゃない! すっごい助かったのよ。あれがなかったら曲がりなりにも公爵家で生き残れなかったし、辺境伯家でも大恥書いてたわ」

「そう言っていただけると、私も嬉しいです」


 辺境伯家では大恥をかいたとは思うが、それは感涙に咽ぶタニアに免じてご容赦いただきたい。

 涙ぐむタニアの横から猪肉の丸ごと煮込みがサーブされた。ココットから立ち上る湯気からは暴力的な香りが鼻腔を荒し回る。くはあああ。


「すぐ湿っぽくなるんだから、タニアは! わたしたちはまだ若いんだからこれからの事をこのウマいご飯と一緒に楽しみましょうよ。もう辛抱たまらん」

「そ、そうですね。変な話でマーサさんのせっかくの美味しい料理が台無しにしちゃ勿体無いですね」


 どんな愁嘆場だろうと空腹と旨い料理には敵わない。

 食おう食おう。

 そう言ってテーブルの上に供された料理に手をつけた。

 

 ココットからスプーンへ。スプーンから口内へ。口内から脳天へ。


「うめええええええええ」


 思わずのけぞりわたしとタニアは悶絶する。

 猪肉の丸ごと煮込み。

 名前の通り、猪を全て使った煮込み料理である。

 一口目はスープのベースに使用されている猪骨エキスが脳天を直撃する。荒々しい猪の牙の一撃が表現されている。その衝撃そのままによく煮込まれた肉と内臓が舌のあらゆる部分に味を伝えてくる。肉はほろほろと舌を包み、内臓はフワッとぷにっと舌の上をはねる。肉は噛まなくても舌の上を溶けて滑り、内臓は噛むたびに甘い油が染み出し、圧倒的滋味を伝えながら数度噛むといつの間にかいなくなっている。嚥下している感覚がないのが恐ろしい。そして喉をとおり抜けた後には獣臭など残さぬのがまたすごい。鼻から抜けるのは香草の爽やかな香りに包まれた動物性の甘みだけだ。それは猪肉と一緒に長時間煮込まれ形を失った野菜や香草たちの仕事だろう。見えない。でもそこにやつらはいるんだ。


「かああああああ」


 二度目の叫びそのまま、思わずエールを煽りそうになるが、今日は張り込みである。張り込みのデカが酒を飲んでいい結果に終わった試しはないので煽ったのは果実水である。


 普段ならはしたないとわたしを叱るタニアも無言でスプーンで煮込みを掻き込んでいる。やめられない止まらない。怪しいお薬でも入っているのではなかろうか。


「マーサさん! 相変わらず美味しい!」

「ありがとね、サーシャちゃん」


 店内は仕事上がりの労働者、家族連れ、冒険者など様々な人間で非常に混み合っており、ガヤガヤとしているので自然と大声で話しかける必要がある。しかし今日の要件はそう大声で話すわけにもいかない。ちょっと来てってな感じでマーサに小さくおいでおいでする。マーサも察して近寄ってきた。


 隣までやってきてわたしに頬を寄せるマーサに小声で話しかける。


「………きた?」

「まだだよ」


 失った刑事魂が一気に取り戻される。気分はサングラスに黒スーツである。


「そうか」

「でも、昨日もこれくらいの時間に来たからそろそろ来てもおかしかないよ」

「油断できないって事ね」

「そうだね。ほらまた客が入ってきた」


 マーサが指差す先にある両開きの店の入り口がカランコロンと音を鳴らして開いた。

 そこに入ってきたのはフードを被った小柄な客だった。

 入り口から入ってきたが、店内の混雑を見てとって、そのままの位置でキョロキョロと空席を探し始めた。


「これは!?」

「もしや!」


 わたしとタニアが小声でしかし興奮した声でマーサに確認する。

 マーサは入り口付近でキョロキョロしている小柄フードを確認するようにしばし見つめた後、わたしに視線を戻して小声で言った。


「ビンゴだよ!」


 フー! ビンゴおー! この世界にもビンゴーあったー!

 そしてこの時のためにわたしたちのテーブルの横は空けてあったのだ。混み合うこの時間帯、席はここしか空いていない。計画通り! そしてマーサさん店の売上を下げてしまってごめん! 補填は資産持ちの旦那さまがしてくれるわ。


「お客さん!」


 マーサが大声で呼びかけるが気づかない。


「そこの! 昨日もきたちっさいお客さん! あんただよ!」


 ここまで言われてやっと入り口付近キョロキョロとしていた客はマーサに気付き、ちっさいと言われた事を不服に思ったのかフードの下の表情を少し歪めながらマーサを見た。

 そこから隣にいるわたしに一瞬視線が振れて、同時に少し感情が揺らいだ波動が流れるがすぐに戻った。


「ほい、この席が空いてるよ! こっちに座りな!」


 ターゲットは無言で頷き、指定されたテーブルまで歩いてきて、わたしたちに背を向ける形で席に座った。後ろ姿は本当に子供のようだ。マーサが年齢を確認するのもよくわかる。


 席に着いたターゲットは小声でマーサに注文をしてフードを目深におろし話しかけるなオーラを全開にしはじめた。

 ぐふふ。そんな事をしてもあぶないタニアともっとあぶないサーシャからの追求から逃げられると思うなよ。


 まずは目の前の猪肉の丸ごと煮込みを片付けてからだ! 覚悟しておくが良い!

 わたしとタニアは猪肉の煮込みにパンを浸しながら背を向けるエルフを睨んだ。

文章ほどのもつ煮込みを作れたらどれほどいいだろう。

お読みいただきありがとうございます。

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