辺境伯と公爵令嬢
恥ずかしい失敗でワタワタとするわたしを尻目に男は部屋の扉を開き、中に進みそのままシンプルだが質の良さそうなソファにゆったりと腰を下ろした。
足を組む様がとても絵になっている。
銀色の髪、細面、スッとした鼻梁、切長な目、そこに収まるのは赤というよりは赫と表現したくなるほどの揺らめきをもった瞳。体躯はやはり細い、が、その細い身体の中にはぎっしりと肉が詰まっているのがスーツの上からでもみてとれる。
「しっかし……足、なっがぁ」
「ーーそれはどうも」
また。お漏らししてもうた。
しかしこの文官は急に偉そうになったぞ。おん? これでもこちとら公爵令嬢やぞ。相手がわたしでよかったな、ご主人には言わんといたるからはよわたしを座らせるんよ。
そんな射殺すような視線を察したのか。
「貴女もこちらにどうぞ」
文官の向かいの席に促してきた。
「失礼いたします」
今までの失態などなかったのだよ。ホホホと令嬢然とした態度でわたしはソファに腰を下ろした。
ふかふかとしたソファに思わずのけぞりそうになる背中を体幹で支える。公爵令嬢は体幹が命。凛として楚々としたふりをするにはやはりここがないと。記憶取り戻してからこっち、忌み児ながらもしっかり鍛えてきてよかった。
「長旅、お疲れ様でしたね。まずはこちらをどうぞ」
というと同時に。
先ほどまでどこにもいなかったメイドが紅茶セットを持って部屋の中に現れた。
「ありがとう」
なんてない顔して言いながらも心臓はバクバクしている。びっくりの仕掛けが多すぎるでしょうよ。なにこの城、こわい。はねる心臓を落ち着かせるために、出された紅茶にゆっくりと口をつける。
「おいしいわ」
本当に美味しい。びっくりした。うっま! なにこれうっま! タニアの紅茶よりうまい紅茶初めて飲んだわ。
わたしの賞賛にメイドは静かに頭を下げ、そのまま音もなく下がっていった。あのメイドも美人ねぇ。何だか世紀末覇者感が足りないわ。モヒカントゲ肩パッドはいつ出てくるのかしら?
「あらためて、ギネス辺境伯領へようこそ。サーシャ嬢」
「歓迎ありがとうございます。えっと……」
「ああ、そういえば名のってなかったね。私はクラーク・ギネス。ここの領主をしている」
「ん」
文官ではなかった。どおりでーー。
「いきなりソファに座ったりして、ずいぶん偉そうな文官様だとおもってたら。領主様だったとは。コネ団長とは違って偉そうにされても不快感がなかったからほうっておいたけど。なるほど領主様。聞いてた話とは全然違うわねー。タニアや世間の噂から想像してたのはもっと野獣みたいな人だったけど、随分と線が細くて見た目がいいわぁ。でもやっぱり細い割には服の下の筋肉の密度がすごそうなのよね。今度ちょっとだけ音当てて試させてもらえないかしら? ああでも夫になるのだから。服の下も……ぐふふ」
とここまで一瞬で思考しよだれをすするまでわずが数秒。
もちろん全部声に出している。
「くくっ」
対面のクラークは耐えきれず笑いをこぼす。
「あなたも公爵家から聞いていた話とは全く違う人間なようだ」
「はっ! また心をよんだのですか!?」
「いやいや。私にそんな能力はありませんよ。全部貴女が教えてくれているではありませんか」
はあああああああああああ。
さっきのを聞かれていたとあってはもうあかん。ぐふふとか言ってたし。流石に誤魔化しきれん。
「……申し訳ありませんわ。わたくし、一人の生活が長かったもので心の声が漏れでてしまう事がありまして。大変な失礼を申しました。事こうなってしまってはやはり婚約破棄になりますでしょうか?」
「いや、そんな事にはなりませんよ。こちらからお願いして来てもらっているのですから」
「は? わたくしを、ですか?」
「ええ」
「なぜ?」
「不思議ですか?」
「そうですね。こうなってしまっては取り繕っても仕方ないのでお話ししますが、わたくしは公爵家の忌み子でしてよ。トップブリーダーの名誉を傷つけ、トップブリーダーが推奨しない一族のごみです。存在は徹底的に秘され、社交界はおろか人間社会との関わりも絶たれた人もどきですよ。その存在を知り、あまつさえ輿入れするように公爵家に要請したという事ですか?」
「はい。公爵家からはそう聞いていますね」
「……大丈夫です? 頭?」
「くくっ」
どうやらわたしの言動は彼のツボであるようだ。しかしーー
「笑い事ではありませんよ」
「いえ。いえいえ。笑い事ですよ。私に面と向かって頭大丈夫か? と聞いてきた人間は初めてです。陰口でなら何度も言われた言葉ですが。こう言われた方がスッキリとするんですね」
「不調法失礼いたしました。人間社会から隔離された人もどきですゆえご容赦を」
「お気になさらず。私にとっては貴女の言葉は心地よく響くようだ。どうぞそのままで」
「そうですか? でしたら普段どおりのわたしでいきますね。心の声をお漏らしするより少しだけマシだと思うので」
しゃーなし。ソファに座った体勢を少し緩めて通常モードに移行する。
「じゃあ話を戻しますと、私の頭は大丈夫であり、大丈夫ではありません」
「なるほど、わかりません」
「今回の婚約、結婚に関していえば。全て正常な判断です。とある賢者の提言を私は受け入れ、その賢者を通じて公爵家に貴女との婚約を申し入れたのです」
「それは賢者ではなく愚者では?」
「確かに彼の方は己を賢者ではなく愚者となのっております……ご存知なのですか?」
辺境伯の視線と声音に若干の疑いの色が混ざる。確かに賢者とわたしが知己の中で公爵家のスパイとして辺境伯領に送り込まれる可能性もゼロではない。というかこんな突拍子もない話、罠だと思った方が正常であろう。
「いえ、全く。でもわたしを嫁にとれなんていう人間は愚者ですよ」
「賢者であり愚者なのかもしれませんね。でも世界は彼の方を信用しています。齢五百を超えて世界の均衡を保ち続けてきた御仁です。その方が数ヶ月前ふらりと辺境伯領を訪れたのです」
疑いは晴れないがあくまで可能性と判断されたのだろうか? 世界が信用している。いうことは辺境伯はそこまでではないと。でも世界的に信用されている賢者の言を無碍にはできない事情もあると。
「なるほど。世界が信用されている方の言には、流石に辺境伯様も逆らわないと?」
「それだけではないですね。実際彼の方には歴史上この辺境伯領を救った実績があるのです」
「はえーすごい方なのですね」
「ええ。で、単刀直入に申しますとね。その方の言葉なので婚約は成りましたが、今の所、貴女の事を誰一人として信用はしていないのです」
「でしょうね。わたしの経歴なんかいくら調べても出てこなかったでしょう?」
「ええ。我が領の諜報部隊には絶対の自信があったのですがね。貴女の存在はどう調べても出てこなかった。貴女はまるで幽霊だ。いや、幽霊でも過去の痕跡が残りますよ。流石サージェン公爵家の隠蔽工作だと感心しました」
「わたしは結構好き勝手生きてきたんですけどね。フランツ様がそれだけ必死だったという事でしょう」
ふふふ。フランツ様がわたしの隠蔽を、サイトーがサエトリアンの隠蔽をやってるからね。わたしの存在なんてどこにもないのよね。二人とも優秀だわ。まっ隠蔽された所でわたしには得も損もないんだけどね。
「で、ですね。しばらく貴女にはここで監視付きで生活してもらい、身汚い所がないかの確認をさせていただきたいと。辺境伯として判断させていただいた」
「なるほど。ごもっともな判断ですわ」
こうして監禁生活は終わり、監視生活の幕が開けた。




