悪役令嬢と小さな違和感 3
次の日、ソフィアはディルバ子爵の邸を訪れていた。
グラストーナの王女がカイザルーズの町にいると聞きつけたディルバ子爵から招待を受けたからである。
ディルバ子爵は、宿にマラナがいることには気づいているようだが、ソフィアたちがマラナを匿っていることまでは気がついていないらしい。
宿に怒鳴り込んできたディルバ子爵を追い返す際に、シリルは、グラストーナの王女が泊っているのに騒ぎを起こして責任が取れるのかと脅したらしく、そのせいでソフィアの存在が知られてしまったのだから、ディルバ子爵からの誘いを受けないわけにもいかなかった。宿に会いに来られても困るからだ。
ディルバ子爵の邸は、父である公爵の邸の隣に建てられていた。
大理石の広い玄関には、大きな壺や剥製、タヌキのような形の置物に、何が書かれているのかわからないような絵などが飾られていて、まったく統一性がない。
ソフィアとともに招かれたランドールも、玄関に入るなり唖然として立ち尽くしてしまった。
(あれよね、成金趣味? 無駄にキラキラ光ってるし、目がちかちかするわ)
執事に案内されて入ったサロンも、玄関と同じように統一感のない部屋だった。重厚なテーブルの下には豹のような毛皮が敷いてある。
メイドがティーセットを用意して下がると、ディルバ子爵が来るまで、ソフィアは落ち着かなげにきょろきょろと部屋の中を見渡した。壁に飾られている絵画も、棚に並べられている置物も、とにかく個々の主張がすさまじい。たくさんの色彩が視界に押し寄せてきて、頭痛を覚えそうになる。
(ここの絵も、あそこにある大きな海の絵以外は、何が描かれているのかわからないし)
部屋を飾る絵の中で、ひときわ大きな海の絵。有名な画家の絵なのか、高そうな額縁に収められて、部屋の壁の中央にかけられている。その絵の周りには大小さまざまな絵が並ぶが、それらはいったい何が描かれているのかわからない。ただ極彩色の絵の具を塗りたくっただけの、ソフィアには何がいいのか理解しがたいものだった。
「ねえランドール、ディルバ子爵は絵が好きなのかしらね? 玄関にも廊下にも、この部屋にも、すごくたくさんの絵が飾られているわ」
「絵というよりは落書きのようなものばかりだがな」
なるほど、ソフィアよりも芸術作品に精通しているランドールもそういうということは、本当にガラクタばかりなのだろう。
ディルバ子爵は何を気に入ってこんな絵なのか落書きなのかわからないようなものを飾っているのだろうか。
シリルによればディルバ子爵は数年前から貿易業に乗り出して、そのために船を何艘も購入したそうだ。まさか、これらの絵はその貿易で手に入れたのだろうか。もしくは貿易品として他国に売りつけるつもりなのか。どちらにしても、趣味が悪い。
「絵と言えば……」
ソフィアが壁に飾られている絵の中で、豚なのか牛なのか馬なのかよくわからない、オレンジと黄色と赤の三色をメインに描かれている意味不明な絵を眺めていると、ランドールがぽつりと口を開いた。
「ラッカが船で描いた絵だが、ヨハネスがいくつか買い取った。気に入ったものがあれば……」
「もしかして、くれるの?」
「……、ああ」
ヴォルティオ公爵家のソフィアの部屋に飾ると言いかけたランドールだったが、その前にソフィアに言葉をかぶせられて、短い沈黙ののちに小さく頷いた。そしてソフィアに気付かれないように小さく嘆息する。わかっていたことだが、今のソフィアはランドールとともにグラストーナのヴォルティオ公爵家へ帰るつもりがない。彼女はダルターノと一緒にいたいのだから。
お前は俺の妻だろう?
思わず声に出して言いたくなる。けれども夫らしいことを何一つしてこなかったランドールに、そう言ってソフィアをなじる資格はない。
今は――、先日贈った髪飾りを、ソフィアがつけてくれていることだけが救いだと喜ぶべきだろうか。
嫌いな男からの贈り物ならば身に着けないだろう。そう信じたい。
ランドールはソフィアの視線を追って、落書きのような絵画に視線を向けると、何色もの絵の具がまるで巻貝のように渦を巻いていた。
それはまるで、焦燥と不安が渦巻く自分の心の中のようだと、ランドールは思った。
ディルバ子爵の邸からの帰り道、ソフィアはランドールに海に誘われた。
沈みかけたオレンジ色の日差しが海を赤く染めて、昼間の海とはがらりと雰囲気が違う。
同じくオレンジ色に染まった砂浜には、ソフィアとランドールの二つの影が長く伸びている。
砂浜の上は歩きにくいだろうと言われて、しっかりとつながれた手に、ソフィアの胸がざわざわと小さなさざ波を立てる。
ランドールの大きな手に、指を絡み取られるようにしてつながれたソフィアの小さな手。これではまるで、恋人同士のようではないか。
「そういえば、どうしてランドールはこの町に来たの?」
ヴェルフント城で、ランソールたちは用があって出かけるとは聞いていたが、どこに行くのかは聞いていなかった。彼はこのカイザルーズの町にどんな用事があったのだろう。彼はソフィアの用事――カラナの妹であるマラナのアザラシの皮を探すという用事を手伝ってくれているが、そのせいで彼自身の用事は後回しにされているのではないだろうか。そう考えると申し訳なくなってくる。
ランドールは少しの間逡巡したように視線を落としたが、ぽつりと「セルキーの涙を探している」と答えた。
「セルキーの涙がほしいの?」
ランドールが宝石を欲しがるというのは意外だった。もしかして、彼が大切にしているソフィアの異母姉キーラへのプレゼントだろうか? ゲームの『グラストーナの雪』では、キーラはセルキーの涙を使ったイヤリングをしていたが、それはランドールからのプレゼントだったのだろうか。
ソフィアはちくりと胸が痛んだような気がしたが、それには気づかないふりをして顔を上げ、ランドールを見上げた。
「セルキーの涙だったら、わたし、持ってるわよ。いる?」
ソフィアにはカラナにもらったセルキーの涙がある。宿の荷物の中に入っているはずだ。ランドールはソフィアの用事に付き合ってくれているから、セルキーの涙が欲しいのならお礼にあげようとソフィアが言えば、ランドールは急に立ち止まり、驚いたように目を丸くした。
「……セルキーの涙を持っているのか?」
「うん、カラナにもらったのが一つあるけど……」
もっと言えば、ダルターノが海の底から拾い上げたセルキーの涙が、彼がアジトにしている孤島『楽園』の洞窟の中にたくさんある。さすがにこれはダルターノに黙って教えるわけにはいかないが。
ランドールは興奮したようにソフィアの両肩に手をおいて、彼女の肩を揺さぶった。
「よくやったソフィア!」
「あ、うん」
ランドールはよほどセルキーの涙を欲していたらしい。ソフィアは目を白黒させながら、もう一度「いる?」と聞いたら、「もちろんだ」と即答された。
そして、海岸の散歩もそこそこに、「早く宿に帰るぞ」と引きずるようにして連れ帰られる。
(変なランドール……)
ソフィアはしきりに首を傾げた。




