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悪役令嬢と三年前の真相 2

 ――必要だったからだ。……お前の命を守るためには。


 父の言葉をかみしめるように、ランドールはゆっくりと目を閉じた。

 父がある男とかわしたという、王位継承権の放棄と、永遠に領地で暮らすという二つの約束。それがランドールの命を守るためだと聞かされて、驚くと同時にいろいろなものがランドールの中でつながっていくような気がした。


 三年前。思い返せば、あの時から微かな違和感を覚えていたのだ。

 突然の隠居宣言。出席しなかったソフィアとの結婚式。何があっても領地から動こうとしない、両親。

 まるで王都を恐れているかのようだと、ランドールはなんとなく思っていた。


(……王弟である父上を、脅せるだけの人物……)


 脳裏をよぎるのは、ある女の顔だった。けれども、まだ弱い。理由が出てこない。いったい父を領地に閉じ込めた秘密とは何なのだろうか。

 ランドールは瞼を持ち上げると、父、エドリック・ヴォルティオを見やった。三年前と比べると、どこかやつれたような父の顔。朗らかだった父の表情に影が落ちたのはいつだろう。三年前、ランドールはその些細な変化を見抜けなかった。


「……父上のその『秘密』とソフィアが狙われていることに関係はありますか?」


 おそらく、死ぬまで心に秘めて逝くつもりだった父が話す気になったのは、ソフィアの件だろうとランドールは思う。ランドールの命を守るために口をつぐんだ秘密を、ランドールのために口にするのは、それしか思いつかない。

 エドリックはわずかに目を細めた。


「思っていたより冷静だな」

「父上が俺を守ろうとしたように、俺にも守るべきものができたからです」

「……そうか」


 エドリックは小さく笑って、それから順をテーブルの上のシガレットケースに手を伸ばした。普段はあまり口にしない葉巻を一本取りだすと、先端を切り落としてマッチで火をつける。

 ふわりとくゆった葉巻の香ばしい香りが、煙とともに部屋の中に広がった。


「回りくどいのは好きではないだろうから、単刀直入に言おう。おそらくだが、ソフィアの命を狙っているのはオルト公爵と王妃――いや、王妃とオルト公爵の『家族』だ」

「家族……?」


 オルト公爵は国王の従弟にあたる。けれども、王妃と血縁ではない。この二人の「家族」とはどういうことだろう。

 眉を寄せるランドールに、エドリックは、灰皿の上で葉巻を軽く叩きながら続けた。


「ヒューゴとキーラのことだ。あの二人の父親は兄上ではなくオルト公爵だ」


 ランドールは愕然と目を見開いた。



     ☆


 

 エドリック・ヴォルティオにとっての悪夢は、三年前にはじまった。

 あの日、エドリックは友人であるレヴォード公爵の邸から帰宅する途中だった。

 いつもなら妻のエカテリーナを伴って出席するのだが、今日は男同士でポーカーでもと誘いを受けており、お忍びでレヴォード公爵家を訪れた国王である兄と三人でカードゲームに興じた帰りだった。


 帰るころには昼間に一度やんだ雪が再び降りはじめて、道をうっすらと白く染めていた。空はよく晴れて、丸い月が煌々と輝いている。

 車輪が滑らないようにと、御者が安全運転で馬車を走らせ、いつもよりもゆっくりと景色が過ぎていく様子を、エドリックは寄った頭でぼんやりと見つめていた。

 外は暗いが、ぽつりぽつりと等間隔に並ぶガス灯のおかげで、かろうじて外の様子がわかる。

 それが視界をよぎったのは、曇った馬車のガラス窓を白い手袋をはめた指先でこすりつつ、歩くより少し早いほどの速度で移り行く景色を眺めていた時のことだった。


「止めてくれ!」


 エドリックは反射的に御者に向かって大声を出した。

 御者が慌てて馬を止めると、エドリックは馬車の扉を開けて外へ飛び出した。さくっと靴の下で凍り付いた雪が冷たい音を立てる。

 エドリックはさくさくと薄い雪の膜の張る道を戻り、ガス灯の明かりの影になっているわき道に入った。「それ」はわき道をほんの数歩進んだところに倒れていた。


「……どうしてこんなところに女性か」


 それは、女だった。

 黒い外套を頭からかぶって、ひゅーひゅーと失敗した口笛のような息が口元から響いている。


「大丈夫かい?」


 明らかに体調の悪そうな女性だ。エドリックはその場に足をついて、そっと女を助け起こそうとした。しかし。そのときに手袋越しに感じたぬるっとした感触にぎくりとして手を止める。

 そっと自分の手のひらに視線を落としたエドリックは息を呑んだ。


「……血」


 エドリックはハッとして、「失礼!」と声をかけて女の外套の袷を開いた。外套の下のドレスは血だらけだった。


「どうしてこんな……」


 口の中でつぶやいたエドリックは、外套の袷を広げたことで露になった女の顔に瞠目した。知った顔だったからだ。エドリックは小さく舌打ちすると、女を抱き上げて急いで馬車に戻った。

 突然女を連れてきたエドリックに御者は驚いたようだったが、エドリックの一言ではじかれたように手綱を握った。


「急いでくれ! 一刻も争う!」


 エドリックの腕の中で、女が苦し気なうめき声を漏らす。


「……どうして君がこんな目に」


 彼女は、王妃の侍女――ナズリーだった。






 邸に帰ると、エドリックは邸に常駐させている侍医を叩き起こした。

 目を白黒させてやって来た侍医は、寝かされたナズリーを見て目を見開いた。


「だ、旦那様……」

「事情は後だ! 傷がひどい。傷がひどい。特にひどいのは腹部の傷だが、背中にもいくつもの切り傷がある」


 ナズリーには申し訳ないが、傷を確かめるためにドレスは引き裂かせてもらった。エドリックは医学の心得は教養の一環で軽くかじったくらいでほとんどないが、脇腹の傷が一番ひどいことは一目瞭然だった。背中の傷は逃げようとして切り付けられたのか、大小さまざまな傷が数か所に走っている。

 侍医は同じくエドリックにたたき起こされたメイドたちに湯を沸かすように告げて、急いで止血に取りかかった。できれば焼いて血を止めたいところだが、そうすれば引き連れたような大きな跡が残し、何よりとんでもない激痛が走る。ここまで弱っているナズリーがその痛みに耐えきれるとは思えなかった。

 急いで止血剤と縫合の準備を進める横で、エドリックが真新しい布を抱えてやってくる。メイドが湯を用意すると、侍医はエドリックを部屋から追い出した。


「あなた、どうなさいましたの……?」


 エドリックが部屋の外に出されたとき、騒ぎで目が覚めたらしい妻のエカテリーナがやってきた。そして、ナズリーの血がついたエドリックの服を見て悲鳴を上げる。

 エドリックは真っ青になったエカテリーナに事情を説明すると、これ以上妻を怖がらせないために着替えることにした。

 ランドールは今日は侯爵家のダンスパーティーに、第一王女キーラのパートナーとして参加しているため、まだ戻ってはいないようだ。おそらく今夜は城に泊まるだろう。


 エドリックが着替えて戻ると、エカテリーナは心配そうに閉じられた扉を見つめていた。朦朧としていても意識があるのか、ナズリーのうめき声が扉から漏れ聞こえてくる。まるで自分が治療を受けているかのように蒼白な顔をしているエカテリーナの肩を抱いて、なだめるようにさすりながら、エドリックは黙って治療が終わるのを待った。

 やがて、侍医が疲れたような顔をして部屋から出てきた。


「出血がひどかったのでまだ安心はできませんが、ひとまず治療は終わりました。しかし、いったい誰があんなことを。女性の体に、むごいことです」


 侍医は念のために、朝までそばで待機してくれるという。エドリックも侍医とともについていようかと思ったが、エカテリーナがあまりにショックを受けている様子だったので、彼女を落ち着かせるために寝室へ向かうことにした。


「何かあれば教えてくれ」


 エドリックは妻を連れて寝室に向かうと、泣きそうな妻を寝かしつけたあとで、混乱した頭を酔わせて落ち着けようと、棚からウイスキーを取り出してグラスに半分ほど注ぎ、それを持って窓際の揺り椅子に腰を下ろした。


「……どうしてナズリーが……」


 ナズリーは妻の遠縁の子爵家の娘だ。王妃の侍女として長年勤めており、妻と出会うきっかけをくれたのもナズリーだった。忠誠心と正義感に厚い彼女は、王妃の信頼もひとしおだったはずである。その彼女が狙われたというのは、ひいては王妃に弓を射たことになる。

 エドリックは舐めるようにウイスキーを口に含んだが、ちっとも酔えそうになかった。






 ナズリーが目を覚ましたのは、それから二日後のことだった。

 傷のせいか高熱を出して、一時は危ないと思われたナズリーだったが、どうにか持ちこたえた。

 ランドールはナズリーを拾った翌日に帰宅したが、国王に呼ばれて数日間城で寝泊まりするらしい。兄がランドールを目にかけてくれるのは嬉しいが、まるで自分の息子のように呼びつけるのはやめてほしいところだ。だが、今回は逆に助かったのかもしれない。ナズリーの事件の詳細がわかるまでランドールは遠ざけておきたかったからだ。なぜなら、妙にきな臭いようなにおいがするからだ。

 エドリックがナズリーの部屋に向かうと、彼女はベッドの上に上体を起こして座っていた。まだ顔色は悪いが、侍医によると熱はだいぶ下がったらしい。


「あまり無理をしてはいけないよ」


 エドリックが声をかけると、ナズリーは泣きそうな表情を浮かべてうつむいた。


「殿下……、ご迷惑を……」

「こらこら、そんな顔をするものじゃない。君を泣かせたとわかったら妻に怒られてしまうからね」


 エドリックがわざと明るい声を出すと、ナズリーは虚を突かれたように目を丸くしてから、うっすらと微笑んだ。

 エドリックはナズリーに、どうしてあのような場所に倒れていたのかを訊きたかったが、さすがにまだ体調が万全でない彼女を問いただすのは気が引けた。

 そして、ナズリーの傷が癒え、顔色もよくなったある日。彼女が意を決したように告げたある事実で、エドリックの歯車は狂いはじめたのだ。


 鈍い音を立てて――




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