悪役令嬢と三年前の真相 3
三年前、ナズリーが王都のヴォルティオ公爵家で療養していたときのことは、ランドールもぼんやりと覚えている。
子細については聞かされていなかったが、怪我の癒えたナズリーが城へ戻らず、母の侍女として暮らすことになったことも。
もともと母はナズリーのことを気に入っていたし、ランドールはさほど疑問にも思わなかった。王妃の不興を買ったナズリーが鞭うたれたか何かで城を追われ、母が代わりに彼女を雇ったのだろうかと漠然と推測していた。
「父上が王位継承権を返上して領地へ移り住むことになった原因は、ナズリーですか」
「そうとも言えるし、そうでないともいえるね」
この件でナズリーを責めてはいけないよとエドリックは前置きした後で、葉巻の火をもみ消すと、無造作に二本目に手を伸ばした。
「ナズリーはね、ずっと秘密を抱えて生きてきたんだ。誰にも言えない、相談できない、押しつぶされそうなほどに重たい秘密をね」
「それが……、ヒューゴとキーラの出自ですか」
「そうだ」
エドリックはしゅっとマッチに火をつけると、口にくわえた葉巻に近づける。ふうと天井に向かって煙を吐き出して、そして続けた。
「ナズリーによると、オルト公爵と王妃は、王妃が兄上に嫁ぐ前から恋仲だったそうだ。兄上と結婚してからも王妃は頻繁にオルト公爵と逢瀬を重ねていたらしい。思えば、王妃は頻繁に里帰りしていたが、オルト公爵と会っていたのはその時だろう。兄上との夫婦仲が思わしくなかったせいか、王妃の里帰りについては誰も疑問を持たなかったからね。それともう一つ……、ナズリーの話を聞いて妙に納得したことがある。ヒューゴの生まれた時期だ」
「時期?」
「ヒューゴが生まれたのは、王妃が兄上に嫁いで七か月後のことだった。逆算すると、婚姻から出産までの計算が合わない。兄上と王妃は政略結婚で、婚前交渉は一切なかった。当時は早産だろうと片づけられたが、不審な点が多かったのも確かだ。ヒューゴを取り上げた助産師が三日後に急死したとかね。けれど、産後の王妃に心労を与えるべきではないと、そういった不審な点については調査はなされなかった。……そう言って捜査をさせなかったのは、オルト公爵だ」
「どうして誰も……」
「簡単なことだよ。それが『ありえないこと』だったからだ。あってはいけないことだと言い換えることもできる。すなわちそれは、王――当時は王太子だったが――に対する、反逆と、そしてその権威を貶める行為だ。誰も考えない。脳裏をよぎったとしても口にはしない。みな好き好んで、自身の家が取り潰されるのを見たくはないだろう。考え付いたとしても考えてはいけないこと――、知っているのはわずかなもののみ。こうして、この秘密は明るみに出ることもなく、勘づかれることもなかった。勘づくものがいたとしても、おそらく秘密裏に消されていたのだろう。ほかならぬ、オルト公爵と王妃によってね」
父の吐き出す紫煙で、ランドールの目に映る父の顔がわずかに歪む。
ランドールは膝の上で拳を握り締めた。こんな反逆があるだろうか。百歩譲って、ヒューゴのことは仕方がないかもしれない。若気の至りで――、許されはしないだろうが、まだ飲み込むことができる。けれども、キーラまで「そう」だというのならば、王妃がオルト公爵との関係を今日まで続けていたというのならば、これが反逆でないと言い切れるだろうか。
「ナズリーも、この秘密を知る一人だった。長年自責の念に駆られ続けた彼女は、三年前、どうしてもその秘密に耐えきれなくなった。そうして彼女は、下手をすれば自分の首が飛ぶことも覚悟の上で国王に秘密を告げようとしたらしい。けれどもその前に王妃に知られて殺されそうになり、命からがら逃げてきたところに私が通りかかったと言うわけだ」
「それで、父上は――」
エドリックは薄く自嘲した。
「私も愚かだった。ナズリーからその話を聞かされた時に、私は私が彼らを糾弾すればすべてが片付くとどこか高をくくっていたんだ。結果はこの通り。オルト公爵に逆に脅され、王位継承権を返上して領地へ閉じこもった。それが、オルト公爵からお前と、そしてエカテリーナの命を守るために必要だったからだ。そういう、約束だったんだ。オルト公爵とのね」
正義と家族を天秤にかけて、エドリックは家族を取った。自分さえ口をつぐめば、自分さえ王都へ戻らなければ、愛する息子が傷つけられることはない。エドリックは脅されたが、逆を言えば、彼はオルト公爵の弱みも握っていた。オルト公爵はランドールを傷つけられないだろう。ランドールを傷つければ、その時は自分の罪が明るみに出るときたからだ。
「これが三年前の真相だ」
エドリックは二本目の葉巻を灰皿の上でもみ消すと、部屋の換気をするために立ち上がった。わずかばかり窓を開けて、そこから入り込む冷気に目を細める。
暖炉の炎で熱せられた室内に、ひんやりとした風が舞い込んだ。
ランドールは窓際に立ったまま、息子に背を向ける父を見つめる。
「……軽蔑したかい?」
やがて、父が絞り出すように言った。
ランドールはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ」
ランドールは立ち上がり、黙って父の横に立った。
「……三年前、俺を守ろうとしてくれて、ありがとうございます」
はらはらと雪の舞う窓外に視線を向けたまま告げると、ふっと父が小さく笑ったような気がした。まるで体の力がふっと抜けたような吐息だと思った。
父はきっと、この三年間、悩み続けてきたのだろうと思った。家族を守ることを選択した父は、けれども結果としてもう一人の家族である兄を裏切り続けたことになる。それを後悔しないような父ではない。苦しまないような父ではない。
「父上のおかげで、ようやく今回のことに答えが出た気がします」
「というと?」
ランドールは窓ガラスに映った父の顔を見た。
「おかしいと思ったんです。ソフィアを狙っているのは、実はキーラだと思っていました。いえ、キーラもそうなのかもしれない。けれどもキーラが単独で行動するには、少々妙だったんです。キーラは自分の身の回りの人間――例えば侍女を使うことには慣れているでしょう。けれども知らない他人を使うことには慣れていないし、おそらくキーラ一人ではその可能性にもたどり着かないはずだ。その彼女がもしもソフィアを狙ったのであれば、キーラの単独犯ではない。それから、キーラは本当にソフィアが疎ましいのかもしれないけれど、命を狙うほどの理由が思いつかなかった。目の前にソフィアがいるのが気に入らないなら、俺と結婚したことで彼女の願いはかなったはずだ。けれども俺と結婚したことで、ソフィアは命を狙われるようになった。なぜか? ……それは、結婚相手が俺だったからです」
父は黙って聞いていたが、ランドールの言葉を否定しなかった。きっと、父の頭にもその「可能性」がよぎっているはずだ。あるから、父はランドールに三年前の秘密を明かすことにした。このままでは真実ソフィアが危ないとわかっているから。
「父上が王位継承権を放棄したことで、俺の王位継承権は現在二位。王女であるソフィアと結婚したことで、二位である俺は限りなくヒューゴを脅かす存在になった。そして父上が話してくれたことが真実であれば、ヒューゴは王の息子ではない。その秘密が明るみに出た暁には、ヒューゴは王になれない」
「秘密が明るみに出なくとも、ソフィアと結婚したお前が王になる可能性がある。ヒューゴを王位につけたくとも、兄上はまだヒューゴを王太子にしておらず、オルト公爵たちはこう勘繰るだろう。もしかして、ランドールを王にするつもりではないか? しかしお前は、私との約束がある限り消すことはできない。ならば狙うのは、――ソフィアだ」
ランドールはぎりっと奥歯をかみしめた。
「俺は王位に興味はありません」
「……そうだとしても、彼らはそう思わない。そして――」
エドリックはそっと目を伏せた。
「私はヒューゴに王になってほしくない。……言いたいことは、わかるね?」
ランドールははじかれたように父の横顔を見た。
「この秘密が明るみになるとき、お前は、もう一つの覚悟を決めなくてはならない」
ランドールは瞠目して、しばらく何も言えずに立ち尽くした。




