第八話
魔族とははるか昔、神話の時代に人族と共に生まれた種族。その姿は人族とさほど変わらず、言われなければ分からないほど。ただ、人族と決定的に違うのは、その膂力と内包する魔力の量だけである。神話の時代には共存していた人族と魔族。その二種族の間に何があれば戦争などという虚しいものが起こり得るのか。それを知る者はいない。
氷の結晶が、頂点から少し落ちた陽の光を浴びて舞い散る中、私はただ一人森の中で佇んでいた。
「……いや、一人ではないか。そこにいるのだろう? 出てこいターカー」
私の真後ろにある草むらに声をかける。そこから、草をかき分けて予想通り、ターカーがその姿を現した。
「さすがは若。いつから気付いておられたので?」
「ふん、そんなもの最初からに決まっておろう。確信に変わったのは隠蔽結界を展開した時だがな」
どこのどいつかは分からないが、村を出た直後から誰かの視線は感じていた。
「なるほど、やはり次代の魔王様は若以外には――」
「私は魔王にはならん。あの頃から言っているだろう、私は面倒事が嫌いだ」
「ではなぜ今回の依頼を? この依頼、どう考えても戦争が裏に見えているのは明白。それなのにどうして……」
「ターカー、お前はソノマ村の特産を知っているか?」
私からのこれまでの話に関係のない質問に、若干眉をしかめるターカー。そこは表情をもう少し隠せないものか、一応お前の主の息子だぞ。
「ソノマ村の特産がどうしたというのです! それが、若が今回の依頼を受けた理由に関係しているとでも――」
「関係どころか、それが今回の依頼を受けた最大の理由だ」
わけがわからないという顔をしているターカーに懇切丁寧に、一から説明してやる。
「ソノマ村の特産物はいくつかあるのだがその中でも、ここでしか作られていない、いや育てられていないものがある。それがツムガリだ。この村にきて一番にツムガリを使った代表的な料理である【ツムガリの丸焼き】を食べてみたが、普段『晴れのち晴れ』で食べる【丸焼き】のほうが格段にうまかった。」
「それがどうしたというのです!」
「……ツムガリの養鶏場はこの森の付近にしかないのだ。それも各地方で最高級のツムガリを卸すと称賛される養鶏場ばかり」
なぜこの森の周りばかりに集まっているのか、少し気になった。とある養鶏場の主に市場に話を回さないという約束の下、秘密を聞き出すことに成功したのだ。
「そ、その秘密とは?」
「この森の中には、木魚という魔物がいる。こいつの骨を餌に混ぜているんだそうだ、高品質のツムガリを卸している養鶏場のみがな」
ちなみに鬼怒熊の主食は魚だ。
「意味が分かったか? ちなみに私はうまいものが好きだ。それは知っているよな?」
「……まさか木魚が鬼怒熊に食べつくされると、質の悪いツムガリしか食べられなくなるから、だから、この依頼を受けたというのですか? そんな理由で?」
「そんな理由とはなんだ。これは死活問題だぞ。美味い飯があるからこそ常日頃の依頼をこなせるのだ。それがなければやっては行けぬ」
「……は、ははっ、さすがは若ですな。自分の欲を優先した、ということにして民の平穏を守ったということですね」
「いや、そういう事ではなく――」
「みなまで言わずとも、このターカーは分かっております」
分かっていないと思ったから反論しようとしたのだが。
「そんな若であるなら、かならずや善き王になると思うのですがね」
「何が“善き王”だ。そんなものなどそこらのネズミにでもくれてやれ。私は今の生活で十分だ」
そういえばこの依頼の裏がどうのと言っていたな。話すかはわからんが聞いてみないことには始まらん。
「それで、お前は今回の事に関してどこまで知っている? 真相はどうでもいい、魔族が関与しているか、それだけ教えろ」
皇国が関わっていても私には関係がない。そんなものはどこかの小娘にでも任せる。
「私はガゾーマ様の命により今回の国境における事件を調べていただけですよ」
「……なんだ、お前が今回の事件の黒幕かとも思っていたのだがな」
「やめてください、私にそんな度胸も度量もありません。できるのはガゾーマ様の知りたい情報を各地から集めることだけですから」
度胸と度量はなくとも、それだけの要領は持ち合わせているという事なのだがな。
「つまり今回の事件、魔族の関連は――」
「ガゾーマ様配下の関与はございません。ただ、どうやら魔族の関与を疑われたあの魔族軍を象徴するエンブレムの施された剣。あれは前回の戦争の際に将軍が失ったものだと判明しました」
「その情報は余計だ。魔族の関連がないのであればそれ以上の報告はいらん。これ以上私を巻き込もうとするんじゃない」
「ですが――」
「私はもう帰るぞ。ああ、その資料は私に渡してもらおう。どこかの馬鹿が欲しがるかもしれないのでな」
ターカーから長期間調査していたであろう、今回の件の資料をひったくると、踵を二回鳴らす。地面から魔法陣が広がり、私を包む。
「ああ、若! 若への伝言で前回忘れていたことがありまして」
なんだというのだ。もう〈転移陣〉は発動している。
「手短に頼むぞ」
「はい。では、妹様が近々テックにいらっしゃるそうです」
「は?」
ターカーに詳細を問いただそうとしたが、敢え無く時間切れで森の入り口付近へ転移してしまった。
「ちょっと待て、あいつが来るのか? 私が向かうのではなく?」
「あれ、バラド? なぜここに? って、聞こえている?」
「厄介ごとを連れてくることだけは勘弁してもらいたいが、無理だろうなぁ」
「ほ、本当に聞こえてないのか?」
何も起こらないといいのだがな。……ん?
「む、エルネスではないか。いつの間に」
「さっきからずっといたわよ!」
なぜか涙目のエルネスに怒鳴られた。意味が分からん。
「何をそんなにカリカリしている。カルシウムが足りておらんな? ほれ、これを食べるといい」
そう言って、ローブの裏に引っかかっている小さな保存食用のポーチから、木魚の干物を手渡す。
「むぅ、ん、……これは?」
どうやらエルネスは木魚の干物を食べたことがないらしい。もったいない。
「これはこの森に生息する木魚の干物だ」
「へぇ~」
そう言ってもきゅもきゅと食べ始めるエルネス。そうしていると普通の女の子に見えてくるから不思議だ。
「って、そうだ! 魔獣の調査は? その感じだと、明日に討ば――」
「もう終わった」
「へ?」
「だから、もう終わったと言っている」
何を呆けることがある。先に言っておいたではないか、私は今日中に仕留めるから情報はいらない、とな。
「え、だって魔獣二体だよね?」
「そうだな、しかも二体ともに新種だったな」
その言葉に乙女がしてはいけない顔になっているエルネス。
「し、新種? それを、この短時間で……?」
特に聞くこともないので手に持った資料をエルネスに渡す。
「ほれ、その資料は私のとある伝手を使って集めさせた情報だ。その情報を王国が有効に使うことを切に願うよ」
そう言って、踵を二回鳴らす。またも私を包み込む魔法陣。
「なかなかに楽しめた。また会おう。――跳躍、目標地点・マーカー02、〈転移陣〉起動!」
「ちょっ、あたしを置いて――」
彼女は何かを言っていたようだが、転移の光に包まれた私に続く言葉は聞こえなかった。