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十八話目~勝機~

 襲い来る爆風と砂塵から顔を守りつつ、俺はアスモの名を呼んだ。けれど、返答はない。

 あれは直撃コースだった。とすれば、彼女はやはり殺されてしまったのだろう。

 その時、俺の胸中でふつふつと熱いものがこみ上げてきた。おそらく、これは怒りに近い感覚だと思う。俺は拳を握りしめながら前方を睨みつける。

 そこにはベルゼブブの姿。彼は楽しそうに笑いながら槌を肩に担いでいた。

「やあ、君かい。残念だけど、見てごらん」

 彼が指差した先には巨大なクレーターと、そこに残る血痕。おそらく、アスモのものだ。

 こいつは、誰かを殺したと言う様に笑っている。それが無性に腹が立つ。

「ん? なんだい? もしかして怒っているのかい?」

「当然だろうが!」

 俺が吠えた直後、ベルゼブブが人外じみた跳躍を持って俺の懐までもぐりこみその巨椀を振りかざした。だが、俺はすんでのところで横っ飛びに回避し、事なきを得る。だが、ベルゼブブは依然としてげらげらと笑っていた。

「よく躱したね。でも、次はどうかな?」

 ベルゼブブは言って、肩に担いでいた健吾を下ろす。もうアスモという驚異がいないからだろう。健吾はまだ幻覚にかかっているようだったが、構わないといった感じだった。

 身軽になった彼はトントンとその場でステップを踏み、槌を振りかぶり、一層体を肥大化させる。アスモを葬った時の倍以上になった彼は、まさしく異形だった。

 しかし彼はすぐに攻撃してこない。しきりに周囲の木や校庭にあるフェンスなどを槌で破壊していく。きっと、その体に見合うだけの武器を作るためだ。その証拠に、槌は徐々に巨大になってきている。気づけば、すでに元の十倍以上の大きさになっていた。

 あの状態で、どうする?

 力で押し切る? 無理だ。体格差と力量差がありすぎる。

 ならば、逃げるか? 無理だ。仮に身体能力を強化したとしても逃げ切れる保証はない。あの巨大さだ。確かに鈍重にはなっているが、攻撃範囲が広い。一歩でも見誤ったら、その段階で終わりだ。

 なら、どうする!?

 考えろ考えろ考えろ! さもなければ、殺される!

 死にたくない。まだこんなところで終わりたくない。生き残りたい。

 何か勝つ術はないか? あいつに立ち向かう術は? 何でもいい。何でも……。

 と、その時突然ベルゼブブが咆哮を上げた。見れば、すでに槌は彼の巨体に見合うだけのサイズとなっており、最初とは比べ物にならないものになっていた。

 彼はまるで雷鳴のような笑い声を上げる。

「さて、これからどうされたい? アスモデウスと同じように潰されたいかな?」

「ごめんだな。お前に殺される気はさらさらない」

「あっそ。でも、殺すよ!」

 刹那、巨大な槌が迫る。俺は瞬間的に手甲に力を込めて一瞬でその場を離脱した。先ほどまで俺がいた場所を槌が破壊し、その衝撃の余波が来る。が、それに目を瞑る間もなく横なぎに槌が振るわれた。

 俺は地面にピッタリと張り付いてそれを回避する。頭の上ギリギリを槌が掠めていった。空振りだったというのにその衝撃波だけで俺の体は破壊されそうになる。

 が、俺はすぐさま立ち上がり走り出す。

 勝機は、ある。

 それは、あいつがその巨体に慣れていないということだ。

 これまでは人間サイズだったから精密な攻撃もできていたものの、急に大きくなり、それにつれて槌も巨大化してしまったせいで距離感が狂っている。

 これならば、十分に勝機はある。

「ああ、もうちょこまかと!」

 モグラたたきで苛立つ子供のようにがむしゃらに槌を振り下ろすベルゼブブ。俺はそれを全て紙一重で躱していた。

「全く、アスモデウスのパートナーだけあってしぶといね! マモンを倒したのは伊達じゃなかったわけだ!」

「――ッ!」

 マモン。その名を聞いて思わず俺の足が止まる。

 そうだ。俺はあいつの能力の一部を受け継いでいた。

 だが、それは誘引。仮にあの槌を誘引したところで自分が死ぬだけだ。

 と、舌打ちをしたところで槌が俺の方に振り下ろされていることにようやく気付く。俺は手甲に力を込めてその場を何とか離脱――したが、割れた地面の破片が弾丸のごとき速度で俺の背中に直撃した。

 俺は肺の中の空気をすべて吐き出しつつ地面を転がる。アバラが逝ったのか、熱い感覚が胸の周辺で渦巻いていた。口内は砂利で切ってしまったらしく血が溜まっている。

 俺は立ち上がり、すぐに走り出す。

 が、数歩歩いたところでがっくりと膝を追ってしまう。

 何事かと足元を見れば、右足があらぬ方向を向いていた。

 これでは、走れない。逃げられない。

 俺はキッとベルゼブブを睨みつける。奴はこっちが動けないとわかると心底おかしそうに俺の方をジロジロと眺めていた。

「おやおや? もう鬼ごっこはお仕舞かな?」

「……ああ、そうみたいだな」

 俺がそう言うと、奴はこちらが諦めたのかと思ったらしく哄笑を上げ始めた。だが、それこそが命取りだ。

 奴は俺たちに対して能力を隠していた。だが、能力を隠していたのは俺たちも同じ。

 まだ完全に制御できたわけではない。だが、やるだけやってやる。

 俺はベルゼブブにばれない様にそっと右手を健吾の方に向ける。奴はまだ幻覚にかかっており、微動だにしていなかった。

 移動していたら難しかったかもしれない。でも、今のあいつは壺と一緒だ。そう思えばいい。俺はアスモに習ったように右手の指先に精神を集中させる。だが、距離が遠いせいか、それとも俺が単に不慣れなせいか、能力が上手く発現しない。

 額に脂汗が浮かんでくる。ここで決めなければ殺される。

 頼む。今だけでもいい。だから、早く!

 俺は必死に力を込めていた。だが、全くと言っていいほどうまくいかない。

 ぶっつけ本番はやはり無理――いや、ダメだ。ここでやらなくていつやるというのだ。

 けれど、そんな俺の思いとは裏腹に、ベルゼブブは巨大な槌を思い切り振りかぶった。もちろん、狙いは俺である。

 どっと汗が噴き出る。死が間近に迫ってくる。

 頼む頼む頼む頼む――ッ!

 死にたくない。死にたくない!

「それじゃあね、バイバイ!」

「クッソオオオオオオッ!」

 槌が迫ってくる。体はもう動かない。俺は半射的にグッと目を瞑った。

 これで――詰みか。

 存外早い終りだった。

 俺はそっと目を閉じ、襲い来る衝撃に備えたが――不思議なことに、それはいつまでたっても訪れなかった。

 不思議に思って目を開けると、すぐにその理由が理解できた。

 ――健吾が、ほんのわずかだけ、槌の攻撃圏内に入っているのである。ということは、俺の能力が土壇場で働いたということだ。

 本当にギリギリで、引き寄せた距離としては数メートルほどだろう。しかしそれは大きな数メートルだった。

 ベルゼブブがそれに気づいていたかはわからない。だが、今確実に攻撃は止んでいる。

 俺はもう一度引き寄せる。すると、ズズッと何かを引きずるような音と共に健吾の体が寄ってきた。彼はまだ幻覚から抜け出せていない。殺すのはたやすいことだ。

 それに、幻覚とは夢を見ているようなものだろう。なら、痛みも感じないのではないだろうか?

「ま、まずい!」

 流石に異変に気付いたのか、上空からそんな声がかかり、槌が上から退けられ、ベルゼブブは体を収縮させ始めた。その巨体ではどう頑張っても健吾まで殺してしまうからだ。

 けれど、変身には相当の時間がかかっている。なら、これが好機だ。

 俺は健吾の体を引き寄せつつ、右手の手甲を構える。すると、爪の部分から鋭利な刃物が勢いよく飛び出てきた。

 よかった。これならば、首を掻き切れる。いつまでも殴り続ける必要はない。

 気が付けば俺と健吾の距離は一メートルになっていた。ベルゼブブの体はまだ収縮の段階だ。けれど、彼は必死に叫ぶ。

「ま、待って! ほら、僕たちを殺したらサタンが君を狙うよ!? それに、もし生かしてくれたら君たちと同盟を組んであげてもいい!」

「知るかよ。お前はアスモを殺した。だからもう慈悲はない!」

 俺は宙に手を伸ばしている健吾の首を、容赦なく爪で掻き切った。直後、傷口から水が噴水のように噴出する。それは俺の顔や体にまともにかかった。

 明らかに致死量だ。健吾は陸に上がった魚のようにぱくぱくと口を開閉させ、それからぐったりと横たわる。すでにその目からは光が消えていた。

「う、嘘だろう……? 何故、僕たちが……」

 ベルゼブブが慟哭する。だが、俺は堂々と言ってやった。

「馬鹿な奴だ。最後で、変な余裕を出さなければ勝てていたはずなのに。お前は、勝利を確信した。してしまった。それこそが敗因だ」

「そんな……しかし、最後の能力は……」

「知る必要はない。お前はもうこのゲームから退場なんだから」

「クソ……クソ……僕たちは勝ち残らなければいけなかったのに」

「知るかよ、クソ野郎。とっとと地獄に帰れ」

 ベルゼブブは最後まで慟哭しながら光の粒子となって消えていった。それと同時、

『そこまで。脱落者――暴食』

 その言葉とともに、俺は本拠地である保健室へと飛ばされた。だが、妙な静けさに満ちている。

 何故なら、そう。彼女は――

「孝臣?」

「――ッ!?」

 思わず周囲を見渡す。けれど、誰もいない。だとすれば、今のは幻聴か?

「孝臣?」

 いや、違う。間違いなく聞こえた。

 俺は声の聞こえた方――ベッドによってカーテンを開ける。するとそこにはアスモの姿があった。いつも通りの姿で、ぐちゃぐちゃのミンチになんかなっていない。

「孝臣。勝ったんだね」

「お前、何で?」

「わからない。死んだと思ったら、気づいた時にはここにいたんだ」

 まあ、この際理屈は良い。こいつが生きてくれていただけで十分だ。

 俺は涙を流しながら彼女の体を抱きしめる。すると彼女は俺の背中をポンポンと叩き、

「ありがとう。私のために泣いてくれて」

 そう、告げるのだった。


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