第十一話 ごめん、高崎くん
何だか、朝からドジを踏んでばかりだ。起きる時はベットから転がり落ちて、階段を降りる時はつまづいて三途川が見えかけて、家を出る時に至っては靴を右足と左足とで履き間違える始末。
至っては、なんて言ってみたけれど、よく考えてみると他の二つに比べて靴を履き間違える程度で済んでいるのだから、むしろ階段の件に、至っては、と付けるべきだったのだろうか。
何はともあれ、熾烈な朝を生き抜いての通学路、太陽の包み込むような温かさに慰められているような感覚を噛み締めながらの道……とは、いかなかった。
まあ、あんなことがあったし。
「……」
自分は、割と独り言の多い質だ。多分、一人での登校による寂しさとか、そんなのが積もりに積もっての悪癖なのだろう。これまでに何度か治療を試みさえしたものの、その“試みた”という話題一つで三十分独り言ちたという過去がある程の筋金入りの悪癖だ。
治療って言ってもどうやったら治るんだろうか、吃逆の止め方とかならまだしも独り言の止め方なんて聞いたことない、でもこれが治らないと周りから変な目を向けられるからなあ、現状的にも将来的にもこの癖は色々邪魔だし、あ、将来といえば晃雄も京助もこれからのゲームの方向性はどうするんだろうか、格闘系か、はたまたRPGか――とか、なんとか。
でも、そんな悪癖は現在顔を出していない。むしろ、悪癖の事を思い出すと何故だか悪癖はみるみると形を潜めていく。
いや、何故だか、なんて白々しい。
さっきの回想に、西野が出てきたからに決まっている。
あの、クズ野郎……。
いつもの調子なら独り言で出てきてしまうその言葉を胸で呟けたのは、この人の多い通学路では、喜ばしい事だったのかもしれない。
◆◆◆
今日は、いつにも増して虐めの頻度が凄まじい。普段なら一日に一度あるか無いかの程度なのだが、今日のはひと味もふた味もさん味も違う。
「ぐはっ」
ただ今俺はそんないつもと違う虐めのさん味目を体に刻み付けられていた。
そうだな、それぞれの味にどれだけ違うか、という項目をつけるのであれば、ひと味目は内容、ふた味目は頻度、さん味目は暴力の有無、といったところか。
本日全ての恨み辛みが、俺に注がれているらしい。そんな日に、生徒からの反感を買いまくっている事で有名な永沢真という教諭の授業なんて、勘弁してほしい。
そんなこんなな事を殴られながら呑気に思っていると、廊下に人影を見た。
七美……いや、三ツ橋だ。
「あっ……」
「オラッ! 何とか言えよこのクソオタク野郎がっ!!」
「あうっ、つっ」
殴っている奴らは向こうの人影に気付きそうもない。癪だがあいつの性格なら多分――
「何やってるの!?」
「な、何って、こいつがウザイから――」
「馬鹿じゃないの!? そんなこと早くやめてよ!!」
「……っち、はいはい分かりましたよっと」
だろうな、こうなるだろうとは思ってた。
流石に女子を突き飛ばすのは気が引けたのか、俺に暴行を加えていた連中は足早に去っていく。
……何故、助けた。
「大丈夫!? ひどい怪我……」
「触んじゃねぇよ!!」
「!!」
三ツ橋が怯えたように身を竦ませ、こちらを悲痛に濡れた瞳で見据えてくる。どこかの誰かさんにこの表情を見せればときめきでもするだろうが、生憎俺はそのどこかの誰かさんの内には入っていない。
俺はもう、お前と目も合わせたくない。
昨日、西野が犯人だと分かって。
俺が理由を訊いたら、あいつ、「何も変わって欲しくなかったんだ」なんて嬉々として語り出しやがって。
そんなので俺はまた地獄の学級委員になった、ならされたのかと憤慨して。
こいつは、西野の肩を持った。
京ちゃんは悪くないだの、そういうことなら仕方ないだの、ひろちゃんも許してあげてだの、なんだの。
俺は絶望した、ああ絶望した!
西野は俺を虐めて楽しんでいたんだと。
七美は恋の前にはただの傀儡に過ぎないんだと。
所詮俺の友人関係なんて、その程度だったんだと。
「お前を目に入れるくらいだったら、殴られてる方がマシなんだよ……」
ありったけの憎悪がその一言に乗って、その場を重く沈める。そんな雰囲気に当てられてか、目の前の人物はこんな事を口にした。
「……ごめん、高崎くん」
そうだ、それでいい。さっきから耳障りだったんだよ、その呼び方。
俺達は、いや、俺と三ツ橋さんとやらはそれ以降何も言葉を交わすことなくその場を離れた。
何となく、もう会わなくていい気がした。
◆◆◆
二時間目、三時間目、四時間目。その休憩時間毎に暴行を受け続け、とどめに掃除のゴミの塵取の役を押し付けられたりした。
最後のは普段の俺なら、またか、と何処吹く風だったのだろうが、今の俺には効果絶大だった。
悪癖が、覚醒する程には。
「そうだよな、俺が悪いんだよ。『あいつ疲れてんだな』とか誰か思ってくれるだろって仮定した俺が間違ってたんだよ。ましてや思ってくれたところでその人が俺を手伝ってくれるとか何考えてんだろ俺傲慢過ぎだろこんなクズでカスで道を往くアリンコよりも価値のない俺なんかが天上人であらせられるお方々に手伝ってもらおうとかましてや声をかけてもらおうだなんて本当俺何様のつもりなんだろうな天上人様様は同士で茶を酌み交わすのに大忙しでただでさえストレス溜まりっぱなしでいるのにこんな雑用係もかくやという下っ端の仕事なんか手伝ってたらお茶持つ手が腐っちゃいますよね汚れちゃいますよね俺ってば優しい性格だと思ってたのになあそんな事にも気を配れなかったのかしかも目上の人々方々様様だぞ俺失礼にも程があるだろ被害者ヅラして優しさ語ってんじゃねえぞこの偽善者が何が『哀れなる私めをお助けください』だ隅っこでゴキブリの如く嫌われながらこそこそ生き長らえてりゃ良いんだよいやそもそもゴキブリの如くじゃなくてゴキブリそのものだろうがこんな顔とか頬とか手とか埃で真っ黒に染め上げられてゴキブリになってんじゃねえか踏み潰されて死ねばいいのに埃被った俺に誇りなんて欠片も無いんだよ今まであると思ってたのかそうか馬鹿だな俺は自分で自分を嫌いになっちゃいそうだよそのまま自己嫌悪で死ねよ死んじまえよ誰かに大切にされてるとか考えるだけで烏滸がましいゴキブリなんて大切にするキモオタと天上人様を一瞬でも重ねてしまった自分が憎くて憎くて恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ねぇよ俺には存在価値なんてねぇんだよ価値なんて見る目もないしさあれどうしたのまだ俺の心の中でそんなことないとかほざいてんのかいいだろう根拠を挙げてみろよあるかねーだろ分かったかこの――」
効果、絶大だった。
◆◆◆
肌身を焦がす、茜色の夕焼け。こんな言葉を聞いて、一般人は何を思うだろうか。まあ大抵ロマンチック、とか、そんなチンケな類だろうが。
俺は放課後、気が付けばここ、屋上に足を運んでいた。
先程茜色という表現を使ったが、それは普遍的な、夕焼けを連想させやすい表現として使っただけで、実際の色は現在進行形で俺が流している血のようなグロテスクな色をしている。だから、夕焼けの茜色によって俺の血は色褪せたような色になり、何とも味気ない。俺は、味気ない。
もう、いいや。
そんな事を思って、今ここにいる。
俺は屋上に張られたフェンスを欲望のままに越え、古典的な十文字を自らの体で象る。
楽になれる、楽になれる、楽になれる――
「お、やっぱいい景色だな――」
――晃雄だ。晃雄は、あの時は裕也に殴られて気絶していたから、昨日の出来事の大半を見知らぬまま帰った、と思う。
まあ、残された最後の親友に未練こそ覚えるものの、俺の決意が揺らぐ程ではない。
もう、俺はこの世に生きるのが辛いんだ――。
「――ろちゃん!? おい何やって――」
呆気ない、幕引きだったな。死ぬ時は時間がゆっくりに感じられるとか、走馬灯が見えるとか聞いたことがあったけど、意外とそんなこともないな。やっぱり自分の死に納得するかしないかの違――
最期の最期に悪癖を発動させた残念な俺は、大した抵抗もせずに衝撃に身を任せ、意識を闇へと落とす。
全く、最期くらい死ぬ時の感覚を実況させてくれよ。
そう、悪態を吐きながら。
第二章、閉幕です。いや、まだ終わりませんよ?
大変長らくお待たせいたしました、しゃぶしゃぶです。
これから、もう少しペースを上げて頑張っていこうと思います。
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