第14話 あの苦痛に塗れた年月を繰り返すのはもう無理だ
「お帰りなさいませ、ベルさま……混み入った話になりましたか」
自室に戻ると、出迎えたミナが気遣わしげに訊いてくる。
どうやら、疲れが顔に出てしまっていたようだ。
「いや、遅くなったのは弟のチェスとカードの相手をしていたからだ。父上との話は、十五分かそこらで終わっている」
「学園からの裁定とは別に、何か処罰があったりは……」
「そんなもの、命じられても無視するだけだ。罰というなら、ガスパールと関係修復して婚約を継続しろ、みたいな寝言を聞かされたのが最大の罰だな」
「その方向性で事を進めても、誰も幸せにならないでしょうね」
「無理矢理『なかったこと』にせず、私に謹慎の沙汰が下った時点で、色々と諦めたのだと想像はつく」
それでも、王命があれば再構築を試みるハメになるかもしれない。
大公《王弟》の権力拡大を望まない王家から、そんな指示が出るとも思えないが。
「さて、今後どう身を振ったものか」
「しばらくは、十年ぶりの自由を楽しむのはどうでしょう」
「そいつは魅力的な提案だが……うかうかしていると、父上が次の結婚相手を勝手に決めてくる危険もある」
「二度も婚約が破談になると、ベルさまの悪評が不動のものになりますね」
「どうして次も破談する前提なのだ。とはいえ、ワケあり令嬢としてロクでもない連中に寄り付かれても困るし、悪評を広めるのも手かも知れぬ」
結構な名案に思えるのだが、ミナはピンと来ないのか首を傾げて言う。
「得るものよりも、失うものが大きいのでは」
「侯爵令嬢としては、そうかもな。だがベレンガリア・メービウス個人としては、話が変わってくる」
「……と、言いますと?」
「傍若無人、不羈奔放、傲岸不遜といった評価で語られるようになったら、余程に奇特なヤツしか近寄って来んだろう」
「王族を蹴り飛ばし、その護衛を素手で半殺しにしたと広まった時点で、相当に胆の据わった人間しか寄ってこない予感はありますが……」
言われてみると、確かにそうかもしれない。
しかしながら、それはそれで面白そうだ。
「ただ従順に、ただ貞淑に日々を過ごしても、侮られるばかりで得るものは何もなかった。異性は勿論、同性との交流も禁じられたせいで、今の私には友人はおろか知人と呼べる存在すらおらん。まずは交友関係を広げる所から、だな」
「大丈夫ですか、ベルさま……友人の作り方、わかりますか?」
「馬鹿にするでない。意見の異なる相手と議論を交わし、続いて激しく拳を交わし、最後は握手を交わして友情が育まれるのだろう?」
大衆の意識調査のため、娯楽小説は結構な数を読んでいたのだ。
そこで得た知識を披露すると、ミナは何故かねっとりとした重さのある、憐れみの視線を向けてくる。
「物語ではよくあるパターンですが、現実とはもう少し複雑です」
「ふむ、となるとアレだな。あまりに立場が違うので反発し合うが、やがて相手の隠していた真の心根に触れて――」
「それは恋物語じゃないですか。少々どころじゃなく不安ですが、今のベルさまだったらまぁ、何とかなりそうですね」
「ああ。私の天使の如き容姿は、老若男女を漏れなく魅了する」
「そういうポンコツさを隠さないのは良い変化です」
どうにも得心のいかない褒められ方をしているが、ミナと口論して勝てる気がしないので流しておこう。
前回の人生でも、友人と呼べるような相手は幾人かいた……ハズだ。
エーデルハイム伯爵令嬢アレクサンドラとは、幼い頃に交流があった記憶が。
ガスパールの弟であるジークムントも、義理の姉弟とか以前に友人のような関係だろう、うん。
「指で2まで数えて止まったようですが、何をカウントしているのですか」
「んっ、ああ……やりたいこと、やっておきたいことをな、考えておった」
誤魔化しつつ、実際に今後やるべきことを思い描く。
まず最優先事項として、前回と同じルートに進むのは避けたい。
王妃や皇妃の立場から再度改革を試みるなら、何が起きるか予知できるメリットがあるし、有為な人材の登用や信用できない無能の切り捨ても容易になる。
だが、あの苦痛に塗れた年月を繰り返すのはもう無理だ。
どれだけ利点があろうと、心的外傷が拒絶反応を起こしてしまう。
「何をするにも必要になるのは、金だな」
「お金に困るような立場ではないでしょうに」
「確かに、欲しいものは大抵が手に入るだろうが、それにも限度がある。家族にも秘密の隠れ家や、世に数冊しかない稀覯本、国宝級の武器や装身具などは、私に与えられた個人資産では買えぬ」
「……そういうものが欲しいのですか?」
「たとえば、の話だ。必要な時に必要なだけの予算を用意できないと、致命的な状況を招きかねんだろう」
ミナは微笑んでいるような困っているような、曖昧な表情でもって頷く。
「まずは商会を作るか。そこで資金を増やしながら、自由に動かせる金額を増やして、更に商売を広げていくのも面白そうだ」
「おそらく、侯爵さまは猛反対なさるでしょう。ルーカスさまも似たような反応かと」
「あの二人も他の貴族らと同様、頭が固いというか古いというか、商売全般を下品なものと見下しておるからな」
「経済や流通に無知なわけでもないのに、不思議な態度ですね」
「お偉い人々というのは、自分ではやりたくない面倒な仕事に『穢れ』のレッテルを貼って、他者に押し付けるのが得意なのだ」
貴族の論理で苦労しているミナは、苦々しさ全開な渋面を浮かべている。
「できれば、固有の武力も持っておきたいな」
「ベルさまなら、四人や五人くらい一人でどうにかなるのでは」
「そうではなく、言うならば私兵集団だ。メービウスの領兵とは似て非なる、私の命令だけに従う戦闘員たち。可能なら、正規軍を相手にしても遜色がない練度に鍛えておきたい」
「そうなるともう、傭兵団のような存在に思えますけど」
「実質的に同じものだな。街道や繁華街の警備、犯罪集団の鎮圧などに無償で投入して民衆の支持を得れば、他の貴族連中も文句は言いづらかろう」
ミナは感心半分呆れ半分な様子で、私の計画を評価しかねているようだ。
「あとは、諜報や工作を担当する集団も必要になってくる」
「それは、軍で使っているような密偵を雇う感じですか」
「うむ。依頼を受けて人物や物事を調べる探偵はあるが、能力や秘密保持に疑問符が付く。ならば、能力的にも人格的にも信用できる連中を育てた方が早い」
「育成のノウハウがあれば、そうかもしれませんが……」
「そこらへんは心当たりがあるから、問題ない。とにかく、情報収集の重要性はミナもわかるだろ。今回のドタバタも、事前に察知できていればガスパールやマルガレーテに警告を発し、騒動になる前に片付けられた可能性が高い」
少しシリアスな調子で私が語ると、ミナも真面目な顔で考え込む。
誰も大っぴらには言わないが、王家は勿論のこと大貴族家の殆どにも「秘密の仕事」を担当する人員はいる。
そういう存在を個人で扱えれば、あらゆる場面で役に立ってくれるはず。
「どうせ偏見の目を向けられるなら、どこまでも規格外の令嬢となるのも面白いかもしれませんね、ベルさま」
「ふははははっ――どうせ俗物共は、自身の偏狭な知識で他者への評価を囀るしかない。ならば、そこから大きく外れて、語るべき言葉を奪ってやるのも痛快だろうよ。さすれば遠からず、私とガスパールの関係を思い出す者もいなくなる」
笑いながら言えば、ミナは少し寂しそうに同意の態度を見せる。
私の報われぬ努力を眺め続けてきた彼女としては、何とも言えない気持ちなのだろうか。
「変化が誰にでもわかるよう、見た目から変えてみるかな」
「常時ゾウに乗ったまま行動する、とかどうですか」
「私をどういう方向に連れて行きたいんだ」
「それはゾウの気分次第ですね」
「せめてミナが御者をやってくれんか……」




