第13話 父の姿に畏怖ではなく嫌悪ばかりが
ここまで広大で豪奢な館に、何の意味があるのだろう。
数十の使用人の雇用を創出している、という意味はあるかもしれないが……
そんなことを考えつつ兄の後ろをついて行くと、不意にルーカスが立ち止まる。
振り返ってこちらを見据えたその表情は、恨みがましさに満ちていた。
「まったく……面倒な真似をしてくれたな、愚妹よ」
「それは、半端な対処などせず殺しておくべきだった、みたいな話か?」
「どうしてそうなるっ!? よくもまぁ、蛮夷の如き本性を隠していたものだな。たかが浮気で婚約者、それも王族を打擲するなど正気の沙汰ではないぞ。下手をすれば、親にすら殴られたことがない立場だ」
「何をしようが叱られもせぬ育ち方をしたせいで、躾のなってない糞ガキになったのだろうな、ガスパールは」
私の返事を聞くと、ルーカスは蜂蜜色の長髪を掻き回して言う。
「ガスパールの性格など、十年一緒にいた貴様は百も承知だったろう! 愛人の一人や二人、許容できなくてどうする」
「許容できなかったのでこうした、とも言えるが」
「ぬぅ、口の減らんヤツだな……王族に嫁ぐのであれば、更なる理不尽に対応するのも当然となるのだぞ!」
「婚約破棄を告げられたので、そんな心配は要らんな」
晴れ晴れとした笑顔でもって保証すれば、ルーカスは幽鬼のような面相でこちらを睨む。
「本当に破談となれば、エンラント大公家の権勢を利用する予定だった父上も我も、今後の行動に大幅の変更を余儀なくされるのだが?」
「予定を変更するなら、早いに越したことはない」
「だから、それもこれも全部が貴様の短慮のせいだ、と言っている!」
「大体、ガスパールの阿呆が堂々と不貞を宣言する痴れ事をせねば、私もあやつの軽い頭を蹴り飛ばさなかったものを」
自分の言葉を一つも肯定しない私に、ルーカスは困惑気味になっていく。
思い返してみれば、どんなに理不尽であろうと父や兄に逆らった記憶がない。
その結果が国の滅亡と己の破滅なのだから、同じ轍を踏むのを避けようと本能が反抗的な態度を取らせているのだろうか。
ただ単に、数十年分の鬱憤が事ある毎に爆発しているだけ、との見方もできるが。
「おい、貴様は――」
「兄妹の対話は後回しにすべきだ、兄様。父上が待っている」
「う、うむ……そうだな」
言いたいことを無理に飲み込んだルーカスは、踵を返して早足で進む。
そして父の執務室の前まで辿り着くと、重厚な扉をノックして声をかけた。
「父上、ベレンガリアを連れて参りました」
「……御苦労、入れ」
一拍置いてからの返事で、久しぶりに父親の声を聞いた。
随分と張りのある印象だが、思えば私の享年より今の父の方が若いのか。
無駄に重い扉を開いて室内に入ると、父――メービウス候リヒャルトは、机に向かって書類の束を処理している。
父親の姿を思い出そうとすると、真っ先に出てくるのはこの光景だ。
「ルーカスは下がってよい」
兄はその言葉に従い、黙って一礼して部屋を出て行く。
私は机の前まで進み出て、作業が一段落するのを待つ。
紙を捲る音と、ペンが走る音だけが数分間続いた。
やがて、手を止めた父は短く溜息を吐いて、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「呼ばれた理由はわかっているな、ベレンガリア」
重々しく言いながら、私によく似た鋭い眼光で射竦めてくる。
前回の自分なら、委縮してシドロモドロになっていただろうが、今となってはこの程度の威圧など効きはしない。
丁寧な言葉遣いというのを思い出しつつ、目を逸らさず問いに答えた。
「ガスパールの愛人発覚と、婚約破棄についてですか」
「その後のお前の行動について、だ……婚約の破棄など、あの小僧の一存で成るものではない」
「私としては、成ってくれると万々歳なのですが」
「婚約とは家同士の大事、それが王族と古き血族となれば国の大事。お前や小僧の個人的な感情で動かせはせん」
父としても、ガスパールの阿呆さには頭を痛めているようだ。
名を呼ぶのを頑なに避ける様子にも、そんな心情が滲んでいる。
「とは言えこの件は、既に学園内で周知の事実となっているでしょう」
「何を他人事のように……まず、この事態に対して言うことはないのか?」
「乳と尻のデカいアバズレの色香に惑い、十年連れ添った侯爵令嬢を切り捨てようとするクズを婚約者に選んだ父親への恨み言、などでしょうか」
「謝罪もなしに苦情を並べるか……その程度のクズなら御してみせろ。この十年、何を学んできたのだ」
人生で初めて反抗的な態度をとった娘の変化に戸惑いもせず、父は無表情のまま冷淡に断罪してくる。
話が通じる気はしないが、コチラの主張は一通りぶつけた方がよさそうだ。
そう判断した私は、僅かにあった遠慮を捨て、改めて父に向き合う。
「下世話な感性の男を悦ばせる媚態や手管を学ばせたいなら、家庭教師には現役の娼婦でも呼んで下さらないと」
「そういう生意気さや可愛げのなさが癇に障るせいで、得体の知れない下級貴族の娘が入り込む間隙を与えたのだろうが」
「勉学と鍛錬と睡眠と食事だけで構成された生活で、どんな手品を使えば愛嬌たっぷりに育つのか、是非とも御教授願いたいですね」
三十年前にも言いたかった内容を全力でぶつけるのは、中々に気分がいい。
まるで怯む様子を見せない私に、ようやく違和感を覚えたらしい父は、探るような目を向けながら言う。
「媚びを売れと言うのではない。取るに足らん男に、そう自覚させぬよう操縦しろと言っている。能無しが自身の根拠にするのは家柄、財力、それに艶聞だ。愛人の存在を知ったなら、暴力ではなく嫉妬のフリで応じろ。それで阿呆は満足する」
「婚姻して嫡子を成した後ならば、ガスパールが第何夫人まで作ろうが知ったことではありません。されど、現段階でもし愛人を孕ませでもしたら……」
「その時はその時で、どうとでもなる」
それは、闇に葬るか因果を含めるかして、表舞台から退場させるということか。
メービウス家の権力を使えばそれも容易なのだろうが、平然と言ってのける父の姿に畏怖ではなく嫌悪ばかりが募る。
どうにか舌鋒を丸めるため気持ちを鎮めていると、それを反論に窮したと判断したらしい父が溜息交じりに告げる。
「今回は、あの小僧の失態とお前の過剰反応が8:2、といったところだ。大きな瑕疵にはならぬだろうが、王家との繋がりを求める新興貴族などは、婚約解消を実現すべく執拗に糾弾してくる可能性もある。しかし――」
「これほどの屈辱を受けたのに、まだ耐えろと言われるか」
「そうだ。それだけの価値が、お前らの婚姻には――」
「ありはしません。いつまで頓馬な夢を見ているのです、父上」
言葉の途中で斬って捨てれば、ここに来て初めて父の表情が歪む。
「ブラウトリアを蝕む腐敗に対処するため、娘を贄にしてでも国家中枢への接近を図る志は立派ですが、国を病み腐らせている元凶は一つではなく、多頭の毒蛇のような存在です、その首一つの相手とて、父上の手に余るでしょう」
「何を……ベレンガリア、お前はどこまで……」
死に際の父上から聞いた話です、とも言えないので曖昧な笑みで誤魔化す。
「正直な話をしますと、道具扱いはまぁ我慢できなくもないのですが、扱いの下手さには我慢なりません。父上は能吏ではあるのでしょうが、陰謀や策略には絶望的に向いておられない。根本の部分で単純すぎるのですよ、思考力と想像力が」
「ぐぬっ……」
「そもそも、ガスパールに踏み躙られたのが私の尊厳だけだと思っている、その鈍感さがいけない。お忘れかも知れませんが、私はメービウス侯爵家の娘なのですよ?」
「……にも関わらず軽んじられるのは、お前の力不足であろう」
案の定な言葉を返す父に、私はわざとらしく半笑いの表情を作って言う。
「確かに、私にも色々不足してるのでしょうが……背後に大貴族の親が控えている娘に対して、大公の息子ガスパールはともかく、その取り巻きや愛人風情が無礼を働いてくるのは、異常と思いませんでしたか。要するに、私じゃなくてアンタが舐められてるんだ、リヒャルト・メービウス!」
「黙れっ!」
核心を突いたであろう言葉に、父は手元の文鎮をブン投げて応答。
私は平たい楕円形のそれを顔の前で掴み捕り、無造作に机の上に投げ返した。
「感情を制御できない愚か者は、騙されても叛かれても気付けない、と私の敬愛する方が教えてくれました……次の機会には、もう少し建設的な話し合いを」
何とも言えない表情で固まっている父に、かつて本人が言っていた言葉を告げると、私は静かに執務室を出て行った。




