操られてこそ、人形は動く
散々アイリスさんに弄ばれた僕はぬいぐるみなのに泥のように眠っていた。
『ありがとう…助けてくれて』
ふと何処かで聞き覚えのある暖かい感謝の言葉が脳裏に走った。あれは確か…
「わぁ〜ん…!?痛いよぉ〜…!?」
何時だったか僕がまだ小学生低学年ぐらいの頃に、目の前で同年代の小さな女の子が泣いている現場に出くわした。あちこち絆創膏や包帯などをしていて、一目見ただけでケガ人であることは確かだった。
「どうしたの」
「痛いよぉ〜…!?」
僕はその子にどうしたのかと訊ねると、彼女は結んだ後ろ髪を振るわせ、大粒の涙を流しながら傷の痛みを訴えてくる。
「どうしよう…そうだ、僕の飴をあげるよ。だから泣かないで」
「ありがとう…助けてくれて」
持っていたオヤツの飴をあげるとその子は泣くのを止めて、ふと思い出した感謝の言葉を掛けてくれた。
「あー!ムホルってば、そんな小さな女の子を泣かせるなんて最低!」
「しかもそんなにボロボロにして、飴まで取り上げようっての!」
そこへ他の女子達がその光景を見た瞬間に批難を浴びせてくる。思えばこの光景を一部分だけ見れば、僕が小さな女の子を傷つけて飴を奪っているようにしか見えなかった。
「違うよ、僕は…」
「そこのあんた!ウチの子に何してるのよ!」
何とか弁明しようとした矢先、有無を言わせない様子で助けた女の子の手を引いている母親らしき女性が詰め寄って来た。
「僕は…僕は何も…」
あまりの剣幕に僕は恐ろしくなり、『違う、何もしていない』の一言が言えなかった。すると手を引かれていた女の子は…。
「その子が!その子が私をね…!?」
先程の感謝の言葉は嘘だったのか、その子は母親に泣きつきながら言い放った瞬間に僕の何かが砕けた気がした。
「なっ…やっぱりあんたウチの子をイジメたんじゃない!?」
再び怒鳴りつけてくる母親を前にしても不思議と恐怖はなかった。それ以上に僕は砕けてしまった何かが心を蝕んで怒鳴られることなんて恐ろしくもなんともなかった。
「(はっ!?……夢か…ぬいぐるみも夢は見れるんだね…)」
気が付くと僕のぬいぐるみの身体はアイリスさんの部屋のテーブルの上に座らされていた。
「ムホルくぅん…もっと…ペロペロしたい…」
目の前のフカフカした大きなベッドでアイリスさんは裸ワイシャツ姿の僕がプリントされた抱き枕を抱き締めながら寝ていた。たまに妙な水音が聞こえてくるのが気になるけど…。
「(あんな結果になったのに生まれて始めて褒められた夢を見るなんて…)」
僕は常に不幸と不運と共に歩んできたのだが、度合いによっては他の人を巻き込む場合もあった。
例えば体育祭で二人三脚で誰かと組んで、いざ走ろうとした時に僕の足元に何故か木の枝が落ちていて、それに足を取られてパートナーの人と共に転んでしまい、しかも転んだ拍子に別の組の人の足を掴んで文字通り足を引っ張り、チームをボロ負けにしてしまったことがあった。
またある時は班共同で行う自由研究に置いて、側溝に落ちたり枝が頭の上に落ちてきたりしたけれど、何とか調査を終えて纏めようとした矢先、不良グループのクラスメイトに研究成果を奪われてしまい、しかも口裏を合わせられたのか僕が研究成果を売り渡したことになっていた。
他にも演奏会では楽器が突如として壊れて不協和音を奏でたり、文化祭では売り上げ金を喝上げされて僕が使い込んだと思われてしまったこたもあった。
一連の出来事からクラスメイト達は僕の運勢が非常に悪いことを周知し『疫病神』…だと世間体が悪いために珍しい僕の名前『ムホル』を代わりに蔑称として使い、『一緒にいるだけで何もかもが悪くなる』と言うジンクスが広がって今に至るのだ。
そんな人生を歩んだからこそ…人に褒められることは稀であり、例え小さな子供の時に掛けられた言葉であっても僕には非常に鮮明で心に残る大切な記憶だった。
「(今じゃぬいぐるみだなんて…僕、何か悪いことしたのかなぁ…いや、実際悪いのは運なんだけど…)」
そんな人生を歩んで来た僕は異世界転移で女神様からギフトを貰って人生逆転するかと思えば、直前に誰かに殺されてアイリスさんのぬいぐるみになるなんて自分の運の悪さに思わず涙が出そうになる。
「(……涙すら流せないなんて)」
やっぱりぬいぐるみだから涙すら流すことも叶わない。だから僕は心の中で泣くしかなかった。
「(くすん…くすん…)」
ふと気の所為だろうか、過去の夢を見たために何処からか女の子の啜り泣く声が聞こえたような気がする。
「ムホルくぅん…可愛いあそこが…こんなになってるぅ…」
「(アイリスさん…じゃないよね)」
ここには僕とアイリスさんしかいないため、該当するなら彼女しかいない。しかし聞こえたのはもっと幼い感じの泣き声で、アイリスさんではないのは確かだった。
「(くすん…くすん…助けて…)」
それ以前に首もロクに動かせないため僕ら以外にこの場に誰かいて、何処から声を発しているのかどうかも分からない。そもそも気の所為かどうかも断言出来ないのだが、どうにも心の中に響いてきて無視出来なかった。
「(…誰かいるの?)」
「(誰?…助けて…お願い…)」
意を決して謎の声に返事をしてみると、声の主は一瞬驚いた声音をしたかと思えば、よほど切羽詰まっているのか助けを求め続けてくる。
「(そんなこと言われても僕は…)」
ぬいぐるみだから動けない。声には応じれるけれど、一番の問題である身体の不自由さがあってはどうにもならなかった。
「(ううっ…助け…て…)」
僕が助けることが出来ないと察した謎の声は絶望感から、先程より弱々しい声音になっていき心が痛む。けれども本当に僕にはどうしようも出来ない。
「(きゃあああ!?)」
「(…どうしたの!?)」
謎の声の悲鳴が聞こえたと思えば、何が起きたか分からないが何処からか爆発音やパニックになった人々の喧騒が聞こえてきて呆気に取られるも、何かただならぬことが起きているのは確かだった。
「(お願い…!?助けて…苗木を…!?)」
「(苗木…?)」
後を託すように懇願しながら謎の声はプッツリと途絶えて音信不通となってしまう。
「(ふん!…やっぱり動けないか…僕はどうしたら…)」
誰かからの助けを聞き、何かを託された以上は無視出来なかったが、やはり一番の前提としてぬいぐるみだから自力では動けなかった。
「(何であんなのが聞こえたんだろう)」
そもそも気の所為だと割り切って聞き逃がせば良かったかもしれない。そうすればこんな歯痒い思いをしなくても良かったかもしれない。
「(結局最後には悪い結果になるって分かっているのに…)」
運の悪い僕が関与しても、より最悪な結果になるかもしれない。更に自己中なことを言えば、僕は誰かを助けても最後には報われない結果が待っている。
「(……でも、やっぱり…どうして僕はいつもこうなんだろう)」
つまり僕に取っても相手に取ってもロクな結果にならないと割り切っていた。それなのに僕の心は『行くべきだ』と警鐘の如く訴えてくる。
「(ううん…!くっ…!何でこんなことに…)」
しかしやはりぬいぐるみの体はうんともすんとも言わなかった。助けに行きたい気持ちでいっぱいなのに、こんなぬいぐるみの体も動かせないなんて、僕は情けなさを通り越して次第に心の中に激情が募ってくる。
「(僕の不運は何処まで僕を不幸にさせるんだろう…!これまでも呪われた日々を過ごして、ようやく舞い込んだ人生逆転のチャンスも身体の自由も奪われて…!挙句の果てには助けを求めてる子を救えない上に頼みも果たせないなんて…!?)」
それは今まで感じたことのない怒りだった。呪いと間違うほどの自分の不運さがチャンスすらをも踏み躙り、ぬいぐるみに転生してまでも付き纏って、僕だけでなく助けを求めている子まで不幸にさせていることに『許せない』と言う感情を今更ながら芽生えさせた。
「(喧嘩なんてしたことないけど…もしも僕の呪いみたいな不運を殴れるものなら…殴ってやりたいぐらい許せない!)」
僕は怒りの余り、動かないはずの右手を思わず突き出したことにハッとなる。
「(え…あ…動いた…?)」
これはどうしたことか、今まで微動だにせずアイリスさんにされるがままだったはずの僕のぬいぐるみの右腕が正拳突きをするかのように突き出されていたのだ。
「(どうして…僕の身体は…うわ!)」
突然のことに困惑していると視界が一転二転三転と目まぐるしく変わっていく。どうやら右腕を突き出したことでバランスが崩れ、ぬいぐるみの身体がテーブルの上から転がり落ちてしまったみたいだ。
「(ううん…あれ、何この糸…)」
転がり落ちても痛みはなく、ぬいぐるみの身体は仰向けになっていた。そのお陰と言うべきか、頭上から奇妙なピアノ線のような糸がぶら下がっていることに気が付いた。
「(何処に繋がっているんだろう)」
呆然としながら頭上に伸びる糸を見つめるも、糸の先端は天井までは届いていなかった。だからと言って何かに繋がっている訳でもないのに、この糸の先端は何故か僕の頭一つ上の所で浮いている状態だったのだ。
幾らここがライトノベルで読んだ異世界とは言え、こんなのは不可解過ぎて理解が追いつかなかった。そこで僕は糸の先端が頭上で浮いているのなら、もう片方の先端は何処へ続いているのかと視線を出来る限り落としてみる。
「(…僕の右手に繋がってる…?)」
驚いたことにその糸は動いた僕の右手から生えているように繋がっていた。
「(手を動かせる…敬礼出来る…触れられる…この糸、僕の意思で動かせて、それに合わせて合わせて身体が動くのかな)」
試しに先程動いた右手をもう一度動かしてみると、糸は僕の身体から伸びていて離れることはなかった。だが、僕の意思に合わせて糸が動き、繋がっている右手も僕の思った通りの動作をしてくれる。
「(この糸は僕の意思…?もしそうなら、もしかして…えい!)」
もしも僕から伸びているこの不思議な糸が僕自身の意思で動き、更にそこに繋がる身体も合わせて動いたとするのならば、右手が動いたこととも説明が付くため意を決してそれぞれの部位ごとに動かしてみる。
「(わ…わわっ…う…動いた…!)」
拙いながらパタパタと手足が動いたことに驚いてしまう。しかしながら姿勢は寝そべったままなので見た感じは駄々っ子のようだった。
「(ってことは…よいしょ…わわっ!?)」
手足が動くならと思い、僕は身体から伸びる糸を操って地面に手を付き、足腰に力を入れて立ち上がってみようとして生まれたばかりの小鹿のようにふらつく。
「(おっ…おおっ…た…立った!ぬいぐるみが立ったー!)」
何とかバランスを取って立ち上がった僕は声が出る訳でもないのに思わず名台詞みたいなことを叫んでしまった。
「(とっとっ…こ…これは意外に難しい…)」
必死に立って歩こうとしていて分からないけど、きっと客観的には立ち上がり始めた赤ちゃんのような動きをしていると思いながら僕は辺りを散策してみる。
「(そう言えばこの部屋って広いけど、部屋はそんなに多くないし、窓なんて一つもないんだ)」
ようやく二本足で歩けるようになったことで辺りを見渡すことが出来たけど、アイリスさんの部屋は基本的に窓がないため月明かりが挿し込まない。だからかなり暗いはずなのに転生させられたからだろうか、僕には部屋の中がハッキリと見えた。
それで分かったのが僕とアイリスさんがいる部屋以外だと浴室とトイレしか個室がないことだった。
「(アイリスさんは元の世界だとお嬢様だったけど、ここだとそうじゃないのかな)」
部屋の面積と数からすれば広めのアパートかマンションのような間取りをしており、もっとお嬢様らしく広い部屋を幾つも持っているかと思っていたために意表を突かれてしまった。
「(ところであの声は…あれ、出口は?)」
ようやく自力で動けた感動とアイリスさんの意外性に驚いていたが、先程の謎の声の正体を突き止めようとしたが、部屋ならばあるべきはずの出入り口が何処にもないことに気が付いた。
「(こっちは浴室だし、こっちはトイレ…やっぱり何処を探しても出入り口がない…!?)」
何か見落としたかとキョロキョロともう一度見直してみるも、アイリスさんに連れられたため浴室は間違わないし、さすがにトイレに連れ込まれることはなかったけど綺麗な洋式便器がテーブルからも見えたから間違いなかった。
「(そう言えば出入り口の他にキッチンとかもない…どう言うことなんだろう)」
他にないと言えば小さなマンションでも必ず小さなキッチンはあるはずなのに、ここには流し台や戸棚すらなかった。
「(どうしよう…閉じ込められたのかな)」
推理物とかでよく聞く密室事件は室内から施錠されているのに被害者が出ることを指すけど、ある意味で僕はそれに巻き込まれているのかもしれないと途方に暮れて落胆して腰を落とす。
「(……あれ、ここだけ明るい?)」
しかし文字通り解決の糸口が見えたような気がした。この部屋は窓がないため暗いはずなのに、腰掛けた場所だけ妙に薄明るかった。最初は転生したからと思っていたけど、簡易照明のように僅かな光量が挿し込んでいたのも関係していたのかもしれない。
僕は「窓でもあるのだろうか?」と光が挿し込む頭上を見上げてみる。しかしそれは少なくとも窓ではなかった。
「(……鍵穴?)」
最初は丸窓かと思っていたが、その形状は明らかに鍵穴だった。
「(随分と大きいなぁ…)」
窓と見間違うほどのサイズだから分かりにくかったけど、穴があれだけの大きさなら鍵はどれほど大きいさなのだろうか…しかし幾ら異世界だからと言っても、窓と同じサイズの鍵だなんて非現実的だろう。
「(どうなってるんだろう?あれが出入り口なのかな)」
あり得ないサイズだが少なくとも鍵があるのならば、あそこが出入り口である可能性がある。そこで何とかあそこまで行けないか辺りを見回してみる。
「(……ジャンプじゃ…届かないよね?)」
手っ取り早くジャンプすれば届くかと思い、ダメ元で鍵穴の下で飛び跳ねてみる。
「(あれ…え…うわあっ!?す…吸い込まれるー!?)」
ところが浮いた身体はそのまま重力に逆らうように浮き上がり、鍵穴の奥へと吸い込まれてしまうのだった。
「(あう!?な…何なの…?)」
訳が分からないまま何処かへと押し出された僕はフラフラしながら立ち上がる。
「(アイリスさんの部屋じゃ…ない?)」
少なくとも何処かへ移動したからアイリスさんの部屋ではないことは確かだ。僕が今立っているのはファンタジー世界ではよくある木造建築の宿屋のような一室で、質素なベッドやテーブル以外には何もないシンプルなレイアウトだった。
「(このカバンは?)」
後ろには誰のか分からない大きな革製の旅行カバンが置かれていた。
「きゃああああ!?」
「うわあああ!?」
「助けてえええぇぇ!?」
宿屋の外から悲鳴と騒音が聞こえてくる。声量と音量からしてただ事ではなかった。
「(……よし)」
状況がさっぱり掴めないけれども、僕はぬいぐるみの身体を最初から決まっていたように騒ぎが聞こえる方へと動かす。




