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新しい生活

本当はこんなはずではなかった。

「結婚しよう」

恋人の口から出てきた言葉はわたしの体の芯の部分を白く染め上げて一切の事柄を昇華し、幸福へと導いた。


くしゅんとくしゃみが出る。花粉の季節だ。花粉の季節と言えば桜の季節でもある。(のぞみ)は気合いを入れて引っ越し先に選んだのは、以前住んでいたアパートの三分の一程度の広さ のペットも一緒に住める古い物件だった。


ここへ住んでさっそく、修繕を三か所ほど業者へ頼んだ。やれやれと思いながら、ここからこれからの生活が新しく始まってゆくのだなとゆっくり深呼吸をした。

隣の部屋の人物に違和感を覚えた。

「最悪」

なんとなくそう思った。

壁が薄く、咳払いや物音が平気で聞こえてくるのだが、隣の男はそういう環境の問題では なく人格として問題があるような感覚を覚えた。

まず、「ここは俺の大事な領地だ」「縄張りに入るな」と言わんばかりに咳ばらいをわざとらしく何度も行うの だ。最初こそはこの困った男の存在をマイワールドから排除しようと躍起になっていたがいよいよお手上げとなった。


自宅で仕事をするスタイルの望にとってこんな災難な隣人はいやだと子供のように思うがこのアパートを選択したのは自分だ。全部諦めよう、と思った日から気持ちが楽になった。

だらだらとした日常を好まない望にとって、引きこもりで生活音がいびきのみの「この男」 とは馬が合わなかっただけだった。


むしゃくしゃしていた。

仕事がなかなか進まない。リモート先の会社の上司が、まあ全くの他人ではあるが 当に他人に見えた。同じ会社に自分も所属しているとはどうしても思えなくなっていた。 ついため息をつき、ハッとして画面の向こうの人物・・・上記の表情を見るが、なんとも なかったので安心した。上司は相変わらず平坦な声で資料をめぐる音を立てている。ぼんやり相手の薄っすらとした髪の毛を見て、望もストレスで髪が抜けてだいぶ毛量が減ったことを思い出していた。


2時間程度のの会議が終了して、画面から退出。ぐっと背伸びをし、冷蔵庫に冷やしておいた炭酸の桃ジュースの缶をひょいと持ち上げプシュっと音を立てて開けて、ぐいっと飲む。最高の瞬間だった。

「はあ、このためだけに生きてる気がする」

ひとり言をもらし、窓を開け放つ。新鮮な風がわあと入ってきてはカーテンを揺さぶってゆく。


あれは酷い友人との別れだった。ある一件で望は体調を一気に崩し、実家へ帰って静養する羽目とな った。

友人は、粗野で、乱暴で、いい加減で、暴力はふるわないが言葉の・・・いや、存在の暴力だった。「居るだけで迷惑」だなんて思うこと自体間違えているかもしれないが、はっき りとそう思ったしそう思わないとやって行けなかった。


自己否定に苛まれていた。

「仕事が見つからない」

そう友人の前で漏らすたびに「こうすればいいい」と鬱陶しいくらいにアドバイスを延々と力説してくるのだった。 いやいやそんなのいりまへん。欲しいのは癒しの言葉なんですうと拗ねるようにそっぽを 向く。

目の前にいる年上に女性はとにかく優しいが世話焼きの度が過ぎていて鬱陶しかった。

「ごめん。今日これから会議あるから」 そそくさとその場面から逃げて、いつもやり過ごしてきたが、彼女の気持ちの裏には歪んだ欲求のようなものが存在していたことにも気づいたもいた。


隣の男は今日も当てつけのように大きな咳払いをして威厳風をかましている。そんな男はさておき、今日は大事に取っておいたお給料で月に一度の大きな買い物をする日だ。と言っても、食料のあれこれとか、日用品のあれこれなのだが、そのささやかな日常性が望にとっては大きな喜びだったし、楽しみでもあった。

お気に入りのリップやチークを塗って、着替えをする。数年前に思い切って買った大きめ の値段のシューズに足を通して玄関の扉を開けると、広い広い青空が爽やかに広がっていた。

「はあ、またこんな瞬間のためにいきてるなあ」

呟いて、車へ向かう。

これからの望とその周りの人物や物事の移り変わりを見守っていただけたら幸いです。

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