第6章 焔の刃Ⅶ ~ 戦場の誇りと思惑
剣虎族は勇猛でありながら、無闇な咆哮を嫌い、静かなる狩りを好む。威風を誇示することなく、闇に紛れて獲物を仕留める。そのため、無音の獣人戦士として恐れられていた。
レガント自身もまた、音なく敵を葬ることを美徳とする者だった。敵が気づかぬうちに斃し、戦局を有利に運ぶことこそ、最上の狩りであると信じている。
そして今、静寂の中で、中門が開かれた。
~本文より
白黒の縞の美しい毛並みを持つ剣虎族レガントは、部下へ目配せで、索敵と破壊の命を下した。正門を越えた先、中門がその堅牢な姿を見せているが、威圧感は感じない。
間もなくバルグがやってくるが、それまでに、制圧は可能だろう。
剣虎族は勇猛でありながら、無闇な咆哮を嫌い、静かなる狩りを好む。威風を誇示することなく、闇に紛れて獲物を仕留める。そのため、無音の獣人戦士として恐れられていた。
レガント自身もまた、音なく敵を葬ることを美徳とする者だった。敵が気づかぬうちに斃し、戦局を有利に運ぶことこそ、最上の狩りであると信じている。
そして今、静寂の中で、中門が開かれた。
伏せられていた精霊魔法の魔法陣は、捕えた王国の魔導士に解除させた。敵は何の疑いも持たず、己の守りが破られたことにすら気づいていない。正門ばかりに気を取られ、警戒を怠る油断こそが、狩られる弱者の証。
「ふん。たわいもない」
レガントは冷ややかに呟くと、先へ進むべく、静かに門をくぐった。その刹那、空気の流れが微かに乱れ、幽かな殺気が漂うのを感じ、咄嗟に身構える。
「慌てずとも好かろう? 少し遊んで行け」
聞き慣れぬ、しかし確かな威圧感を帯びた声音が、虚空から降り注いだ。
影もなく、気配すら感じさせぬ何者かの声。
長く戦場に生き、様々な敵を屠ったレガントと剣虎族の戦士たちでさえ、その存在に気づくことはできなかった。
危険な相手だ。
即座に身構え、レガントは鋼鉄すら断ち割る帝国の魔導兵器炎爪を気配に向け発射した。
空気を切り裂き、敵を焼き貫くはずの爪は、一瞬で金属同士が軽く触れ合う音が響いたかと思うと遠くへ弾き飛ばされ、影が殺気を孕みながら間合いを詰めてくる。
レガントは動じることなく、左手に残る魔導兵器氷爪を、迫りくる影を切り裂くべく、繰り出した。
しかし、影はその一撃をまるで風の流れを読むようにいなし、刺し貫こうと舞い戻り背後へと飛来した炎爪を、絶妙な軌道で弾き返した。
弾かれた爪はレガントの肩先をかすめ、彼の剛毛の毛並みを僅かに揺らす。
レガントは拳で舞い戻った炎爪を受け止め、隙を与えずに装着しなおした。
「何じゃ。最近の剣虎族は、大道芸もやるのか。面白いな」
低く響く声とともに姿を現したのは、王国の生ける伝説—— 守護剣聖オルクスであった。
レガントは、眼の前に立つ老エルフが恐るべき相手であることを瞬時に察知し、あふれ出ようとする殺気を、深く深く自分の内側へと留め、自分が繰り広げられる技を躰に馴染ませ、無数の手を組み立てる。
無駄な衝動は不要だ。ただ、己の技を研ぎ澄まし、刃となりて敵を討つのみ。
オルクスは目の前の剣虎族の戦士から洗練された殺気が漲るのを見て取り、にっと笑みを浮かべた。
「ほう。良く鍛えておるな。惜しいの。どうじゃ、降参せんか? 命までは捕らん」
その瞬間、レガントの身体が弾けるように動いた。鋼鉄すら溶かし切り裂く炎爪と、空気すら震わせ凍てつかせて破壊する氷爪が閃光となり、音もなくオルクスの首を狙う。だが、オルクスの剣がその刃を迎えた。ひと振り、またひと振り。刹那の交錯の中で、剣と爪が弾き合い、火花を散らす。
金属爪から迸る炎と冷気は、アシュラムが全て喰らっている。
「その爪、帝国の手によるものか。中々の得物じゃな。だが、足りぬ」
レガントは間髪入れずに、さらなる一撃を繰り出した。だが、その刹那、オルクスの動きはさらに速さを増していた。老いた身とは思えぬ俊敏さで一歩踏み込み、繰り出される猛撃をすべていなし、流れるような動作でかわし続ける。
レガントの眼に、相手の力量が自分をはるかに上回ることが映った。修練を積み実戦で鍛え上げた剣虎族の戦士として、その事実を否定など出来はしない。
ここまでの剣士で思い当たるのはただ一人。
静かに息を吐き、攻撃の手を止めると、居住まいを正し、恭しく一礼した。
「オルクス・フルミニス殿とお見受けする。我が名はレガント。高名な貴殿と相見舞えたこと、誇りに思う。しばし、名乗りの閑を頂きたい。── 皆、集まれ」
鋭くも静謐な号令が響く。瞬く間に、物陰に潜んでいた剣虎族の戦士たちが、レガントの背後へと集結した。影から現れたその姿は、夜の狩人のごとく、沈黙の中に獰猛な気を漂わせる。
「手の者はこれで全てだ。貴殿には遠く及ばないだろうが、我らは一族の為に、ここで退くことは叶わぬ。強者である貴殿に敬意を表し、我らが慣習に従い、貴殿に挑む。我らは今より、魔導機械の力も解放し、持てる力の全霊をもって貴殿に立ち向かう。願わくば、貴殿もその剣にて我らの誇りに応えてほしい」
オルクスは静かに剣を掲げる。その眼には揺るぎない意志が宿っていた。
「我はオルクス・フルミニス。その覚悟に応えること、魔剣アシュラムに誓おう」
その宣誓に、レガントは歓喜すら浮かべた。強者との戦いこそ、剣虎族にとって至高の証明。その双眸が戦の焔に燃え上がる。
「皆よ、目の前にいるは伝説の守護剣聖。我らが武威が届き得ぬ高みの強者!弱者は滅び、強者は残る── これぞ唯一の理。我らが求めた死地がここにある。全てを振るい、自らの力を問え!」
普段は静かに獲物を屠る剣虎族が、己を晒し、咆哮する。その声には、戦士の誇りが滲んでいた。
その光景を物陰から冷ややかに見つめる影があった。
焔鳥の刃騎士団副長、ファルヴィスである。隙をつき、レガントに一撃を見舞おうと機を窺ったが──
(無粋な真似はよせ)
オルクスの視線が、鋭く突き刺さった。
ファルヴィスはその圧に耐えかね、肩をすくめた。
「まったく、戦争ってのはこういう機会を利用するもんだろうに……。剣聖さまといい、うちの団長といい、もう少し戦況ってやつを考えてくれよ」
ぼやく姿に、穏やかながら芯の通った声が響く。
「その考えは道理ですが、オルクス様の信念とは相容れません。結果として、それは敵対行動と見なされるでしょう。オルクス様の不興を買うことは得策ではありません。私が監視していますので、ファルヴィス様はお下がりください」
淡く光る杖を手に、ルミナリスが静かに立っていた。冷静な眼差しで彼を見据えるその姿は、若い乙女の見た目ながらも、揺るぎない魔導士の威厳を纏っている。
「ずいぶんと若いのに、ずけずけ痛いことをいう。……仕方ない。英雄に逆らう気はないし、お嬢さんの忠告を有難く聞いておくとしよう」
ファルヴィスはひとつ肩をすくめると、戦場の喧噪を背にし、砦の奥へと姿を消した。
この砦の奥深く、最下層の地下水路では、静かに、しかし確実に脱出の準備が進められていた。
戦場の気は、ますます濃さを増し、空気すらも研ぎ澄まされた刃のように張り詰めている。
ファルヴィスはふと、先刻の光景を思い返した。
この掴みどころのないアルゲントルム人の少女が、伝説の英雄と渡り合っていた場面だ。
『はい。ランバート様の機略と方針は理解しました。その作戦行動も理解できます。邪魔するつもりもありません』
『では、お主は何をするつもりじゃ。先ほども言ったが、この戦いは最早ガイルのものじゃ。ランバートの策謀であったとしても、じゃ』
ルミナリスは、目の前に立つオルクスに向かい、まるで迷いのない刃のごとく、己の意思を突きつけていた。
『犠牲になる必要などない人々がいます。何も知らぬまま、ただ流れに呑まれ死ぬのを、私は看過できません。助けられる命があり、それを救える力が私にあるのなら、私はそれを成す。それが、私の選択です。オルクス様がどのように仰せでも、私の意志を縛ることはできません』
その言葉には、淡々としながらも、揺るぎない信念があった。
その結果の今である。
「熱いのか、冷たいのか……女心は分かっていたつもりだったがな」
誰にともなく呟きながら、ファルヴィスは足を進めた。向かう先は戦場ではなく、逃げ惑う人々が残る砦の奥深くだ。
背中を向けた戦場では、オルクスと剣虎族の戦いが始まっていた。
「刻まれし力名は疾風、勇名は迅雷、アニハバラク」
魔剣アシュラムが深く青白い光を帯び、周囲の空気が張り詰める。風が唸り、雷の如き剣気が渦巻いた。
次の瞬間、オルクスは閃光となり。雷鳴の速度で駆け抜けるアシュラムの刃が、襲い来る剣虎族たちを次々と両断していく。雷閃の斬撃は機械化された獣人の肉体を断ち、魔導機兵の強化すら無意味にしていた。全てを断ち切る魔剣にオルクスの英雄としての技量が加われば、立ち向かう敵はなぎ倒される。
レガントは抗おうとするが、その動きすら捉えられず、一閃が彼の胴を裂いた。
機械が浮き上がる異形の身体は、その力を振るう間もなく、重さに耐えられなくなり、膝を突く。レガントは己の限界を悟りながら、最後にオルクスの剣を見上げた。
「……貴殿と刃を交えられたこと……光栄に思う……」
オルクスは静かに剣を収めた。沈黙の中、力を出し切った剣虎族たちはその屍を晒し、一瞬の静寂が降りた。
しかし、僅かな死者への尊厳や思いすら踏みにじる帝国の魔導機甲が、自動的に作動する。砕けた鋼の残骸、ちぎれた魔導機甲の部品が、まるで蠢く意志を持つかのようにレガントの体の中に埋め込まれた魔導機へと収束していく。レガントの姿かたちを侵し、機械の無機質な破片が融合、異形の魔導機兵へと変貌していった。
黒鉄の異形な巨体が軋みながら起き上がる。意思なきレガントの亡骸がその核と化し、魔導技術によって蘇ったそれは、もはや獣の誇りも魂も持たぬ、ただの破壊兵器だ。
「……惨いことを」
オルクスは寂しげに呟くも、すぐに身構える。魔導機兵の瞳に赤黒い光が灯ると同時に、獰猛な咆哮が響き渡った。
次の瞬間、裂けた口から強烈な魔導砲を放たれ、周囲を焦土に変えオルクスを焼き尽くそうとした。その刹那、白銀の光が間に割り込んだ。
「オルクス様、しばしの合間、耐えて見せます」
ルミナリスが、魔導の杖を掲げ、煌々たる防御結界を展開してくれていた。青と銀の魔力が陣を描き障壁を展開すると、魔導機兵の魔導砲と鋭い爪を弾く。
「助かる、ルミナ嬢。」
オルクスは一歩引き、力をためて魔剣アシュラムを構える。その瞳には迷いはない。
巨大な虎のごとき魔導機甲の集合体は、魔導砲の勢いを強めながら、結界ごと砕くべく、その巨腕を振り下ろした。
その様子を見届けながら、オルクスの口から静かに詠唱が紡がれた。
「刻まれし力名は疾風、勇名は業炎—— ヴェントゥフラメ」
その言葉と共に、魔剣アシュラムが閃光を放つ。渦巻く火焔が周囲を焼き、青白い刃が空間を裂く。魔導機兵の躰を一閃し、鋼鉄の巨躯は瞬時に焼き切られた。
爆ぜる火花、弾ける機構。異形の魔導機兵は、最後の断末魔すら発せず、ただ無機質に崩れ落ちた。
残骸の中、レガントの躰が静かに横たわる。機械の呪縛から解き放たれたその表情は、穏やかな死に顔であった。
オルクスは剣を納め、静かに目を閉じる。
「……戦士として果てることすら、許されぬとは」
その言葉は、死者への弔いか、それとも己への戒めか——
そんなオルクスへ避ける隙を与えず、
「守護剣聖の首、もらい受ける」
声と同時に、戦神の赤い刻印を燃え上がらせたバルグが、黒獅子の咆哮を放った。耳を裂く轟音と共に、衝撃の波が空間を歪ませる。避ける間も、防御の結界を張る暇もない。
「させんっ!」
轟然と響いたガイルの声と共に、焔の鳥が翼を広げ、燃え盛る紅蓮の羽が宙を舞い、炎の障壁がオルクスとルミナリスを包み込んだ。
黒獅子の咆哮は、焔の鳥にかき消されるように霧散する。
間髪を入れず、オルクスは、舞い散る炎の中から疾風のごとく躍り出た。
鮮烈なその剣閃で、黒獅子族の二人を瞬時に切り伏せると、なおも勢いを緩めず、バルグへと迫る。
「アシュラム!」
呼ばれた瞬間、魔剣アシュラムが青白い光を帯びる。オルクスの意を受けた刃は、雷鳴のごとく唸りを上げながら一直線に飛び、バルグの胸を貫かんと迫った。
「グオオオオオッ!」
バルグは吠えた。黒獅子の咆哮が爆風のように吹き荒れ、アシュラムの軌道がわずかに逸らされた。青白い刃はバルグの肩をかすめ、地面に深々と突き刺さる。だが、オルクスの追撃は止まらない。剣を呼び戻しつつ、間髪入れずに踏み込んだ。
「舐めるなよ」
バルグは大きく飛び退き、他の黒獅子族と波のような陣形を組み上げた。連動した獅子たちは、互いに間隔を取りつつ隙間を埋め、どこから攻撃しても反撃できる無駄のない陣形だった。
「ガイル! 各隊に指示を!」
オルクスが叫ぶ。ガイルは焔鳥の加護をまとい、大剣を振り上げながら指示を飛ばす。
「八法円陣! 各々黒獅子族一体に集中し、守勢を崩すな! 防御陣形で拠点の通路を固めろ!」
焔鳥の刃騎士団は瞬時に展開し、壁のような防衛陣を築いた。魔法を織り込んだ鎧と盾が一斉に輝き、拠点内部の狭さが地の利となる。黒獅子族の猛攻を受け流し、隙を突いて槍と刃が突き立てられた。
「ゼイロスめ……」
バルグは喉輪に触れ、低く呟いた。
「端から手強い相手だと見込んでいたな。仕方ない。ロクスで応援要請を掛けろ」
「バルグ隊長、エーテリア・ロクスが通信不能です。何らかの妨害干渉が加えられた可能性が……」
ルミナリスは、杖を額に当て、祈りを捧げているような姿で、黒獅子隊の魔導兵器や装備の機能妨害を図るべく、帝国特有の魔力波を放っていた。
帝国から逃れ、オルクスと行動を共にするルミナリスは、見た目こそアルゲントルム人の少女だが、中身は帝国の最高峰魔導機兵の将官機だ。先程の剣虎族の魔導機械の稼働状況も分析済みで、エーテルの魔力波パターンは既に特定していた。
「ここまでやるとは……」
バルグの声は低く、苦々しさが滲んでいた。それでも冷静さを失うことは無い。
「撤退戦に変更する。敵を威圧しつつ、離脱するぞ!」
オルクスは、ここへ来て敵の部隊が撤退を始めたことに、感心していた。
敵の指揮官の冷静かつ的確な判断力は実に大したものだ。
だが、それを事前に予見し、周到に対策を講じていたルミナリスの戦略眼こそ、さらに驚嘆すべきものだった。ランバートに何か言い含められる時間は無かったはず。それでもルミナリスは、まるで未来を見通していたかのように、敵の意図を見抜いていたのだ。
「……仕方ないのう。時間稼ぎのため、逃がすわけには行かぬか。強敵が相手じゃしな。奥の手を使おう」
オルクスは苦々しく呟きながら、剣を真っすぐ天へと掲げ、単独で前へ飛び出した。迷いはなかった。だが、表情は微かに重く、僅かな焦燥が影を落としていた。
「アシュラム、敵を滅する、源たる力を示せ。オルディネム・テルラエ、メア・アニマム・インフンダム」
魔剣アシュラムはぶるりと震え、青白い稲妻のような光を纏う。その刃がエーテルを吸い込み始めると、空気が震え、重々しい響きが辺りに広がった。それは歌のようであり、嘆きの声のようでもある、魂に染み入る調べが辺りに響き渡る。
音も何もかも奪い取り、光が爆ぜる。一瞬、全てが白く染まった。
誰もが目を背けた。次に目を開けた時には、バルグと黒獅子族全員が、影すら残さず空気に溶け、その存在を消し去った後だった。戦場であるはずなのに、ただ深い静寂が広がるのみだ。
「谷にある〝無″の力と同じじゃ……守護の護符があるとはいえ……こたえるの……」
オルクスはその言葉を最後に、力なく剣を取り落とすと、膝から崩れ落ちた。
「オルクス様」
「師剣聖っ」
ルミナリスとガイルの声が響き、彼らが駆け寄る気配を感じながら、オルクスの意識は深い闇へと沈んでいった。
次回、焔鳥の刃の二人の絆が描かれます。
ここまで読んでいただき、大変うれしく思います。
少しでも面白く読んでいただけたら幸いです。




