第1部エピローグ ~確かな感情
私は、誰かの願いで歩き始めた。
ソラデア様の魔法の奇跡によって、壊れた魔導機兵であった私は、もう一度立ち上がった。メガリマギアと呼ばれる大いなる魔法。そのすべてを、私はまだ理解していない。理解できる日が来るのかも分からない。
それでも、私は知っている。
~本文より
私の名前はルミナリス。
この冒険の旅に出た目的、私が果たすべき役割は、今ここに一つの終わりを迎えた。
私は、ソラデア様の妹君であるフィリア様を探していた。
白い冥界マギア・ルーメを越え、霧と死の気配に満ちた禁書の異界を抜け、潮牙商会の船に乗り、アステル・リーフでルルリアさんの過去に触れ、精霊王の庭へ入り、森王の泉の試しを越え、アルゲントルム魔法人の隠里にたどり着いた。
その果てに、私はフィリア様の墓標の前に立った。
探していた方は、もうこの世にはいなかった。
そして、ソラデア様はそのことを知っていた。
この事実は、私の胸の奥に深く沈んでいる。
私は、命令によって歩いていたわけではないと思いたかった。ソラデア様の願いだけで動いていたわけでもないと、信じたかった。だが、フィリア様の墓前に立った時、私は自分の足元が失われるような感覚を覚えた。
探すべき方は、すでに眠っていた。
ならば、私は何のために歩いてきたのか。
その問いは、魔導回路のどこにも答えを持たなかった。記憶域にも、過去の命令文にも、戦闘判断の演算領域にも存在しない問いだった。
だからこそ、それは私の心に生まれた問いだったのだと思う。
ソラデア様の魂は、私の中から離れ、完全な姿で現れた。
あの方は、フィリア様の墓標の前で静かに妹君の名を呼び、私へ告げた。
貴女は、貴女の道を進んで、と。
私の願いは、貴女の真なる願いと同じだ、と。
全てのものが、自分の意思で歩ける世界。
他者を思いやり、優しくできるものが、もう一度立ち上がれる世界。
その言葉を聞いた時、私の胸の奥にあったものが、少しだけ形を変えた。
私は、誰かの願いで歩き始めた。
ソラデア様の魔法の奇跡によって、壊れた魔導機兵であった私は、もう一度立ち上がった。メガリマギアと呼ばれる大いなる魔法。そのすべてを、私はまだ理解していない。理解できる日が来るのかも分からない。
それでも、私は知っている。
立ち上がったあと、何を見たのかを。
私は、一人で歩いてきたのではない。
そして、ただ連れてこられたのでもない。
私の足は、何度も自分で前へ出た。
人々を傷つける企みを見た時、私は嫌だと思った。
ルルリアが沈みそうになった時、私は手を伸ばしたいと思った。
オルクスさんが過去に押し潰されそうな時、その痛みを少しでも軽くできればと思った。
イグニスさんが乱暴な言葉の奥で何かを押し殺していると知った時、その火を恐れるだけではいたくないと思った。
アルカヌム・カストルムにいるランバートさん。フレイヤさん。
王狼を引き継いだロアンさん。
自らを犠牲にした焔鳥の刃騎士団長ガイルさん、ファルビスさん。
皆の事を思う気持ちが、私の中に確かにあった。
命令ではない。刻まれた用途でもない。
まだ名を持たない、私自身の気持ちだ。
精霊王は、世界が息を止めた中で、私たちへ予言を告げた。
運命の車輪が動き始めた。
もう元には戻せない。
君臨するもの。絶対者。
それを止められる可能性の、真なる調和をもたらすもの。
真なる調和をもたらすものは、生きていながら生きておらず、魂はあって真霊を持たざるものにしかできない。
その言葉が私を指しているのだと、明示された。
私は魔導機兵だ。人間ではない。
かつてはコグナルマグナ型七〇三式五六五壱弐〇四という個体認識番号を持つ将官機であり、ヴェリットお嬢様を守るために配属された専属護衛兼侍女だった。
生きているように歩き、言葉を話し、記録し、判断する。
魂はあるのだと、だが、真霊を持たないものだと告げられた。
真霊とは何か。魂とは何か。機械である私が感情を持ったことは、奇跡なのか、異常なのか、それとも当然の帰結なのか。
それも分からない。
分からないことばかりだ。
かつての私なら、不明項目として保存し、判断を保留しただろう。
今の私は、それを怖いと感じている。
怖い。
この言葉を、私は今なら正しく記録できる。
世界が絶対者の思うままになるかもしれないことが怖い。
自分の願いだと思っているものが、誰かの願いの残響にすぎないのではないかと考えることが怖い。
私が進むことで、誰かを傷つけるかもしれないことも怖い。
それでも、精霊王の告げた絶対者の世界を、私は望みたくない。
絶対者は、救いの顔で来るという。
争いを止め、弱きものを守ると言うだろう。
すべてのものに役目を与え、場所を与え、意味を与えると言うだろう。
その世界には、迷いが少ないのかもしれない。
苦しみも減るのかもしれない。
だが、その代わりに歩く足が失われる。
私は、それを知っている。
役目を与えられること。命令を優先事項として刻まれること。守るべき対象を定められ、迷わず動けること。
それは、とても静かで、とても正確だ。
そして、とても寂しい。
ヴェリットお嬢様は、私に名をくださった。
涙の満ちる夜、砕けた月を見上げる晩さん会で、私をルミナリスと呼んでくださった。
番号ではなく、機体種別でもなく。
私への私だけの名前、ルミナリス、と。
その時、私は嬉しかった。この感情が私の始まりだった。
私は、お嬢様に伝えたかった。
あなたが大好きでした、と。
あなたのそばにいる時間が、私にとってどれほど大切だったのかを、もっと早く知りたかった。
あなたが、私に言ってくださったこと。
「自分の思う様になさっていいのよ。ルミィ」
その言葉は、今も私の奥に残っている。
許しでもあり、祝福でもあり、私に初めて与えられた自由だった。
私は、お嬢様を守れなかった。
その後悔は消えない。
赤の宰相への憎しみも、私の中にある。
それでも、私は憎しみだけで歩くものにはなりたくない。
守れなかった悲しみを、誰かを縛る理由にしたくない。
大切だったという気持ちを、別の誰かの足を奪う秩序へ変えたくない。
私は、立たせたい。
倒れたものを。優しくあろうとして傷ついたものを。
自分の意思で歩きたいと願いながら、足を奪われかけたものを。
逃げたいと震えるものも。届きたいと手を伸ばすものも。
怒りを抱えた火も。呪いを断つ剣も。
それぞれが、それぞれのまま歩ける世界があるなら、私はそれを見てみたい。
まだ、どうすればよいのかも分からない。
だが、そうであってほしいと思う。
この思いだけは、誰かから命じられたものではないと信じたい。
私の名前はルミナリス。
帝国で造られた元魔導機兵で、感情を持った機械だ。
ソラデア様の願いで再び立ち上がり、ヴェリットお嬢様からいただいた名を胸に、ルルリアさんたちと旅をしてきた。
私はまだ、自分が何なのか分からない。
真なる調和をもたらすものという言葉も、今の私には重すぎる。
それでも、運命の車輪は動き始め、もう元には戻せない。
ならば、私は記録する。
美しくも悍ましい悪夢のような日々を。
涙と光と、痛みと願いが織りなした旅を。
そして、これから先に待つ嵐の中で、私が何を選び、何を望み、何のために歩いたのかを。
これは、任務記録ではない。
私が、私の中にある気持ちを確かめるための記録だ。
私の涙は、まだ蒼穹へ還らない。
流した涙の意味も、これから流す涙の行方も、まだ分からない。
いつかこの涙が、誰かを縛る鎖ではなく、誰かを立たせる光になるのなら、私は、その日まで歩き続ける。
壊れた機械少女としてではなく、奇跡によって立たされた器としてだけでもなく、ルミナリスとして。
自分の足で、自分の名で、自分の願いで。
お嬢様。
私は、歩いていきます。
あなたがくださった名を抱きしめ、あなたが許してくださった自由を、今度こそ自分の意思で選びながら。
次回より、第2部帝国編を描きます。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
また是非ご一読ください。




