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封縁乙女と学園の呪いたち  作者: コハレルギー
第五章 水の記憶

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第1話 花壇の香り

 夏の放課後だった。


 久遠女学園の校舎は、夕方の光にゆっくりと染まり始めている。昼間の賑やかさが嘘のように、廊下には静かな空気が流れていた。


 その校舎の脇に、古い花壇がある。石で囲まれた小さな花壇。手入れはされているものの、どこか年季の入った場所だった。


「ねえ星蘭」


 隣を歩いていた朱音が、ふと足を止めた。星蘭も立ち止まる。


 夕方の光が花壇の石に長い影を落としていた。二人の足元には、花壇の縁にかかる影が三つ、静かに伸びていた。だが、それに気づく者はいなかった。


「最近さ、裏山の噂知ってる?」


 星蘭も足を止める。


「噂、ですか?」


「うん。ほら、夏になると出てくるやつ」


 朱音は花壇を覗き込みながら、少し楽しそうに続けた。


「女の子のすすり泣く声が聞こえるんだって」


「……それはまた、ベタですね」


「でしょ? でも面白いのはさ」


 朱音がくるりと振り向く。


「歩いてると、自分の足音の他にもう一組聞こえるんだって」


「……もう一組?」


「うん。でも振り向くと、誰もいない」


 朱音は肩をすくめた。


「あと、夕方になると甘い匂いがするんだってさ」


 そう言って、花壇の花を指さす。


「これ」


 白い小さな花だった。水辺の植物のような、静かな形をしている。


「水辺の花みたいね」


 朱音が笑う。


「きっと誰かのイタズラだよ。夏の定番怪談」


 星蘭は何も言わず、その花を見つめていた。そして、そっと身を屈める。鼻先を近づけた。


 香りがふわりと広がる。柑橘のような甘さ。そこに白い花の静かな香りが重なっている。


「……ん?」


 星蘭の表情がわずかに変わった。


「どうしたの?」


 朱音が首を傾げる。


 星蘭は花を見つめたまま、小さく呟いた。


「……この匂い」


「うん?」


「昔、嗅いだことがある気がします」


 朱音が笑う。


「そりゃ花だしね」


「ううん」


 星蘭はゆっくり首を振る。


「もっと……」


 言葉を探すように目を細める。


「夏の匂いと、冷たい水の匂いが混ざった感じ……朱音は記憶にありません? 夏の……裏山で?」


 朱音が少し不思議そうな顔になる。


「そんなとこ行ったっけ?」


「……朱音は覚えてないですか?」


「うーん」


 朱音は腕を組んだ。


「星蘭と裏山行った記憶とか、私ないよ?」


 星蘭も少し困ったように笑う。


「……私も、ないはずなんですけど」


 それでも、どこか懐かしい。


 そのときだった。


 朱音の目が、わずかに揺れた。


「……星蘭」


「うん?」


 朱音は花壇の影をじっと見ている。


「今……この花の周り」


 声が少し低くなる。


「人影みたいなのが、動いた」


 星蘭も影を見る。だが、何もいない。


「気のせい?」


「……かも」


 朱音はそう言いながらも、視線を外さなかった。


 風が止まっている。花壇の葉は、まったく揺れていない。まるで、この場所だけ空気が閉じているようだった。


「ねえ」


 朱音が小さく言う。


「やっぱりさ」


 少しだけ声を潜める。


「調べてみない?」


 星蘭が目を瞬く。


「裏山?」


「うん」


 朱音は笑った。


「夏休み前に片付けといた方が、後で楽じゃん」


 星蘭も笑う。


「それは確かに」


 二人は花壇を離れた。


 その瞬間だった。


 風が二人の間を吹き抜け、甘い香りが、背中を追ってくる。優しく。そして、どこか執拗に。


 まるで――呼んでいるように。



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