裏外伝 詞縁の調律者 前編:言葉の棘と、小さな願い
久遠女学園の高等部2年、神薙美海は、学園の裏側にある日本庭園の片隅、K.G.S.のメンバーが隠れ家的に利用している茶室で静かに佇んでいた。
彼女は、レースとフリルを多用したゴスロリの洋装に身を包んでいる。これは、彼女の詞縁の力を最大限に引き出すための魔術的演出であり、服飾文化表現課外研究生としての活動の一環として、学園に許可を得ている。
美海の耳には、生徒たちの囁き声、そして「小さな願い」の呪いが、無数の言葉の棘となって届いていた。この呪いの波動は、数日前から、静かに、しかし確実に学園中に広がり始めていた。
その時、茶室の結界を叩く、焦った霊力の波動があった。
「美海お姉様! 助けてください!」
入ってきたのは、中等部3年の中峰陽子だった。陽子は美海の姿を見て安堵したが、表情は切羽詰まっている。美海は、陽子のその慕う眼差しを静かに受け止める。
「どうしたの陽子。ワタシの前でそんなに慌てる必要はないから。お茶でも飲みなさい」
美海は、その憧れの存在としての風格を崩さない。陽子にとって、美海は言葉の力で世界を変える、憧れの存在なのだ。
陽子の親友である七瀬麻衣が、「小さな願い」の呪いに巻き込まれ、精神的に追い詰められているという。
「麻衣が……急にみんなから無視されるようになったんです。実は麻衣は、クラリスお姉様のことが大好きで、部室の周りをウロウロするのを日課にしてるんです」
話を聞いた美海は、呆れたように白い日傘の先で床を小さく突いた。
「ストーカーか! え、自業自得とかじゃなくって?」
「あ、美海お姉様! そんな冗談を言ってる場合じゃないです!」
陽子が焦って訴える。
違うのかと、顔には出さずに返事をした。
「もちろん冗談よ?」
美海は静かに目を閉じた。
「それで?」
「それで、その日課のせいで誰かが『麻衣の声を誰も聞かなくなればいいのに』って願ったみたいで……。みんな、麻衣のことは見えてるのに、声だけが、聞こえないみたいなんです!」
「ふーん。麻衣の想縁が、呪いを呼び込んだのか。対象の存在の認識を歪ませる、高度な言霊の操作よ」
◆
美海は、陽子から麻衣の状況を聞き終えると、白い日傘を広げ、ゆっくりと立ち上がった。
黒いレースとフリルに包まれたその姿は、まるで古い洋画のワンシーンのように、静謐な美しさを放っていた。
「《詞縁・言ノ調律》」
美海の口から出た言葉は、周囲の縁に存在する全ての「言葉の残響」を解析し始めた。
彼女の脳内で、無数の生徒たちの「小さな願い」の言葉が、巨大なエネルギーの流れとして可視化される。美海は、その淀んだ流れを遡り、歪みの構造を辿っていく。
そして、その流れの源流に、言葉を集めて増幅させている、ただ一人の少女の姿が浮かび上がった。美海は、複数の詞縁を同時に操ることができる能力を使い、一気に深層の情報へとアクセスした。
御堂更紗。彼女は、呪いを広めることで、学園中の『縁のエネルギー』を集めていた。美海の解析は、その目的さえ暴き出す。
「目的は、この学園に隠された『封印の間』の破壊。そして、更紗の双子の妹、御堂紗栄子が、鏡の力を利用して呪いの中心にいる存在。御堂姉妹は、生徒たちの願いを集め、その力で学園のどこかにあるという『封印の間』の結界を破壊し、紗栄子が封印の核を奪おうとしている。これは、記憶操作と呪縛を組み合わせた、巧妙な術式ね」
美海は、陽子に麻衣の呪いを解くための呪歌を指示した。
「陽子。麻衣を救うために、この短歌を麻衣の耳元で繰り返し歌いなさい。これは《詞縁・憂夢ノ朗詠》。麻衣の記憶を操作し、呪いの残滓を『誰もがあなたを愛する世界』という夢で上書きする」
◆
美海は、陽子に呪歌の詠唱手順を厳重に伝え終えると、茶室の戸を静かに開けた。
「美海お姉様はどこへ?」
陽子にちらりと視線を向け、まるで散歩へ赴くような気軽さで呟く。
「この呪いの実行犯であり、全ての術式を制御している更紗の元、よ。根源を断たなければ、麻衣と同じように呪われる生徒は増え続ける」
「美海お姉様……! 私も行きます!」
陽子が立ち上がろうとする。
「いいえ。陽子は麻衣を助けるのが先決よ。そして、あの『封印の間』は容易に辿り着ける場所ではないわ。更紗が結界を崩す前に、ワタシがあの子の言葉の鎖を断ち切る」
美海はそれを制した。
茶室から日本庭園に出た美海は、白い日傘を閉じ、最短ルートである旧校舎の裏手に駆け出した。短いスカートの裾が、風になびく。美海は、陽子から状況を聞いたその日の内に、この問題に決着をつけるつもりだった。
彼女が向かう更紗の居場所は、学園の霊力の要。時間が無い。
美海は、自身の力を最大限に高めるために、心の中で静かに詠唱を始めた。
「《詞縁・起動詠唱》。我が言葉よ、調律の縁となれ……」
最強の封縁乙女の出陣であった。




