裏外伝 詞縁の調律者 中編:言霊の盾と、謎の乙女
美海が旧校舎の裏手通路に到達した瞬間、通路全体を覆うように、無数の悪意の言葉が物理的な障壁となって美海の行く手を阻んだ。それは、生徒たちの「小さな願い」によって生み出された、嫉妬や憎悪の言霊が具現化した、言葉の棘の壁だった。
その直後、美海の全身を、激しい霊力の波動が貫いた。まるで学園全体が悲鳴を上げたかのような激しい乱れ。
この時、保健室では、木島かおりが御堂紗栄子を倒し、その力を鏡ごと奪い取っていた。この力の変動が、学園の縁の波動を大きく乱し、更紗が仕掛けた言霊の罠を一気に強力なものへと変質させたのだ。美海は、この急激な事態の変化を、冷徹な知性で瞬時に理解する。
(――紗栄子に異常が発生した? 更紗が制御を失い、悪意が暴走した)
美海は、ゴスロリの袖を翻し、二つの詞縁を同時に操った。彼女の冷静な瞳が、目の前の障壁の構造を瞬時に見抜く。
「《詞縁・言ノ調律》、反転」
「《詞縁・集約ノ誘惑》」
美海の言霊が、通路に張り付いた全ての悪意の言葉を一瞬で反転させ、そのエネルギーを自身を守る光の盾へと変える。そして、光の盾は一瞬の爆発と共に、彼女の進路を塞ぐすべての障壁を消滅させた。通路を走る美海の後ろに、崩壊した言霊の残滓が紅紫の光となって霧散していく。
◆
障壁を破った美海が封印の間への最短ルートを駆け抜けていると、通路の先に一人の少女が立ちふさがっている。起動している《詞縁・言ノ調律》が美海にその正体を伝える。
中等部3年、志村桃子。御堂姉妹の幼なじみの少女。彼女の霊力は、縁を物理的に固定する、異質な波動を放っていた。それは美海の詞縁とは対極にある、硬質な縁の力だ。
「神薙美海。これ以上、この先へ進むのはやめてもらうわ」
桃子は、冷たい視線で美海を睨みつけ、彼女自身の縁力で作り上げた、重厚な『縁の障壁』を美海の前に展開した。それは、先の言霊の壁とは比べ物にならない、純粋な力の壁だった。
「私の術は、縁力を特定の場所に固定する結儀式よ。あなたの詞縁のような感情依存の縁では、この障壁は破れない」
美海は、桃子の力に驚愕し、わずかに表情を引き締めた。美海自身の解析でさえ、この結縁という術式は、失伝した古代の術だと認識している。封縁乙女たちの縁力も、この結縁の発生系である。
「あなた…… まさか、『結縁使い』?」
◆
桃子は、一歩も引かない。
「私の術は、縁力を特定の場所に固定する。あなたの言霊が、どんなに言葉を弄しても、『目の前の壁は動かない』という縁の真実を捻じ曲げることはできない!」
桃子は叫んだ。彼女の顔には、更紗を守ろうとする強い決意と、わずかな迷いが滲んでいる。
美海は、桃子の瞳の奥に、更紗への深い後悔の念が込められていることに気付いた。桃子は、更紗を救うために美海を止めようとしているが、その根底には更紗の歪みを許した自己への後悔がある。
美海は、決断した。この物理的な壁を破るには、桃子の感情に干渉する記憶操作の言霊を放つしかない。言葉で現実をねじ曲げることができないなら、言葉で相手の意志をねじ曲げる。それが最強の詞縁使いが選ぶ、非情な調律だった。
「わかったわ。その覚悟、受け取る。でも、あなたの言葉は、後悔の鎖に繋がれているわ、志村桃子」
美海は、ゴスロリのスカートを翻し、桃子の眼前に立ちふさがった。
「《詞縁・鎖詠ノ呪言》」
美海の詠唱の言葉が空間に響くと同時に、淡い紅紫の光が舞い、言葉の残響が輪となって宙に漂い始めた。それは、美海がかつて言霊を悪用した教師を打ち砕いたときと同じ、支配と命令の言葉で構成された、暴力的なまでの言霊の詠唱。
「ワタシの言葉は、縁を縛る鎖。あなたを縛る『均衡』という偽りの言葉を、今、ワタシが解き放ってあげる!」
桃子がどんな事情でこの場に立っているかなど美海には関係がない。悪は断ずる。それが黒薔薇の断罪者の役目なのだから。




