封縁乙女、射る(前編)
※この話は「封縁乙女と学園の呪いたち」第二部のプロローグです。
霊や想念から生まれた存在〈想妖〉との新たな戦いが、いま始まります──。
旧校舎の玄関ホールは、月光に照らされて冷たく静まり返っていた。
レンガの壁に沿って並ぶ歴代学園長の肖像画たちが、まるで生きているかのように佐々木葵をじっと見つめているように感じられる。
深緑のブレザーに藍色のリボンタイ。
久遠女学園高等部一年生、佐々木葵は、旧校舎の一室にある倉庫で遅くまで担任に頼まれた資料の整理をしていて、いまようやく帰るところだった。
月明かりの中、葵の黒髪が肩甲骨のあたりでふわりと揺れる。
しなやかな指先がそれを抑える様子は、どこか儚げな雰囲気を纏っていた。
「……なんか、変な感じ……」
玄関ホールに入った瞬間から、葵の霊感がざわついていた。
粘つくような視線が、空気の奥に潜んでいる。
(肖像画が見てる?)
そんな気配に目を向けると、視線の主が動いた。
肖像画の瞳が、わずかに揺れ──
その刹那、ホール中央に据えられた戦国時代の甲冑から、ガシャンッと重い金属音が響いた。
「……先輩が居るときにして欲しいよね」
この場にいない先輩を軽く恨みながら、葵は足を止める。
音のした方向からは、ぞわりと恐ろしい気配が漂ってくる。
中身のないはずの鎧が、動き出していた。
このホールから出るには、どうしてもその前を通り過ぎるしかない。
ならば、やることはひとつだけだった。
「覚悟完了、なんてね?」
葵は好きな漫画の主人公の台詞をまねて、おどけて見せた。
それは恐怖を鎮めるための、大切なルーティンだった。
だが次の瞬間──
鎧は完全に立ち上がり、その手には大刀が握られている。
ゆらりと立ち昇る気配が、ホールの空気を黒く濁らせていく。
その鎧を動かしているもの、それは、ただの霊ではなかった。
誰かの強い想念が形を取り、現世に顕現したもの。
想妖──人の記憶、未練、愛憎、哀しみ……あらゆる“想い”から生まれた妖。
本来、血肉を持たぬそれらが、現世の因果に触れることで“形”を得て、人に害をなす。
葵は、それを知っていた。
だからこそ──逃げなかった。
彼女は静かに息を吐くと、足を揃えて立ち、肩の力を抜く。
風が止まり、空気が凪ぐ。
その所作はまるで、一輪の花が風に向かって凛と咲く瞬間のようだった。
華奢な身体に似合わぬ静かな気迫が、彼女の輪郭を際立たせていく。
長い睫毛が伏せられ、吐息一つで場の気配が変わる。
(想いを、形にして放つ。私の縁力は──想縁)
「……大丈夫。私は、逃げない」
呟いたその瞬間。
葵はすっと左手を前に伸ばし、右手を肩口まで引く。
何もないはずの空間に、ピンと張った弦のような気配が生まれる。
まるで見えない弓に矢をつがえるような、研ぎ澄まされた動作。
それは、彼女だけの術の構え。
封縁乙女・佐々木葵が縁力を発動する際の、静かで美しい姿──風射の型。
「《想縁・蒼穹ノ想弓》──」
足元に、淡い蒼の光輪が浮かぶ。
空気が震え、弦の響きが空間を裂く。
右手に握られるのは、想いの矢。
それは形のない、だが誰よりも強い、彼女自身の心。
葵はその矢先を、目の前の想妖へと静かに向ける。
次の瞬間──
光も音もなく、ただ想いだけが風を裂いた。
そして──
新主人公・佐々木葵を中心に物語は、想妖との闘いに移っていきます。
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