第十三話、竜神様の世界。
☆
切れた意識が戻る。気を失っていたのか、気絶していたのか、意識を無くしていたのか。全部同じ意味だね。
何が起きたか、おそらく一瞬の断絶を経て意識が現実に戻る。
視線は前に置いて、視界だけ広めて周囲を確認する。上下左右、後ろを除いた見える範囲すべてから情報を拾う。
怪異と相対していると空間移動なんて当たり前なので、こうした、目の前から気を逸らさず周囲を警戒する手法は自然と身についてしまった。我が事ながら悲しい。僕は一般人だ。あ、今は一般守護霊だったかも。
上は陽の光が柔く揺れる海面。下はゆらゆらと揺蕩う海面。ちょんと足を立てるとさざ波が立つ。やはり海面だ。左右に壁はなく、どこまでもどこまでも同じ海が続いている。魚の姿もなければ植物も砂も、生物から無生物まで何一つ存在していない。あるのはただ、海だけ。
そして目の前にいる竜。巨大で、巨体で。深い知性を宿した青の瞳が僕らを見つめている。
【人の子。我が海を直したようだな】
神様特有の人の頭に直接話しかけてくる感じ。
「申し訳ありませんでした。私たちの不用意な行動により今の状況を招いてしまいました。既に修繕は終えたと耳にしましたが、竜神様の方でも確認はできたのでしょうか」
【ああ。我も崩れ穿たれた龍脈の影響を受けてしまっていた。よく我が護りを超えて来られたものだ。感謝しよう】
そっと目礼する。さっきまでの暴れっぷりからは想像できない温厚な様子だ。完全に理性は戻ったのだろう。
【しかし我を竜神と呼ぶか……。我に名はない。お前たち人の子がそう竜神と呼ぶのならばそれで構わん】
リィムさんが問う前に竜神様が短く顔を横に揺らし答えた。
一人と一神の対話は続く。
途中まで横で会話を聞いていて、あれ、普通に会話の意味わかるじゃんと衝撃を受けた。神様はともかく、リィムさんの声が日本語として……いや日本語じゃないのか。たぶん神様パワーで理解できるようになっている。とにかく会話を意味として理解できる。
星脈(龍脈)はどうなってるのかとか(修繕済み)、ここはどこなのかとか(竜神様の領域)、他の人はどこにいるのかとか(レメイラにいる)。
疑問と解答がセットの会話は滞りなく進み、今は深満様のなんやかんやについて話している。
『……ツィヤとクゥレは大丈夫かな』
レメイラで普通にしていると言っても、心配になるのも仕方ない。特にツィヤなんて僕をアンカーにしてるようなものだから、大丈夫だろうか。
『――シー。お呼びでしょうか』
『うわああ!!?』
『ジンゴ?どうかしましたか?』
『わはは、ジンゴがひっくりかえってる。しんださかなみたいだな』
考えていたら、ぬぅっと横から二人が現れた。まだ心臓がドキドキしている。霊体だから心臓ないけどね!
『……はぁぁ……君ら、いたの?』
『シー。はい。異空間への移動を感知したためわたしも随行しました』
『われはふつうにぴょいってとんできたぞ。よゆうー』
ピカピカ光るツィヤはさておき、ドヤ顔で胸を張るクゥレはほっぺたをむにむにしておいた。にゅわぁーともがもが楽しそうな妖精で遊ぶ。
『……まあ、うん。そうだよね。君ら僕の尺度で考えられる存在じゃなかったね』
ずっと近くにいて普通に話してたから忘れてた。この二人、部類としては人間じゃなくて超常寄りだったんだよね。しかもツィヤはたぶん超越存在でも上位に来るレベル。クゥレは……。
『んぬふふ、なんだ。ジンゴ、もっと遊んでもいいぞ』
『はいはい』
ぴゅーっと空へお手玉。わはわは笑っていてずいぶん楽しそうだ。
クゥレは超越存在だとしても、なんか力だけ有り余ってる子供みたいだね。それ、より質悪いじゃん。
『ていうか、竜神様って僕らのこと見えてるのかな』
実はさっきからちょこっと思ってたこと。
リィムさんとお喋りしているだけだから僕のこと見えてない可能性がある。それならどうしようかなーと思ったり。神様には僕のレメイラへの繋がりみたいなものを聞いてみたかったんだけどね。レメイラの神様なら知ってるかもしれないし。
『ジンゴ、竜神様にわたしたちは見えていますよ。前を見てください』
『え?うん』
横から前へと視線を移動させる。
僕らはリィムさんの斜め後ろ上空で待機していたので、ちょうど真ん前に竜神様の目が来るようになる。というか、今ものすっごく目が合ってる。
『見えてるじゃん』
『シー。はい』
【お前たちの会話も聞こえているぞ、イワミジンゴ】
「――――え?」
目が合ったことも会話を聞かれてたことも驚いたけど、それ以上に僕はもう一つの声に気を取られてしまった。神様以上に僕が優先するものは決まっている。
「いわみ……石海、甚伍?」
困惑に満ちた瞳が僕を捉える――正確には僕らの居る辺りの空間を。
視線が絡むことはない。だけど、彼女の……リィムさんの言葉に僕は驚いた。
『リィムさん……?』
わからない。どうしてそんな困った顔をするのか、困った目で僕を見るのか。どうしてそんな――……僕の本名を知っているのかのように名前を呼ぶのか。
「あ、あの。私の近くにどなたがいるか教えていただけますか?」
【構わん。一人目は異界の人の子だな。名前はイワミジンゴと言うか。二人目は……粒子雲霊種と言うのか。名前はクゥレ。三人目は……なるほど、共星種、ツィヤか。人の子よ、面白い者たちを連れている】
びっくりだよ。全部ばれてるじゃん。どうなってるんだこれ。
悩む暇なく、リィムさんが目を見開いて僕を見ていた。何か愕然としたような表情。今の話、そんな驚くべきところあった――あ、僕、精霊って設定だったかも。
「……甚伍?」
冷や汗を垂らしそうな僕に、そっとリィムさんが呼び掛けてくる。
ぐっと喉が詰まる。綺麗な顔が、疑問と不安と混乱と困惑と、重ねた戸惑いで染められていた。
『いっつぅ』
ぴしりと頭が痛む。
頭を押さえ、同時、歪んだ視界でリィムさんが頭を押さえしゃがみ込んでいるのが見えた。
【何?……そういうことか。ますます面白い人の子よ。条件は時間……否、異界との縁か。なるほど。我とは形が違うようだが、神は神か。ならばこれもまた縁か】
朗々とした呟きが頭の中を流れていく。結構響くからやめてほしいんですけど……でも何かすごい大事な話してるような気もするんですけど。……やばいな、全然聞き取れなかった。
【エリュゥレウム・シィリスィテラ、イワミジンゴ。お前たちの時間をもらうぞ】
ちょっとまた聞き捨てならないセリフがっ……ぅ……――――。
☆
ミンミンと、ジリジリと。蝉が鳴いている。
梅雨が明け、夏にはまだ少しだけ早い季節。直射日光を浴びれば汗が滲み、むっと立ち込めた熱気に顔が火照る。それでも外を歩くのに支障はなく、木陰へ避難しなければ、と思うほどでもない。そんな、季節の変わり目の晴れたある日。
日本、東京都宇美花市、宇美花神社。
縁結びの神様を祀る神社としてそこそこ知られている神社だ。全国規模ではないが、知る人ぞ知るパワースポットとしてガイドブックに載っていたりもする。
休日の宇美花神社にはそれなりの参拝客が訪れる。境内を広く自由に開放している場所と知られているため、普段から厳かというよりは賑やかと言える様相を呈していた。
小さな椅子を起き絵を描く人、ぼんやりと休憩する人、三脚を立てて写真を撮る人。
出店や露店、遊具があるわけでもないので穏やかな雰囲気に満ち、小鳥がひょいひょいと石畳を歩く姿からは神社よりも自然公園を彷彿とさせる。
のんびりとした空気の中、一人の子供が境内を歩いていた。賽銭箱にお金を投げ、目を閉じ祈りを捧げる。
願い事は一つだけ。
少年の心の声は聞こえないが、何を願っているのかはわかる。わかっている。
『友達か……』
友達が欲しい。子供らしく、けれど子供にしては寂しい願いだった。
祈る少年の背を眺めながら、太陽の光を浴びる場所に僕はいた。
少年の名前は石海甚伍。僕の名前も石海甚伍。あの子供は、僕だ。
過去の自分を見つめ、これからの展開を思う。
すべてを思い出した僕には、今から何が起こるのかすべてわかっている。
齢にして五つの少年、僕。
怪異はともかく既に妖怪を知っていた当時の僕は、周囲から逃げて神頼みと宇美花神社までとぼとぼ歩いてきたのだ。
友達がほしい。自分をわかってくれる友達。別に守ってほしいとか助けてほしいとかそういう思いは……いやあったか。あったかもしれないけど、それ以上に自分をわかって一緒に話してくれる友達がほしかった。本当に、ただの子供だったんだ。
ぺこりと頭を下げて拝殿を離れる少年。小さな背中を追う幽霊。
どうも今の僕は、本当の意味で誰の目にも映らないらしい。いやレメイラでもほとんどの人に見えないから同じだね。寂しい。
少年は歩く。向かうのは家だ。というかもう帰るだけだ。が、昔から僕という人間はトラブルに付き纏われるもので。妖怪を知っている時点でお察しである。
「うわああああ!」
悲鳴と逃げ走る音。走る子供と、追いかける一つ目の大きな影と、ストーキングする幽霊(僕)。
少年が逃げた先は小さな公園だった。ていうか美花公園だった。今でさえ見知った公園だが、当時の幼い僕にはずいぶんと広く大きな公園だったことを覚えている。あと、後ろの妖怪は確実に子供をからかう善良な妖怪だ。
まあ妖怪だからね。人を驚かせたり弄んだりするのが仕事というか趣味というか生存意義というか……。
問題は、昨晩から朝にかけて降った雨による水溜まりが公園内にあったことだ。
キーワードは神社、縁結び、水鏡。
神社のすぐ近くの公園で、世界を映す鏡代わりとなる水溜まりがあって、縁結びの神様に祈ったばかりの人がいて、まだ夢を見て夢に生きるような幼子で、しかも妖怪なんていう異常に縁がある。
『……そりゃそうなるか』
自分で言っててびっくりしちゃった。
水溜まりを見て避けようとして、足を滑らせて転んで。水面の青い瞳を見て沈む。とぷり、ともどぼん、とも。どちらとも取れる音を残して少年は消えた。同時に僕の視界も切り替わる。
「わああああああ――っぷへ!?」
間抜けな声を出して少年が落ちたのは水のクッションの上。
白を基調とした広場の隅。人気の薄い空間で、一人しょんぼりしながら水人形を作っていた少女の前に、少年は落ちた。
「え、え。な、なに?誰?だ、誰!?」
「いつつ……うぅ……」
警戒心たっぷりの少女と、痛そうで悲しい顔の僕(幼年期)と。
金髪に青い目の、幼くも可愛らしい顔立ちをした、今の僕がよく知る人に似た顔の少女。
「え、えっと……え。いや、え。……え。だれ?」
「あ、あなたこそ誰?」
「ぼくは甚伍。石海甚伍。きみは?」
「私はリィム。……あなた、変なところから落ちてきたわね。海じゃないし……どこから来たの?」
「こうえんからだよ。あ、そ、そうだ!へんなのがおってきてたんだよ!へんなのが……え。うみ?」
呆然と、遠く広がる海を――レメイラの海を見て口を半開きにする僕。同時に幼いリィムさんを見て頬を緩める僕。リィムさん、ちっちゃくても可愛いですね!
ふざけた思いはさておき、これが原初の記憶だった。思い出、と言ってもいい。
僕はレメイラを知っていた。リィムさんを知っていた。
半年前が始まり、半年前が初めてなんかじゃなかった。五歳の頃、既にレメイラを知っていたんだ。レメイラに訪れて、リィムさんと話して、リィムさんと……リィムさんと、友達になっていた。
縁結びの神様に願ったことは、しっかりと完璧に叶えられていたんだ。
じゃあどうして覚えていなかったのか。すっぱり忘れて、心の底から初対面だと思い込んでいたのか。そんなの決まってる。
『神様への願いは、いつだって試練が伴う』
二人が並んで歩き出すのを最後に、世界は薄れていく。色が消えていく。




