第三十一話、少年と私と夕枯れ退治②
橙色の夕日が沈んでいく。
空が茜色に染まる。
綺麗な青色と、薄まりながら広がる橙色と、二つが溶け合い混ざり合う黄色と。深まる紺色の大空を照らすように太陽が遠くへ沈んでいく。
雲一つない晴天の夕焼け空に、丸く輝く恒星が揺らめいていた。
『――綺麗ね』
(うん。綺麗だ)
短い呟きに隣から同じ感想が聞こえてくる。
夕方という時間を過ごすことがなくなって一か月以上。宇美花市の外で見る機会はあっても、毎日過ごす時の中で見かけることはなくなってしまっていた。
だからこそ、こうして偽物の夕日であっても、作られた夕焼け空であってもその美しさには目を奪われてしまう。
(守護霊さん)
『ん、わかってる』
見惚れて緩んでいた思考を現実へ、"夕枯れ"へと持っていく。
前回と同じだった。
天狐ちゃんたち妖狐による霊海と現実世海の限定的な位相同期。偽りの夕方の再現と――"夕枯れ"の釣り出し。
学習能力がないのか、それとも前回の出来事が"夕枯れ"に一切の痛痒を与えていないのか。
どちらにせよ、ここまで想定通りに物事が進んでいることは確かだった。
『相変わらずおかしな見た目におかしな力してるわね……』
呟き、現れた怪異を見上げる。
赤黒く、球体型で全身を長毛に覆われている。流動的に動く羽毛は時折歪み解け、液状となって夕日の光を呑み込む。
一度目に見た時、あの羽毛はもちろん感じる力の波濤の源にさえ考えが及ばなかった。
あれから約三週間、考える時間は山ほどあった。
羽毛の正体はおそらくヒクイドリを元にした火喰いの概念由来で、力の源は龍脈由来と太陽由来と火喰いの力と他色々。きっと私たちが知らないものも混じっている。
重要なのは混ざり合った力が計り知れないものになっていて、混沌の力(命名私)として存在している点。
あのエネルギーをどうにかするには、それこそ単純なエネルギー量で同程度のものをぶつけるしかないと思うんだけど……。
(守護霊さん守護霊さん)
『はいはい、なに?』
考えるのを止め、お隣に意識を移す。
(桔葉君の方の霊力やばくない?)
『え?――――っ、え?なに、あれ?なんで私、あんなの気づかなかったの?』
ぞっとした。鳥肌が立つような圧倒的な霊力の塊。しかも上空の夕枯れと違って力が完璧に制御されている。こぼれることなく、一切を閉じ込めて一種類の"霊力"として扱っているのがわかる。
何が怖いって、力の大きさが異常過ぎて、完璧な制御でも"力を扱っている"というだけで霊力を感じ取れてしまうことが怖い。怖いどころか恐ろしいわ。
しかもしかも、ついさっきまで一切私の霊感を刺激してこなかったのが尚更に怖い。甚伍は……身体固くなってるわね。すごくドキドキしてそう。
『……私、この子の守護霊だものね』
ぽしょりと、彼に聞こえない程度の声で呟く。
急な霊力の出現で驚いちゃったけど、そもそも桔葉さんたちが扱っている力だと思えば怖くもなんともないのよ。……あの子がそんな力扱えたって時点でちょっと色々アレだけど、うん。今はそれはいい。大事なのは甚伍をリラックスさせてあげること。
リラックスといえば当然あれね。守護霊的にできることは、ね。
『――ふぅぅ』
「ひぃゃう!?」
『んふ、ふふふ……ほーら、しー、よ。しー……』
跳ねて震えて、頬も耳も真っ赤にして。かーわいい。
あーもう、こんな状況だけどどうしてこの子はこんなにも可愛いのかしら。久々のいたずら、最高ねっ。
(もう、もういいです。やめてくださいほんとうに)
『そーお?』
(さ、囁かないでっ!声が近い息が近い吐息がかか――)
『ふぅぅぅ』
「っぅぅ!!!」
(――むりむりむりむりむりむりむりむりむりむり!!)
『……んふふ、しょうがないわねぇ。ここまでにしてあげましょうか』
「…………はぁぁ」
大きな溜め息をいただいてしまった。
まだまだほっぺた真っ赤なまま、綺麗な目もちょっぴり涙で潤んでもっと綺麗になってる。可愛くて綺麗って、それもう宝物そのものじゃないの。
(……死ぬかと思った)
『気持ちよかった?』
(し、しらない!)
『うふふーっ、お姉さんの力思い知ったかーっ!』
(うぅ……こんな時になんてことをするんだ)
甚伍のぼやきに混じって、遠くから"束縛術式"とか声が聞こえてくる。
可愛いお顔から一度目を逸らし、空中を見ればどこからともなく現れた光の縛鎖が夕枯れの巨体に巻き付き動きを止めていた。
その数おおよそ九本。これも前回と同じで、ただし鎖の太さや大きさ、感じる霊力は桁違いだった。疑似太陽に向かって既に動いていた夕枯れの身体も、完全に固定され止められた様子。
視線を戻して愛しい少年側は。
「……まったく守護霊さんは本当にまったく。僕だってこれでも思春期なんだぞ。なのにまったく本当に本当にだよ。まったく……はぁ」
何やらぶつぶつ文句っぽいことを言っていた。可愛い子。
怒って拗ねていても可愛いわね。そんな"僕怒ってます"な目で私を見てきても見惚れるだけよ。私、あなたの瞳大好きなの。
『なあに?見つめ返してほしいのサイン?』
(……はぁ。全然違うから)
瞳の色が呆れに変わる。
同時に"浸透術式"の声が聞こえ、横目に見えた天狐ちゃんがまん丸な火の玉を夕枯れに飛ばしているところだった。すごく見覚えのある光景だけど、私にできることはなさそうなので今は取り憑き相手に注力させてもらう。
(わかってるでしょ?)
ちょっぴり拗ねた声と表情で、それでも真剣味を込めた声音に私もしょうがなくまともに返事をする。
さすがにこれ以上のおふざけはしていられない。夕枯れ退治自体はもう始まっちゃってるもの。
『そうね。――緊張、解れた?』
(……あぁ。はぁ……そういうことか。はいはい。それなら完全になくなりましたよ。守護霊さんのおかげで平常通り、ありがとうございましたー)
『ふふ、どういたしまして』
(皮肉だけどね……。まったく、緊張取るにももうちょっと手段とかなかったの?)
『あったらそっちを試してるわよ。私に思い浮かんだのはさっきのだけね』
(守護霊さんの思考回路が理解できない)
『でも気持ちよかったでしょ?』
(そりゃまあ少しは――いやいや、そんなことより!)
『ふふ、うふふっ。はいはーい、そんなことよりね』
本当にもう、家の甚伍が可愛すぎて辛い。
からかいがいのある年下の弟?でもいたらこんな気分なのかしら。夕枯れとか関係なく、今普通に楽しんじゃってた。自制しなきゃね。自制自制。
(そ、そろそろあっちちゃんと見るよ!)
『ん、りょーかい』
あっち、と甚伍が意識を向けた先を見る。
天狐ちゃんたちと(妖狐組)、桔葉さんたち(妖怪組)と、夕枯れと。
光の鎖で拘束された夕枯れを挟むように天狐ちゃんたちと桔葉さんたちがいた。
妖狐が手を翳してみんなで霊術使ってるのはわかるんだけど、個人的には桔葉さん何してるのって言いたい。
『……甚伍、声聞こえる?』
(さすがに上空じゃこっちまで届かないね)
『ふむ……ちょっと近くまで行ってくるわね』
(大丈夫?――いや、気をつけて)
『ん』
ひゅっ、っと空を飛び上空の桔葉さんたち付近まで行く。
声が届く距離で止まり、甚伍とのパスを強くして私の聞いている声があの子にも届くよう念話を開いた。
「――すぅぅ……はぁぁ……」
上空では桔葉さんが深呼吸をしていた。
布女さんに抱えられる形で宙に浮かび、左右にカミオさんとヨロイさんがふよふよ浮いている。桔葉さん自身は白を基調とした青色混じりの服を着ていて、ふんわりゆったりした格好は、おそらく巫女服と呼ばれるもの。どこからどう見ても女の子だけど……今はそれはいいか。
大事なのは桔葉さんの持っている扇子だった。正確には、扇子から感じる霊力。
異様の一言に尽きる、そんな扇子だった。
見た目は青色の普通の扇子なのに、秘められた霊力は尋常じゃないものがある。それこそ今の夕枯れに勝るとも劣らないほど。
さっき下で感じた霊力の正体があれかと思うと、納得と同時に謎が生まれる。
「――やるよ、みんな」
「はいっ」
「おう」
「承知」
私が甚伍ときゃぁきゃぁ遊んでいる間に、夕枯れ退治の状況はかなり進んでいたらしい。
桔葉さんが扇子を開き、莫大な霊力を収束させる。
傍に控えていた妖怪二体が彼の身体を支え――いつの間にかカミオさんは人型に、ヨロイさんは大きな鎧武者になってた――巫女服の裾がばたばたと大きく揺れる。
扇子の霊力が物理的な風となって私の下まで押し寄せ、ごうごうと耳元で音を奏でた。
バチバチと何かが弾ける音が聞こえてきて、音源は当然桔葉さんの持つ扇子だった。
雷撃……ではない。霊力が大きすぎてエネルギーとして物質界に弾け出しているみたい。原理としては、たぶん夕枯れの混沌の力液状化と同じ。
光が瞬き視界をちらりちらりと奪う中で、一瞬、音が消えた。
「――――」
それが誰の声だったのか、私にはわからなかった。
叫び声のようにも聞こえたし、ただの音であったようにも聞こえる。
確かなのはその後すぐに、リィィィィン!!!!と一際甲高い音が聞こえてきたこと。そして目の前を走る青色金光の圧縮された霊力の奔流。
光が夕枯れにいつ到達したのかもまた、私にはわからなかった。
思考加速を使えば見えたのかもしれないけれど、それを使う前に既に二種の力はぶつかり合っていた。
音が聞こえ、光が見え、その次の瞬間には夕枯れの外膜に衝突していた。
ぶつかった時、特に音はなかった。激しい光の明滅もなく、ただ静かに極大のエネルギーが互いを削り合う。
よく見れば桔葉さんは扇子を持った手を前に突き出し、風圧でよろけそうな身体を三方向から支えられていた。顔は険しく、霊力の制御を必死に行っている様子が見て取れる。
対して夕枯れ、こちらも今まで見てきたのとは反応が大きく違った。
生存本能か何かなのか、混沌の力を襲い来るエネルギーの側に集め、一点集中して攻撃?を防いでいた。流動化していた力も今は固定され、バリアのようなものになっているらしい。エネルギー同士の衝突部分が薄く淡い虹色に輝き歪んでいた。
(なにあれ、ビームじゃん……)
パスを繋いでいるので甚伍の心の声が全部漏れて聞こえてくる。
この辺も繋がりが強くなったからか、前より声が明確になった気がする。
ビームと言う甚伍に、まあ確かにと頷く。
甚伍も私も霊術使えないから詳しく知らなかったけれど、あんな超強力なエネルギー攻撃ができちゃうなんてね。理由はあの扇子にあるんでしょうけど、それにしたってすごい。
私もレメイラなら魔法術であれくらい……無理ね。あの密度は無理かも。エネルギー量的にちょっと一人じゃ無理そう。
『ねえ甚伍』
(うん)
『桔葉さんの持ってる扇子、あれ何だと思う?』
(えー、うーん……法具の一種だとは思うんだけど……)
『ほうぐ……』
知らない単語――だけど、なんとなくわかっちゃう。今ちょうど甚伍との繋がり強いから、意味もいつもより正確に伝わってくる。
『法具ね?』
(うん。法具。神社とかお寺とかに収められてる大事なもの全般のことだね。得てしてそういうのって強い力を持つことが多いし、たぶん桔葉君の持ってるやつも宇美花神社のやつだと思ったんだけど……)
『けど?』
(や、力強すぎない?って思って)
『あー、うん。そうね。そうかも』
(……あの扇子、下手したら宇美花様本人に所縁のある品なんじゃない?)
『……それって、押し負けたらだめなやつ?』
(え?そりゃ押し負けたら夕枯れに取り込まれそうだしだめじゃない?)
『……ちょっと危なそうよ?』
(え?)
私は桔葉さんたちのすぐ近くで見ているからわかる。
確かに相手からの反撃はないし、一見一方的にビームを撃っているようにも思える。でも、いくら凄まじい法具だからってその力が無限なわけじゃない――訂正、無限とは言わなくてもそうそう尽きることはないかも。法具自体に問題があるんじゃなくて、問題は使い手にある。
宇美花様に縁深い神社の巫女で、妖怪の手を借りていたとしても、これだけの霊力の制御を行い続けるのには限界がある。要するに、桔葉さんの体力の限界。
辛そうに顔を顰め、扇子を持った手が時折震えている。近づけば頬に垂れる汗と、瞳の中に混じる金色が蝋燭の火のように弱く揺れているのが見えた。
「海様、限界ならわたくしに言ってくださいませ。即時離脱いたしますわ」
布女さんが桔葉さんの汗を布状の手で優しく拭って言う。
「う、うん。ありがとう。でもまだ頑張る。まだまだ……」
笑ってお礼を言う巫女さんを心配そうに見る妖怪三人。ついでに私。
(守護霊さん、どれくらいやばそう?)
『まだ大丈夫そうだけど、それも時間の問題――』
私の言葉を遮って、遠雷のごとき大声が轟いた。
「――相殺剥離術式起動!!」
霊力を伴った声に、霊術が使われた気配。
夕枯れに巻き付いていた光の鎖が溶け込むように消え、球体の中で何が起こったのか急激に内部のエネルギー量が減った。――減ったというより、混沌の力じゃなくてただの霊力になって外に霧散しちゃった感じかも。
「今だ!やぁぁぁぁあ!!!」
最初から合わせていたのか、即興で合わせたのか。
どちらにしろ、桔葉さんが今のタイミングでこれまで以上に霊力を高めビームを集束させて夕枯れのバリア突破を図ったのは事実だった。
『――貫いたわ』
(僕にも見えてるよ)
青の閃光がきらめき、夕暮れの空を一筋の光となって貫いていく。
黄金の粒子を散らすビームは、完全完璧にバリアを破壊し、夕枯れの身体を真っ直ぐと貫通していた。
光の残滓を置いて消えていくビームと、落ち着いていく霊力の高まり。
「剥奪術式ぃ!!!」
その時、最後の一声とばかりに天狐ちゃんの声が高らかに響いた。
彼女が伸ばした手の先から伸びる緋色の鎖。最初に見た光の鎖と違い、今度は一本だけだった。目にも留まらぬ速さで宙を駆けたそれは、穴の開いた夕枯れの身体に入り込む。
何を、と思っている間に鎖が引き抜かれ、赤鎖の先端にはぐるりと縛られるようにくっついた物――不思議な丸い石、おそらく霊玉であろうものがあった。
「――今回は成功やね」
音が少なくなった上空に、天狐ちゃんの声が小さく響く。
手元には強い霊力を感じる石。振り返れば桔葉さんがよろめていて布女さんに抱きしめられていた。
『甚伍――――っ』
取り憑き相手に声をかけようとした瞬間、私の頭じゃ追いつかないことが同時に起きた。
急に夕枯れが眩い光を発して、近くにいた私は目が見えなくなった。
霊感に頼れば夕枯れの巨体が消えてなくなり、地面に落下している最中だとわかる。
(守護霊さん守護霊さん守護霊さん!!僕今どこ!?どうなってるの!?)
目が見えない中で、頭には甚伍の声がたっぷりと響く。焦りを含んだ声に私まで焦ってきて、すぐさま少年の居場所を探る。
するとおかしなことに、このイベント広場の外、妖狐たちの内結界の範囲外にいた。私はあの子の守護霊なので、それが結界外だろうとすぐわかる。
どうやって外に出たのか、出たら出たで天狐ちゃんたちが気づくはずなのにそんな様子はない。
地面に落下した夕枯れは身動き一つしていないので無視し、私は甚伍を追う。
イベント会場の外へは簡単に通り抜けられる(私の場合)ので、即座に外に出て様子をうかがう。
外は暗く、当たり前のように夜だった。
イベント広場の結界と違って、公園全域を覆うように作られた外結界は儀式的意味はともかく、基本はただの人払い程度の効果しかない。なので景色は本当にただの夜の普通の公園に見える。
ずっと目を閉じていた私はすぐに夜の景色に慣れ、満月のおかげでそれなりに見通しの効く園内を見渡す。
『甚伍?』
(守護霊さん!)
気配と声を頼りに、ひゅん、と飛んで少年の下へ行く。
数秒もすればすぐにその場まで辿り着けた。
場所は枯葉の多い木立の中。少し小高い道となっており、眼下に温室が見える。
肝心の甚伍はというと……。
『大丈夫?』
(大丈夫じゃないかも……)
『そ。軽口叩けるならまだ余裕ね』
木立の中ほどで地面に転がっていた。
私が傍に来たことを察してか、小さく安堵の息が聞こえてくる。
このまま二人で踵を返して元居たところまで戻りたいところなのだけど……。
『ねえ。あれ、何?』
(……そんなの僕が聞きたいよ)
慎重に立ち上がり、じっと前方から目を逸らさずにいる甚伍に倣う。
私たちの前、暗闇の中に何かが蠢いていた。




