第十六話、夕方と夕枯れと妖狐。
一瞬の出来事だった。
くらりと視界が揺れて、光が弾けた次の瞬間、夜の色が嘘だったかのように景色は夕暮れ色に染まっていた。
見上げれば広がる薄まった青と橙に色づく雲。遠くの空には沈みかけの太陽。イベント会場の地面は水溜まりではなく固いコンクリート。ついつい空中から地面に降りて足踏みしてしまい、自分に感覚がないことを思い出して恥ずかしくなった。
しょうがなく私の相棒こと甚伍を呼ぶ。
『甚伍ー』
(なにー?)
少年の居場所は会場の入口。桔葉さんや妖怪たちと一緒。対して私は広場の中心に立つ天狐ちゃんと甚伍たちとのちょうど間に位置する場所にいるので、いつもより少し距離がある。
わざわざ意識して思念を送るのも面倒なので、声を張って呼びかけた。返事はゆるっと、それでも私と同じく声を張ってくれている。声量多めに会話は続けさせてもらう。
『ちょっとイベント会場のコンクリートの上で足踏みしてみて?』
(うん、いいよ)
地面を踏み踏みしている少年に近づく。
感想を聞いてみれば、固いよ、の一言。軽く返事をし、どうなっているかの相談をする。
『どう思う?今の状況』
(……正直信じられないけど、目で見たものは信じなくちゃね)
周囲を見渡している少年に倣って、私も夜とは到底思えない明るい景色に目をやる。
夕方。どう見ても夕方だった。イベント会場の石段はもちろん、その先の芝生も見えれば奥に並ぶ木立もしっかりと見える。草花の色だって緑色と他多色に染まった綺麗な色彩を確認できる。
暗くて見にくかった甚伍の瞳の色だって綺麗で綺麗で本当に綺麗で綺麗過ぎて――危ない。魅入られるところだった。ぎりぎりで顔ごと逸らしたからセーフよね。
とりあえず見渡した限り、まごうことなき夕方だった。空の橙色が愛おしい。久しぶり過ぎて嬉しくなる。私、意外と夕方のこと好きだったのね。
(――夕方って、綺麗だね)
『ね』
甚伍も私と同じ感想をお持ちだった模様。
(守護霊さん)
『ん、なに?』
(綺麗は綺麗でいいんだけど、この後どうなるのかな)
『どうって、そりゃ天狐ちゃんが――――』
ぞくりと、背筋が震える。
『――甚伍』
(…………う、ん)
自分の声が震えていないのが奇跡のようだった。
気づいたら。本当に、本当に気づいたらだった。
『じっと、じっとしていなさい。霊力は、霊力を使おうとなんてしちゃだめよ』
(……うん)
影が差した。
目で見なくても伝わってきた。
強烈な霊力――ううん、霊力なんて生易しいものじゃない。魔力とか霊力とか生命力とか、あらゆる力を煮詰めて混ぜて一つにしたような、そんな混沌の力。
身体の動きが鈍くなりそうなほどに、異様としか言えないほどに大きな。途方もないほどの力の塊が私たちの頭上にあった。
意識をしっかりとさせ、気を確かにして空を見上げる。
『――っ』
いた。
赤……じゃない。赤黒い色をした丸い球体。大きさはイベント会場の半分以下。思っていたほどのサイズじゃない。けど、実物以上の圧が襲い掛かってくる。
物理的なものじゃない。宇美花様と出会った時に感じたような圧力はない。だからこれは、きっとただ垂れ流されただけの力の欠片。私の霊感を刺激する異常な力は、それだけこの存在の大きさを物語っている。
いつものごとく、私の動きを阻害するものではない。ただ気持ち的にすっごく動きにくいだけ。
『これが夕枯れの正体……』
呟き、甚伍に桔葉さんたちと一緒にいて、と言伝を残して空を飛ぶ。
夕枯れの近くまでやってくると、それがどんなものなのかはっきりとわかった。
地面からだと赤黒い球体にしか見えなかったけれど、ちゃんと肌があった。肌というか、羽毛というか。身体全体をふさふさとした長い毛が覆っていて、その内はうかがい知れない。
けどそれだけじゃない。何がおかしいって、一見生物的なのに非生物的な面も持ち合わせていること。
羽毛が流動的に動いて、時折血液みたいに液状化する。
この世海の異物とはいえ、私も霊体の端くれだからわかってしまう。今目の前で血液のようになっているものが力の塊だってことに。
混沌の力が、本来方向性を与えなければ真っ当に形を得られないはずの"力"というものが、目の前で液状の物体になっている。
どれだけのエネルギーを凝縮すればこうなるのか。どれだけの"力"を溜め込んでいればこうなるのか。
わからないしわかりたくもないけど、一つだけ言えるのは。
――甚伍、これ、想像以上にやばいわよ。
夕枯れを起こしている怪異は、私や甚伍が思っていたものの数倍数十倍以上にやばい代物だったということ。
声が届かないので思念を飛ばし、急いで上空から少年の下へと戻る。
桔葉さんは妖怪二人に守られるような立ち位置で数歩後ろに下がっていた。甚伍も同様。自分たちの主だけじゃなくてその友達も守ってくれようとする妖怪に感謝があふれる。場違いながら少し頬が緩んでしまった。
「桔葉君、どう動く?」
「……どうしよう。あれ、どう見ても普通の妖怪じゃないよね。布女さん、正体とかわかったりするかな」
「申し訳ありません海様。わたくしにも判断がつきませんわ。どうにも、色々と混ざっているようで……」
「うん、ありがとう……。石海君、守護霊さんは何か言ってる?」
「ちょっと待ってね」
(守護霊さん?いる?)
『いるわよ』
いつもの定位置(甚伍の隣)まで戻り、届いた声に返事をする。一瞬驚いた様子を見せつつも、視線は斜め上に寄せたまま。仮称夕枯れから目を逸らさずにいる。
(守護霊さん、上見てきたんだよね?)
『ええ。見てきたわよ』
(……大丈夫だった?)
甚伍にしては珍しく心配の表情だった。
私がこの世海のほとんどと干渉し合えないことをわかっていて、それでも心配してくれたらしい。ほっこり。
でもまあ、その気持ちもわからないこともない。宇美花様(神様)は例外だったし、上のアレも存在的に大きく感じちゃうもの。
『ふふ、大丈夫よ。夕枯れも私には気づかなかったみたい』
(ほっ……そっか。ならよかった。じゃあさ、実物近くで見てきてどうだった?)
『そうねぇ……』
考えながら先ほど見た光景について詳細を伝える。
羽毛とか、エネルギーの塊とか。液状化した"力"についてとか。内側は全然見られないとか。
わかったようで実はそんなにわかっていない。
わかったのは超常らしく力の規模が凄まじいということと、目も鼻も口もついていなかったからあんまり感覚器官が働いていないのかもしれないってことだけ。要はおばかってこと。
(いや、おばかは雑過ぎるんじゃないかなぁ)
『だって事実なんだもの。たぶんだけど』
はぁ、と小さく溜め息をもらってしまった。私、憤慨。
むんむんしている間に、甚伍は桔葉さんとぺらぺらお喋りを始めてしまった。
聞き耳を立てている妖怪二人はいいとして、天狐ちゃんは――。
「……こら、ようないかも?」
と、耳通りの良い声が聞こえてきた。さっきは広場の中心にいたので、そちらを見れば天狐ちゃんはまだそこにいたままだった。同時に気づく。イベント会場を囲むように半透明の妖狐たちが立っていた。姿が陽炎のように揺らめているのは、きっと霊海とやらからこちらへ位相を重ねているから。
みんな驚いた顔してる。天狐ちゃんは……うん、あの人も動揺してる。
「あんたら、火繰りと霊玉がどうなっとるかわかった?」
「霊玉はあのけったいな球の中どす」
「火繰りもあの中どすけど……おかしおすなぁ。霊玉とおんなじ位置にいてはります」
「そんなんやつが霊玉を取り込んだんやから当たり前とちがう?」
「いえそうやなしに、位置反応が完全におんなじなんどす」
「……つまりそら、火繰り自身が霊玉ぅ言える存在になったと?」
「はい、おそらく……。妖怪の格からしてありえへんのどすけど、そうとしか考えられしまへん」
「引き剥がしはできる?」
「……用意しとった術式では出力足らしまへん。それと、火繰りと霊玉の同化率を下げな引き剥がそうにも引き剥がせしまへん」
「……困ったわぁ」
話し声だだ漏れなのって、妖狐たちみんなが念話か何かで繋いでるからなのかな。正直内容はよくわからなかったけど、あんまり上手くいく気配がなさそうなのだけはわかった。それと。
『ねえ甚伍、通訳頑張ってくれるのは嬉しいけど、わざわざ全部方言?で言わなくていいからね?』
(……僕も方言の部分意味わからないところあるから、直しようにも直せないんだよね)
困った声が返ってきた。ちらって横を見たら気まずそうな顔してる子が一人。可愛い。
「考えとってもしゃあないわ。とりあえず準備しといた術式使うよー」
天狐ちゃんの言葉への返事は"はーい""はいはーい"とか緩いものばかりだった。
なんていうか、思ったより妖狐ってゆるっとしてるのかも。
ちょっぴり妖狐への印象が変わりつつも、私たちはただ流れを見守る。桔葉さんたちはともかく、私にも甚伍にも今できることは何もない。……ないわよね?
『ねえ甚伍?』
(なに?)
『もしかして私たちって、今できること何かあったりする?』
(いやないでしょ。あんな大きいの呪符も効果ないだろうし、妖狐たちが話してた火繰りと霊玉の引き剥がし?っていうのも絶対僕らじゃできないだろうし。そもそも今回はただの見学予定だったから、このままじっとしていよう。夕枯れの様子だと、僕らにかかわってくる感じはないしさ。……たぶん)
『ん、そうよね。ありがと』
つらつらと言い訳っぽく並び立ててくれたけど、事実は事実としてこの子もきっと不安なのは変わらないから……たぶん私たちはこのまま何もしないでいい。本当にたぶんなのが怖いけど、しょうがない。明言なんてできないもの。
二人並んでじっとして、天狐ちゃんと妖狐たちを見守る……。




