第六話、"リィム"さんと家族。
「――お母様?」
「あら!ふふふっ、リィちゃんただいまーっ!!」
「わぷっ……お、おかえりなさいっ」
ポヌマーエポヌマーエと言いながらリィムさんを抱きしめる彼女のお母さん。名前は知らない。これには僕でも一年以上何していたんだよとツッコミを入れたくなるが、心の声じゃ"お母様"だし、言葉として出しているものだと"マーエ"だしで、名前を知れという方が難しい。だから僕はこの人を"お母さん"と呼んでいる。
正直な話、おはようを意味する(たぶん)ポヌマーエの"マーエ"と、母親を意味する(たぶん)"マーエ"の違いが僕にはわからない。助けて翻訳者!
「うふふー、おはようおはようリィちゃーんっ!起きたわね?ね、ね?ふふ、どう?驚いた?」
「う、うん。おはよう。……えっと、お母様、どうしているの?」
くるりくるりと抱きしめて躍る二人。というか振り回すお母さん。
僕よりも背の高いリィムさんよりもさらに背の高いお母さんは、目測で百六十後半はあるんじゃなかろうか。百六十七とか百六十八とか。
二つの白金色が躍って僕は幸せな気持ちになった。やはり、髪の美しさには尊いものがある。
「ふふ、昨日の夜帰ってきたのよ。遅かったからリィちゃん寝ちゃってたけどね。寝顔可愛かったわぁ。うふふ」
「も、もう……。起こしてくれればよかったのに」
「可愛くすぅすぅ寝ていたのよ?そんなリィちゃんを私が起こせるわけないじゃない」
「そんな自慢げに言わないでちょうだい」
"リィ"、"リィム"。
名前について。リィムさん自身は自分のことを"あのね、リィムはぁ"なんて言わないので、他人からの呼称で判断した。お母さんは"リィ"と呼び、お父さんは"リィム"と呼ぶ。そして職場の人は"リィム"さんが基本なのでそちらを採用させてもらった。たまに"シィステラ"さんと呼ぶ人もいるけれど、それはあまり近しくなさそうな相手の時が多いので名字なんじゃないかと推測している。つまり、リィムが名前でシィステラが名字。海外にありがちな形式だ。というより日本が珍しいだけか。
二人が話す光景を見ながら、表情豊かに色を変えるリィムさんにほっと息を吐く。
リィムさんが子供っぽく拗ねたり照れたりと、そんな表情を見せるのはご両親の前でだけだ。家にいる時の素顔は大体疲れているものばかりだから、こういう顔を見られて僕は安心する。
両親との仲は良好で、両親同士も仲は良い。ただただそれぞれが忙しく時間を取れないというだけで、本当に仲は良いのだ。それが余計にリィムさんの寂しさを助長させているのかもしれない。
とにもかくにもサプライズな帰宅だったけれど、お母さんが帰ってきてくれてよかった。僕も嬉しい。リィムさんも嬉しい。お母さんも嬉しい。皆ハッピー大満足。
「ん、それでお母様。帰ってきたのはいいんだけど……なんでこんな朝早いの?」
「あぁ……そうよね。リィちゃんまだ知らないのねぇ」
困ったような、申し訳なさそうな顔をするお母さんにリィムさんは小さく首を傾げた。僕も一緒に首を傾げる。けどたぶん、リィムさんと僕とで首を傾げている理由は違う。
彼女はお母さんの言葉への疑問。僕は二人の会話内容への疑問。一体この二人は、どんな話をしているんだ!何もわからない。
「一度部屋に戻って仕事用の携帯見てきてもらえる?リィちゃんにも連絡来ているだろうし、それに……」
「それに?」
「ふふっ、顔も洗ってきちゃいなさい。可愛いお顔が眠そうよ?私は全っ然今のリィちゃんでもいいと思うけど、リィちゃんは違うでしょ?」
「う……い、行ってくるっ」
リビングから早足で出ていくリィムさんは妙に頬が紅潮していて可愛かった。ちらとお母さんを見ると、微笑みながら水人形たちと戯れている。水人形たちは主人の一人が帰ってきて心なしか嬉しそうに見える。この世界で僕と触れ合える唯一の仲間が楽しそうで僕も嬉しいよ。
ぱたぱた歩いていった美人さんがどこに行ったのかと思ったら、洗面所にいた。水を操ってぱしゃぱしゃ顔を洗っている。手洗いうがいと同時に済ませ、冷たい水を顔に浴びて完全に目が覚めた様子。さっきよりも目元がはっきりしている。
(お母様、携帯って言ってたけど……どういうことかしら)
携帯か。それはつまり携帯用多目的魔法ブレスレットのことだろうか。それしかないか。
携帯。
僕の知っているものは携帯電話。現代で言えばスマートフォン。略してスマホ。僕が使っているものもスマホなので、近頃の文明社会に慣れ親しんだ人なら誰でも知っているものだ。便利過ぎて電車の中で皆が皆スマホを弄っている光景をよく見る。僕の場合は怪異がいないか警戒しているのでスマホ一つに集中できない。辛い。
さておき、携帯だ。こちらの世界、レメイラでもリィムさんから何度か聞いた単語ではある。最初は衝撃的すぎて頭が疑問符だらけになったが、今はもう慣れた。魔法の力に常識は通用しないのである。
リィムさんの言う携帯は、魔法石で作られたブレスレットのことだ。薄い青色水晶のようで綺麗なブレスレット。街中でも多くの人がしているのを見かける。一昨日リィムさんが買い物で使っていたブレスレットもそうだ。
電話もできれば買い物もできる。小さな水液晶を空中に出して操作もできればテレビ電話もできる。ブレスレット一つですべてが解決する。本当にスマホと同じだ。むしろ魔法のことを考えたらスマホより便利かもしれない。いやでも、スマホにはネットがあるから……。
インターネットの良し悪しは置いておいて、リィムさんと共に彼女の部屋に戻った。カーテンは閉めたままなので暗い。
電気を付け、机の上に置かれていたブレスレットを手に取る。ぱぱっと魔法を使って水液晶を浮かび上がらせ、何かメールのようなものをチェックしている。
いつものことだが、僕に原理はわからない。ブレスレットから水液晶を開くのは魔力的なものを反応させているんだと思ってるけど、これもただの予測。水液晶っていう単語だって僕が勝手に名付けただけなので、真実はどこにもない。レメイラにおいて真実はいつも一つじゃないんだよ……。
(…………呼び出しかかってるじゃない)
ものすっごくどんよりした声だった。
やっぱりしていることはメールのチェックだったらしい。何か緊急の用件なのだろうか。メールを見て眉を寄せているところを見るに、割とちゃんと大変な話なのかもしれない。
「……はぁ。よくわからないわね。お母様に聞いた方が早いかしら」
ぽつりと呟いたのはレメイラ語。そこ大事なところっぽかったので僕も知りたかった。
首を振って下に行こうとして、一度立ち止まる。危うくぶつかりそうになってしまった。ぶつかっても貫通するとかそういう話じゃない。気持ちの問題だよ、気持ちの。
(……一緒にご飯食べられないわよね、きっと)
『……』
急に悲しいこと言わないでよ、リィムさん。僕まで悲しくなってくる。
何か緊急の用件で休日出勤になって、リィムさんより上の上で働いているお母さんが帰ってきたのはその件がどうこうって流れかな。こんな朝早くからお母さんがご飯作ってたのはそれが理由で、もしかしたらこの後すぐ出かけなきゃいけないとか。……これ合ってそうだなぁ。
「……はぁ」
もう一度溜め息を吐いて、気持ちを呑み込み沈んだ空気を振り払う。
切り替えた後は寂しさなんて一切感じさせない、冷静な表情を浮かべていた。お化粧をしていないからまだ幼さのある可愛い感じだけど、お仕事モードに近いリィムさんだった。
エレベーターで一階に戻り、リィムさんとお母さんの会話を見守る。
キッチンでの調理は終わり、場所はリビングの机に移っていた。
「お母様。私の方にも連絡来ていたけど、あれってどういうことなの?」
「そうねぇ。後でドームでも説明があるでしょうし、簡単に言うわね?」
「うん」
「ふふ、世海の危機、かしら?」
「もう、適当言わないで」
「ふふふ、あながち間違いでもないのよ?」
「……どういうこと?」
「私たちがいるのって十七都市でしょう?都市ごとの違いなんてほとんどないんだから、一つの都市が壊滅したら他も同じようになっちゃうかもしれないじゃない?」
「……壊滅するの?」
「ふふ、しないようにお話しに行くんでしょう?」
「まあそうかもだけど……。でもなんで私?お母様が帰ってきたのってその話し合いのためじゃないの?」
「んー、管轄がリィちゃんだったから?それに、私にはもーっと大変な方のお話があるのよねぇ。……聞きたい?」
「やだ。聞きたくない。聞きたくないから朝ご飯食べるわ。……あらゆる世海の海に感謝します」
ぽやぽやとした雰囲気のお母さんは、リィムさんをもっと緩くして幼さを無くしたような人だ。言葉はわからないけれど話し方はなんとなく伝わってくる。内容も意外と軽くてどうでもいい説はあるだろうか。ないか。
お喋りはぼちぼちで終え、二人が食事を始める。
朝食のメニューは魚野菜炒めとお米と魚介スープだった。お米が海藻の入った混ぜご飯になっている。美味しそうな朝食だった。
食事中は言葉少なく、お母さんはリィムさんが食べる姿を見てにこにこと微笑んでいた。リィムさんはリィムさんで視線が気になるのか気恥ずかしそうに、くすぐったそうに目を逸らして微かに頬を赤くしていた。普段の一人きりな食事風景と違って、家の中がずいぶんと色付いて見えた。
食後の片付けを水人形がするのは変わらず、歯磨きやお化粧等の身支度も変わらない。いつもより気持ち早めに動いているような気がしないこともない。
家を出る段階まできて、玄関で靴を履くために座ったリィムさんがぽつりと呟いた。
「お母様。今日……夕飯は?」
「……ん、ごめんね。リィちゃん。私、これから船で別の都市に行かなくちゃいけないの」
顔を見ずに小さな声で尋ねたリィムさんの頭に手を伸ばし、慈しむように髪を撫でる。
お母さんの顔は申し訳なさと少しの悲しさと、それと同じくらいのたくさんの優しさにあふれていた。
「そう。……うん。わかってたからいいわ。気をつけてね」
「うん。リィちゃんもね。だめそうならお母さんに言うのよ?お父さんでもいいから。あの人なら他のお仕事全部放り出してリィちゃんのために動いちゃうんだから。もちろん私も、ね?」
「ふふっ、うん。わかってる。ありがとう、お母様」
そうして、家を出た二人は傘を差し、その場で別れてそれぞれの職場に向かっていく。
リィムさんはいつもの職場、ドームへ。お母さんはドームとは反対側の道を歩いていく。進む先にドームのような建物はないので、おそらく島の外、船に乗りに行くのだろう。
水人形たちからお見送りを受け、徐々に明るむ景色を見ながら雨空の下を行く。
家から数十歩進み、足を止めたリィムさんは静かに振り向いた。高低差があり見えない先には、まだ彼女のお母さんがいる。
青の瞳が僅かに揺らめていた。
(……私も、行かないとね)
彼女の心の声には、堪え切れない想いが詰まっているような気がした。




