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陰と陽の狭間にて。(仮題)  作者: 熨斗月子
二目。憑き物と撫で物
32/82

第参拾壱:修業編四之間 狐と龍の戯れ。

雅相視点に戻ります。



 


 時は少し遡り、雅相(まさすけ)は真っ暗な世界の中で微睡む心地を感じていた。


 今、自分が目を開けているのかいないのかさえ分からないほどに、黒に塗りつぶされた空間。

 そして己の足が地に着いているのかいないのかも曖昧な場所。

 だが不思議なことに、この場所は恐怖や怯えを抱くような場所ではなく、なんだか温かくて懐かしい気配を微かに覚えるところであった。


 そんな心地のいい場所に、突如別の気配が入り混じってきて何事かと目を周囲に這わせる。


 くすくす、くすくす


 外道じゃ。外道の子がおる。あなおそろし。


 くすくす、くすくす


 外道の子の糧になどなりとうないのう。


 くすくす、くすくす


 女童(おんなわらわ)のような甲高い声が頭上から降ってくる。

 しきりに目を這わせていくが何故か視界は真っ暗なままで、今何が起きているのかさえ分からない。

 仕方ないと、両手が動くことを確認して、雅相は自分のまぶた辺りだろう場所を指で思い切り押し上げた。


「うわ。なんじゃ彼奴、いきなり真魚のような目をしおった。気持ち悪いのう」


 雅相の視界に飛び込んできたのは、深藍の髪が上空から数多に垂れている光景だった。


 驚きのあまり飛び起きれば、なんと雅相を囲うように同じ髪型に同じ深藍の髪色、さらにはくりっとして大きい透き通った青漆(せいしつ)色の瞳をした、色白の女童たちが覗き込んでいたのだ。


「うぇ!?な、なにこれ!」


「おぉ、外道の子が起きおった。我らが暴れてやったというに、もう起きおった」


 雅相の目の前に立つ女童が袖で口元を隠しながら、おかしそうにくすくすと笑っている。

 それに連動するように、周りの同じ顔の童も笑い出した。

 その嗤う声さえも全てが一緒で、物凄く不気味である。


「流石()()()の寵を受けた外道じゃ。羨ましいのう」


「だ、誰なんだよ!ここはどこ!!」


「ほほほ、元気なことじゃ」


 今度は背後の女童が話し始め、雅相は勢いよく後方を振り返る。

 やはり同じ顔に髪色に大きな瞳が、雅相を蔑むように見ていた。

 次いで囲う他の童たちが鈴を転がすようにころころと息ぴったりに笑いだす。


 流石にこの状況が全く読めない雅相は、懐に仕舞っている呪符をとっさに取り出して、目の前に立つ女童に突き出した。


「お前たちが徒人(ただびと)じゃないのは髪の色で分かっている。祓われたくなかったら、ここがどこで、お前たちが何者か名乗るんだ!」


「なんと恐ろしい外道の子じゃ。我らに歯向かうとは」


 だが雅相のことが恐ろしいとは言いつつも、童たちは怯えるそぶりを見せるどころか、さらに笑みを深めて雅相の一挙手一投足を観察している。

 それどころか、彼女らは何故か雅相に触って来ようともしないし、攻撃はおろか襲い掛かってくる気すらなさそうだ。


(一体なんなんだ?)


 四方八方に視線を巡らせ、隙を与えないようにいつでもどの方角からでも、呪符が放てるよう神経を研ぎ澄ませていく。

 無論一斉に襲いかかられたらひとたまりもないのだが。


「そのような紙きれで我らに挑んで、げに勝てると思うておるのかえ?」


「っう、うるさい!!」


 しかし目の前に立つ女童は呪符を見ても動じた様子もない。

 きっと女童たちの言動は確かなのだろう。

 雅相程度の力では、勝てるわけが無いほどに彼女たちが強いのだと自負しているのだ。

 それが優に読み取れてしまえるからこそ、侮られているとカッと頭に血が上ってしまった雅相は、咄嗟に呪符を投げ放ってしまう。

 直後に少年はしまったとばかりにあっと声を上げていた。


 ――――しかし、女童へと投げ放たれた呪符は、女童に当たる寸前で深紅の炎に包まれて燃え滓となってしまった。


「え?」


「ほほほ、当然じゃ。其方程度の力で、我らに傷をつけられる訳がなかろうて」


 ぐるりと囲う女童たちが一斉にころころと笑い声をあげた。

 そのあまりにも薄気味の悪い光景に、眉間にしわが寄っていく雅相。


「そこまでにしなさい」


 そんな異様な光景の場に、突然凛とした声がこの真っ暗な世界に響き渡る。

 先程まで雅相を嘲笑していた童たちの声が不自然なほどにぴたりと止まった。


 今度はなんだと、戦々恐々に強張った顔で振り返った雅相の目に飛び込んできたのは、伽羅の髪を揺らしながら、ゆったりとした歩みでこちらへ近寄ってくる、上背のある女性(にょしょう)だった。


 白磁のように透いた肌をした女性は、赤い瞳を薄く開けて雅相をただ静かに見つめている。


「その童は、我が愛がった唯一の後胤。我のゆるしなく触れるのはゆるさぬぞ」


「なっ何故御饌(みけつ)の尊がここに!!」


 目を剥いて戦慄く女童たちをよそに、御饌の尊と呼ばれた女性は女童が退いた道を歩いて雅相の傍まで来た。

 上目遣いで雅相が見上げると、彼女はにこりと微笑む。


「なに、ほんの親心が行き過ぎたが故に、ここでいつか彼方へ微睡む日を待っておるだけぞ」


 一体どういう意味だろうか?御饌の尊と呼ばれた女性の言っている意味が雅相には理解できなかった。

 だが、一つだけ言えるのは雅相の傍にいる時点で、雅相の味方である可能性が極めて高いという事だ。


 これは好機だと思い、二人の会話を遮るように雅相は声を上げた。


「あの、ここって一体?」


 雅相が御饌の尊へと問いかけると、彼女は何故か雅相の傍でゆるりと座ってしまう。

 なんで座ったんだろうかと不思議に思っていた雅相だったが、訝しがる少年をおもむろに彼女は後ろから抱き寄せて、優しく抱擁してきたではないか。


 驚いて反射的に体を引き離そうとするも、全く微動だにもせず逃げる事は叶わなかった。


「ここよ。ここ」


「え!?」


 そう言って御饌の尊は雅相の心の臓を軽く指で小突く。

 つまり彼女が指し示している意味は、ここは(こころ)の中での出来事だということなのだろうか?

 不安な面持ちで御饌の尊を見やってみるが、彼女はただただ優し気な眼差しでもって、(うつく)しむように雅相の体を包み込んでくるだけだった。


 もはや母が子に対して行う一種の抱擁にも近い行いに、見ず知らずの者にされるのはなんだか居心地が悪い。

 それに生家ではそういった記憶がないため、養母や天后がしてくれたことを基準として考えても……一切の言葉もないのに、何故か愛情を感じるなんて今までなかった上に奇妙な感覚だった。


 しかしその愛情を、雅相は何故か拒む気にもならないのもまた不思議で。


 猜疑心と温かな気持ちの両方に包まれるという奇妙な感覚に眉根を潜めていたが、前に立つ女童が口惜しげにして二人の不思議な空間へと割って入る。


「御饌の尊よ。何故そこまで御前に噛付いたアレにこだわる?」


 雅相を慈しんでいた御饌の尊の赤い瞳が、今度は女童へとゆるりと注がれる。

 それもとびきり不機嫌だと言いたげに眇められた視線だった。

 その視線に女童の肩がびくりと震え上がる。


「愚門よ。霊狐は全て我の子ぞ。そこに優劣なぞない」


 抑揚のない御饌の尊の声はどこまでも冷ややかで、他人事ではあっても、その声音は情にずしりとした重みを感じさせた。


 そんな冷え冷えとする雰囲気を醸し始めた御饌の尊は、さらに前に立つ女童を睨みつける。

 もはやその氷のように冷たい雰囲気は、あまりにも鋭利でありもはや殺気にも近い。


「こちは答えた。故に今度は我の問いに答えてもらおうではないか。高龗神(たかおかみのかみ)よ」


「え!!?」


 あまりの驚愕の事実に雅相は思わず大きな声を出してしまう。

 しかしその声は真っ暗な世界には反響せず、声は吸い込まれるようにかき消えていくのだった。


「高龗神って、もしかして黒露が言っていた龍燈の杉を神気で燃やしたっていう、あの?」


「無礼者め!あれは燃やしたのではない、()()()をお導きするための狼煙(のろし)じゃ!」


「どちらにせよ燃やしておるではないか」


 呆れた顔で御饌の尊に指摘されると、歯痒そうに顔を歪ませる高龗神だが、反論だけはしないように踏み止まっている風である。

 もしかすると、高龗神よりも御饌の尊と言う人物は位が高いのかもしれない。


(いや、待てよ?高龗神が敬意を示すってことは)


 神が敬う人物なんて、並大抵の者ではないのは確かだ。

 それも貴船の主祭神という最も都で尊ばれている神である。

 ならばこの、未だに雅相を抱きしめてやまない神様は一体誰なのかと言うわけで。


 しかもそんな神様に雅相は何故か懐かれているのだから、謎だらけである。

 と言うかその前に、そもそも神様って本当に存在したんだと内心思ってしまう。

 が、ここ最近、驚きの連続が続き過ぎて、もはや驚き疲れて雅相の反応は薄くなってしまっていた。


「まて、今月の尊と申したか?」


 ふと思い出したように、高龗神が先ほど言った《月の尊》なる単語に引っかかったようで、御饌の尊が目を瞬かせている。


「然り。突如我が地に降り立たれ、途を示せと果せになられたのよ」


 その途端、御饌の尊は顎に手を置いてなにやら考えに更けこんでしまった。

 どうしたのかと雅相が訪ねてみるが、ものすごい集中力なのか反応は返ってこなかった。


「ねえ、高龗神様。月の尊ってなんの神様なの?」


「何をねぼけておる外道の子。読んで字の如くであろう」


 読んで字の如く?と首をひねる雅相。

 それに察しが悪い奴だな、と控えめに短く息を吐き出したのは無論高龗神だった。

 が、しかし、何故か目の前にいる高龗神他、雅相たちを取り囲む高龗神たちが、何故か一点を見つめながら固唾を飲んだ。


 もしかしてと雅相がちらり御饌の尊へ一瞥してみると、先ほどまで何かの考えに集中していたはずの御饌の尊が、ものすごい形相で高龗神を射殺さんばかりに睨んでいたのだ。


 お願いだから、尊い神同士?争いの種を撒かないでいただきたいものである。


「この子が外道と?有得ぬ。今までの霊弧の中でも特に我の力を遍く(あまねく)継いだ狐。取り消せ、取り消すのだ。でなければ、其方を」


「お、お許しを御饌の尊!どうか、その逆鱗を御鎮めになられますよう」


「鱗は其方に付いておろう」


 思わず御饌の尊のその返しに雅相は噴き出しかけるが、神に対して無礼なためぐっと我慢をした。

 確かに龍は鱗を持っており、さらに高龗神は龍神の化身と言われているので理に適っている。

 返しが絶妙で存外御饌の尊に好感が持ててしまったのは秘事だ。


 それよりも、御饌の尊が言った言葉に雅相は少し引っかかっていた。


(我の力を遍く継いだ狐?)


 確かに雅相は狐ではあるが、御饌の尊の力を受け継いだというのは一体どういうことなのだろうか?


 しかしいくら考えても良く分らなかったため、取り敢えず未だに言い合っている(一方的に)二人を止めるため、仲裁を試みる。

 というより、いつの間にやら雅相は神々に臆すことなく、馴れ馴れしく接しているのもおかしな話なのだが。


「まあまあ。僕が無知なのがいけないので。それで、月の尊とは一体誰を指すんですか?」


「決まっておる」


 そう告げたのはころりと一変して、優し気な声色で雅相の頭を優しく撫でる御饌の尊だ。


「思慮深く宵のように静穏な反面、闇を孕む恐ろしい御方である月読命(つきよみのみこと)じゃ」


「え、」


 それは誰もが知る名であり、伊邪那美命(いざなみのみこと)伊邪那岐命(いざなぎのみこと)によって神産みされた天照大神(あまてらすおおみかみ)須佐之男命(すさのおのみこと)に連なる三貴子(みはしらのうずのみこ)のうちの一神であった。


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