Chapter.65
一緑はビルの壁にもたれ、道行く人を眺めている。待ち合わせまであと五分。頭の中はとあるシチュエーション下でのシミュレーションでいっぱいだ。
気持ちもどことなく浮足立っていて、ソワソワと落ち着かない。
少し遠くから速足で近付いてくる人物に気付き、壁から身体を離して迎え入れる体勢を取る。顔には自然と笑みが浮かんだ。
息せき切って足を止め、「ごめんなさい」華鈴が謝る。
「大丈夫。まだ時間になってないよ」
優しく笑いかけると、華鈴も笑顔を見せた。
どちらからともなく手を繋ぎ、オフィス街を歩く。
二人の職場は歩いて行ける距離にあり、退社の時間が合うときは待ち合わせて食事に入ったり、一緒に赤菜邸に帰ったりしている。
今日一日の報告をしながら、駅に近いホテルへ入った。ビルの最上階にあるレストランを予約してある。
華鈴の誕生日と交際三周年のお祝いをするためだ。
更に、一緑にはもうひとつ、自らに課した重大な任務もあって……。
「結局、出ていくタイミング逃しちゃってるね」
「赤菜邸?」
「うん」
メインディッシュを食べながら、華鈴が微笑む。
「みんなが引き留めてるんもあるけどな」
「ふふ、そうかも」
「仕事も二年目か」
「うん。なんだかあっという間だったよ」
「覚えることよーさんあるやろしなぁ」
「そう。後輩もできたし、頑張らないと」
「なんかできることあったらすぐ言ってね」
「うん。ありがとう」
華鈴の返答に笑顔を返しつつも、一緑の心拍数はあがっていく。
(きっと大丈夫……。)
頭の中で渦巻いているシミュレーション、その“成功例”をイメージしながら、食事を終えた。
「美味しかった~」ごちそうさまでした、と華鈴が手を合わせて小さく頭を下げる。
一緑も同じようにして、空いた席に置いた通勤バッグから、長方形の箱を取り出した。
きれいにラッピングされたその箱を、テーブルの上に置く。「お誕生日、おめでとう」
「えっ、ありがとう」華鈴が満面の笑みで受け取って「開けていい?」首をかしげる。
「もちろん」
一緑の返答を聞いて、嬉しそうに包みを解いた。「わぁ……!」
ケースの中には、小さな四月の誕生石がトップに付いたネックレスが入っている。
「きれい……」
そう言って微笑むカリンのほうが綺麗やわ、と思いつつ、口には出さず華鈴を見つめた。
「今度は、本物」
冗談めかして笑う一緑に
「ありがとう…大事に使います」
顔を上げて嬉しそうに笑う華鈴が、とても愛おしい。
「うん。……あと、これ……」
華鈴が包みを開けている間に手に取った、もう一つのアクセサリーケースを出した。一緑の顔には緊張の色がにじんでいる。
手のひらサイズの四角いベロア張りのケース。その正面を華鈴に向けて、蓋をゆっくりと開けた。華鈴の顔を伺い見ると、目を丸くして驚いている。
「僕と、結婚、してください」
頭を下げて、答えを待つ。
ケースの中に入っているのは、ダイヤモンドがあしらわれた婚約指輪。
華鈴はそれと一緑の顔とを交互に見て、言葉を探すように視線を泳がせた。
しばらく返答がないことに不安を覚えた一緑が顔をあげて、小さく驚く。
華鈴の目に、涙が浮かんでいたからだ。
「ぜひ…よろしく、お願いします……」
消え入るような声で答えて、華鈴が口と鼻を両手で覆う。
「良かった……」安心したように微笑んで、一緑がほっと息を吐く。愛おしそうに華鈴の顔を見つめ「この先の予定は、話し合って決めましょう」穏やかに言った。
「はい」いまにも泣きそうで、でも幸せに溢れる笑顔で、華鈴がうなずいた。
「手、貸して?」
一緑がリングケースから指輪を取って、左手を差し伸べた。華鈴が右手を出そうとしたので、
「逆でしょ?」
少し困った顔で笑って、誘導する。
華鈴が照れた顔で左手を差し出すと、その薬指に指輪をはめた。そのまま手を繋ぎ、少しの間見つめあって、そして照れくさそうにはにかんで。
きっとこの時間が一生の思い出になるんだ、と二人は思った。
* * *
二人で一緒に赤菜邸に帰宅する。誰かしらリビングにいるかと思っていたが、着いたら電気は点いておらずシンと静まり返っている。
掲示されている予定表のホワイトボードを見ると、在宅しているのは紫苑とキイロの二人だけだった。
「また、みんな揃ってるときに報告しよっか」
「そうだね」
二人は手を繋いだまま自室に戻った。
「指輪、しまっておこうかな」
「ん? なんで?」
「みなさんにお伝えする前に、見つかるのもなーって」
「そっか。目ざといから気付かれそうやな」一緑は少し考えて「じゃあ、報告するまで、飾っておこう」華鈴に微笑みかけた。
* * *
――後日。
久しぶりに全員がそろった夕食後、
「ちょっとみんなに、報告があんねんけど……」思い思いにくつろぐ住人達に告げると、皆が一緑に注目した。「俺と華鈴な、婚約してん」
言った途端、皆がワッと沸いた。正確には、沸いたのは四人で、残りの二人のうち一人は黙って拍手をし、もう一人は「結局順当か、つまらん」と冗談めかして片眉を上げた。
一人目はキイロ、二人目は赤菜だ。
「そんで、赤菜くんにお願いがあんねんけど」
「なんや。サクラのなぐさめ役なんてごめんやで」
「ちゃうわっ」一緑はきっちりツッコんでから「新居見つかるまで、二人ともここおっていい?」窺うように問う。
「家賃納めてくれるんやったらなんでもええよ」
「ありがとう~、助かる~」
「ありがとうございます」
一緑と華鈴がそろって笑顔になった。
「で? で? 結婚式いつやんの?」鼻息の荒い橙山に
「まだ決まってない。っていうか、入籍日も決めてない」
「なんや~、写真撮りたかったのに~」
「え~、じゃあおれドレスのデザインしたい~」
「アオんとこのオートクチュールオーダーするほどの稼ぎはないし、橙山くんは招待客として来てよ」
「えー! 呼んでくれんの?」
「当たり前やろ。全員呼ぶから、来てよ」
「行く行く」紫苑が二つ返事で承諾して
「日取り決まったら早めに教えて~。スケジュール空けとくわ~」黒枝が嬉しそうに笑顔を見せながら言った。
「おれもおれも~。ドレスは材料費だけでいいからさ~、予算決めたら教えてよ~」
「えっ、マジで?」青砥の提案に一緑が色めく。「そしたら、相談してみる?」隣に座る華鈴に問うと
「青砥さんデザインのドレス、着たいです」華鈴が目を輝かせて希望した。
「嫁さんにそんな顔されたら、頑張らなあかんな」紫苑がニヤリと笑う。
「見積もり出してからでいいからさ、考えてみてよ~」
「うん、じゃあちょっと、色々計算したら」
「うん、お気軽にどうぞ~」青砥はほがらかに笑う。
「…キィちゃんも、来てくれる…?」
「ん? うん。もちろん」
当然のことのように答えるキイロに気付かれぬよう、一緑は小さく息を吐いた。
女性に対する恐怖心や猜疑心が薄れたキイロは、仕事で会う女性とも距離をとることなく交流できるようになっていた。
対外関係なくにこやかに対応するキイロは、それまでの反動のように女性にモテまくった。
目下の悩みは“どうやって相手に嫌な思いをさせず、女性の誘いを断るか”らしい。「贅沢な悩みやなぁ」とは赤菜談。
「色々決まったら、二人とも出てっちゃうんやなぁ」橙山が寂しそうに笑う。
「俺らがたまたま先に出ていくことになっただけで、もしかしたら次は橙山くんかも知れんやん」
「それはそうやけどさぁ」口をとがらせる橙山に
「そうやわぁ」青砥が笑いかける。「二人と今生の別れするわけじゃないんやし、会おうと思えば会えるでしょー?」
「そうよ。普通に遊びに来るし、お祝い事とかあったら絶対来るから呼んでよ」
一緑の隣で華鈴もうんうんうなずく。「お邪魔でなければ、ぜひ」
「邪魔なわけないでしょ~? 来て来て、毎日来て?」
橙山の勢いに一緑と華鈴が笑う。
今度、全員の都合が合うときにお祝いをしよう、と盛り上がり、一週間後には八人そろってのパーティが行われた。
その日の夜。一緑と華鈴は自室のベッドに入っていた。
寄り添う一緑に「ねぇ、一緑くん」華鈴が呼びかけた。
「んー?」
「私たち、幸せだね」
ぽつりとつぶやくように言った華鈴に一緑がふと笑って
「そうやな。けど、もっと幸せになろな」
華鈴を優しく抱き寄せた。
「…うん」
安心できる腕の中に華鈴は身をゆだねて微笑んだ。
幸福感が、二人の胸いっぱいに広がっていた。
これ以上の幸せがあるのだろうか――。
そんな風に思える夜だった。




