Chapter.64
四月に入ってからの赤菜邸の日々は変わらず。しかし華鈴は大学を無事卒業し、就職した出版社への勤務が始まった。
慣れないことばかりで大変ではあるが、希望していた業種への一歩を踏み出し、日々充実している。
一方で赤菜邸の住人達は密かに寂しがっていた。
「昼間にカリンちゃんがおらんってなんか不思議やなぁ」橙山がソファにもたれかかりながら、拗ねた口調で言った。
「大学四年やったから、たまたまおっただけやわ」聞いていた赤菜が答え、
「会社員さんやったら普通よな」黒枝が同意を求める。「一緑も紫苑も大体昼間おらんし……自由業? 自営業? みたいなほうが多いからな、うちは」
「ちゃんと会社員なのはカリンちゃん入れたら三人か」橙山が天井をあおぐ。
「俺はええけど、お前ら大丈夫なん」赤菜が眉間にシワを寄せる。
黒枝は不思議そうな顔をして「なにが?」聞き返す。
「仕事。ヒマなん」
「オレ、明後日から撮影旅行。取材のね」橙山がカメラを構えるジェスチャーをする。
「俺、来週からショーで海外。あれ? ゆうてなかったっけ」
「聞いてない。書いといて」赤菜がリビングに掲示されたホワイトボードを指し示した。
「うん、あとで書いとくわ。そういやアオもショーの準備で忙しいゆうてたわ」
「キイロは」
「単行本出るみたいやから、部屋でこもって作業してるんちゃうかな?」橙山が天井をあおいだまま、キイロの部屋の位置へ視線を移した。
「ふぅん。ならええか」
「そういうマコトはどうなん」
「月末からアルバムのレコーディング」
「みんな忙しなったなぁ」そういう橙山は感傷的な声色だけど、どこか嬉しそうだ。
「ええことやん」黒枝がソファの背もたれから身体を離し、ガラステーブルの上からカップを取ってコーヒーをすすった。
「お前らはいつまでおるつもりなん」
「えー? いまんとこは、ここがある限り?」橙山が赤菜に視線を移し言って、
「俺も。探すんめんどいし、長い間おらんときに管理してもらえるん助かってるし」黒枝はカップをテーブルに戻しながら赤菜を見る。
「さすがに結婚とかってなったら出ていくやろけど、そんでもたぶん、奥さん連れて遊びに来るよ」
「ありもせん未来の話すんなよ」赤菜はにべもなく言うが、
「そんなんわからんやーん。明日にでも運命の出会いが待ってるかもしれんよ?」橙山が乙女のようなことを言った。
「まぁ、うちで一番早いんは一緑とカリンちゃんやろうけどなぁ」黒枝の言葉に橙山もうなずく。
「出てったらまた住人さがすんめんどいな」
顔をしかめた赤菜をなだめるように、黒枝が口を開いた。「ゆうてもすぐに出ていくとは限らんけどな」
「俺らが聞いてないだけで、なんか話は出てるかもやん?」橙山が首をかしげる。
「一緑、ああ見えてけっこうムッツリやしなぁ」笑う黒枝に乗っかって、
「この家じゃ遠慮してできんこともあるやろ」赤菜がニヤニヤしながら顎をさすった。
「うわー、赤菜くん下世話~」
橙山が顔をしかめてたしなめると、赤菜は「ふん」と鼻を鳴らした。
「マコトはどうなん。結婚したらシェアハウスやめんの」
「いや。別の家借りるか買うかして、ここは仕事部屋として使う」
「あー、それいい~」名案とばかりに橙山が赤菜を指さして「オレもそうしようかなー」ニコニコと笑う。
「ゆうても俺ら、まずは相手みつけんと」
「それなー」
黒枝の提案に橙山が笑う。
開いている窓から入る風はまだ少し冷たいが、春の匂いが入り混じる。
フローリングには木漏れ日とレースカーテンの影が落ちて、波打ち際のようにゆらめいている。
「のどかやなー」
橙山がぽつりとつぶやいた言葉は、穏やかな空気に溶けた。
「なんか最終回みたい」思い付きでしゃべった橙山に
「「なんの?」」赤菜と黒枝が同時に聞き返した。
「え? なんかの」
答えになっていない答え方をして、橙山がにへらと笑った。
「俺らいつまでこんな感じなんやろー」
「案外結婚しても、みんなでここで集まってるかもなぁ」
「そしたらマコト、ここずっとなくされへんな」
「やからなくすつもりはいまんとこないゆうてるやろ」
「そやった」
「一緑とカリンちゃんとこに赤ちゃんできたら来てもらおー」
「気が早い」
橙山の提案に黒枝が笑う。
二人の会話を聞きながら、赤菜も口の端をあげて笑った。