欲がなくては
「恐れながら、王宮の庭に御座います紫の薔薇を一株お譲りいただけませんか?」
私は王の前で深々と頭を垂れ、褒美の品を申し出た。
頂けるというのだから、遠慮するつもりはない。
「それで良いのか?」
「はい。それが良いのです」
どうしても手に入れることができなかった王家の庭に生える薔薇。
素敵なご褒美だわ。
少し前に、恙無く皆の卒業の儀が執り行われていた。
風紀委員の役割の秘密を明かされて、各々が地獄の底を覗いたような顔をしたり、泣き崩れたり、激怒したりしながら苦い記憶をその手の甲に刻んでいくのを見るのは爽快だった。
ローラは泣きながらずっと私の側を離れようとしないし、ギリム様は風化しそうなほど憔悴しきっていた。
ランドール様だけは優しい微笑みで私にお礼を述べたのだけれど、私、なんて素敵な騎士様を作り上げてしまったのかしら。
社交界で奪い合いの起きる優良物件を発掘してしまったんじゃないかしら。
魔王騒ぎの後のニコラウス様の成長は目を見張るものだった。
今なら妃に舵取りされるような悲しいことにはならなそうだ。
騒ぎを収める為に参加させられていたアランからは私へ正式な謝罪があったし、めでたしめでたし、というところね。
その後、私とバルトロメオは国王の前に召し出され、功績を称えられた。
私は欲しいものをさっさと伝えて、問題なく目録をいただいた。
「では、バルトロメオ、お前も欲しいものを申せ」
機嫌良く陛下がバルトロメオにもお尋ねになる。
今日はいつもの護衛の黒ずくめではなく、明るい色の国の礼服を着ている。
見慣れていないからか、似合っているとは言い難いような……?
爽やかな服が似合わないってどうかと思うわ。
「では、公爵令嬢イザベル・アーネスト……に……自由を」
バルトロメオが言葉を選びながら王に望んだのは、私の自由だった。
個人の望む物に口を挟むつもりはないけれど、三年もの拘束の報酬が本当にそれでいいのかしら?
「ほう。何をもって自由と申す?」
陛下は楽しそうに応じる。
「ありとあらゆる自由です」
ずるい要求だが、陛下は否やとはおっしゃらなかった。それも許すということなのだろう。
「なるほど。ならば、好かぬ男と結婚させられぬ自由は必須であろう?」
いや、ノリノリだ。
「そんなの当たり前ですよ。割と野心家な所がありますから、望む役職に就く自由とかもですね」
二人とも楽しそうで何よりだわ。
「請われても王の座はやれぬぞ」
「そんな大それた事までは考えないでしょう」
私は、ただ頭を垂れて二人の話を聞いていた。
二人は気やすい口調で私の自由について論じている。
(……別にそんなの要らないのに)
【貰っておけって】
遠慮ではない。本当に要らないのだ。
(わかってないわね)
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
相変わらず、見事な薔薇園だな、とため息をつく。
高く整えられた薔薇の壁が、迷路の様にどこまでも続いている。
謁見も済み、待ち切れずに所望する城の薔薇を見に来ていた。
大苗にするか新苗にするか悩むところだ。
枝振りや根の様子を庭師に聞いておかねばならないだろう。
「お別れね」
タイル敷の歩道の途中で私が切り出した。
「そうだな」
その黒い瞳の中にある感情を暴こうと覗いてみるが、深く影を落とす睫毛を伏せられて目を逸らされてしまう。
もうバルトロメオは黒服ではないし、私だってもうぐるぐる巻きの変な髪型ではない。
影の護衛と悪役令嬢はこれでおしまいだ。
「色々ありがとう。バルトロメオがいなければ、あんなに無茶なことはできなかったと思うわ」
「お前は、無茶すぎることばかりやったな」
本当に。何度も助けられた。
きっと命じられた以上に側にいて、守ってくれていたのだろう。
「お別れのハグぐらいは許されるかしら?」
「まだ、第三王子の婚約者なんじゃないのか?」
周りを見回してみる。
「だれがそれを見張るのかしら」
「……アランと同じ様なことを言うなよ」
バルトロメオが諦めたように両手をこちらに差し出す。
ハグを許されたようだ。
逃げられない様にゆっくり近づくと、腕に入り込み、きちんと筋肉のついた胴に腕を回す。
あれだけ便利で不思議な力が使えて、きちんと体も鍛えておけるのは勤勉な証拠だ。
暫く宙を彷徨ったバルトロメオの手が、ようやく私の背を抱きしめる。
(捕まえた)
「ん?」
抱き締める力を強くすると、遅れて、戸惑うように同じ強さで抱きしめ返される。
「ねぇ?」
「なんだ?」
「……女装が趣味だったの?」
吹き出しそうなのを堪えて、なるだけ平坦な声を出す。
「は?」
胸に顔を伏せているので、見えないがバルトロメオがおかしな顔をしているのが想像できる。
「あんな完璧な女装見たことないわ」
ドクンと心臓が跳ねるのが聞こえる。
「白状なさい。バルトロメオ、あなたがシンシアなのでしょう?」
私の、たった一人の親友の名を、私の他は誰も知らない。
「さあ、なんのことやら」
(とぼけても無駄よ)
「バルトロメオ、私がこの状態で悲鳴をあげたらどうなるかしら?」
ここは城内、至る所に衛兵がいる。
「まぁ、面倒なことになるな」
私が泣き叫んだりすれば、バルトロメオであっても多少の罰は受けるだろう。
「なら、おっしゃい。あなたがシンシアだったんでしょ? よく似ているし、兄か弟である可能性も考えたの。でも、やっぱり本人でしかありえなくて」
ドクドクと高速で脈打つ心音が答えだ。
「私の髪が短かったことを知っていたわね。それにアランとのことも、そうよね」
「アランには悪かったな、とは思っているさ。いろいろ邪魔したし。それと女装は趣味じゃない」
「ひどいわ! ずっとシンシアを探していたのに」
観念したのか、私の頭にバルトロメオの頭の重みが乗る。
「……知ってた」
私しか知らないということは、私だけは忘れてはいけないのだと己に言い聞かせてきた。
「徹底的に探したのに、シンシアはどこにもいなくて。近隣の国の名簿まで取り寄せたのよ」
「すごい執念だよな」
「だって……だって、私、シンシアに会いたかったの……。いつも一緒にいたはずなのに、誰もシンシアの事を覚えてなくて。アランなんか一緒に遊んだのに顔も思い出せないみたいで。誕生日の日を境に、私以外、シンシアの記憶はすっかり消されていた。アレンはシンシアを知らない子だと思って口説いていたのね」
声が震えるのを悟られたくなくて、怒ったように言うと、あやすように優しく髪を撫でられる。
「でも、色々と見当違いだったみたい。見えなくなった後も、あなたはずっと私の側にいた……違う?」
するとバルトロメオは躰を硬らせる。
「あー、それに答えるには、倫理的な問題が……」
顔を上げようとすると、引き寄せられてまたバルトロメオの胸に視界を塞がれる。
「そんな前から覗きをしていたとは思わなかったわ!」
ドンと胸を叩く。
「私がどれだけ泣いていたかも見ていたくせに!」
その顔を拝んでやろうと暴れるが、ちっとも腕の中から抜け出せない。
「ああ、見てた。泣いてる間も、ずっと側にいたよ」
「変態ね!」
愛おしそうに撫でるのはやめてほしい。
心地よくて、本当にこの腕の中から出られなくなりそう。
「最初は、悪役令嬢になる娘がどんなもんなのか、ちょっと見にいっただけだったんだ。悪役令嬢じゃなくて悪役令息だったのかと目を疑ったけどな」
腕の中で溺れてしまいそうで、抗って顔を上げる。
「そっちこそ女装してたくせによく言うわ」
「似合ってただろ?」
シンシアは匂い立つ程妖艶で可憐な少女だった。豊かな黒髪を令嬢にしては行儀悪く掻き上げて、それはそれはよく喋る。
少し大人びていた私は、それまで、同年代の子供と話しても満足することがなかった。だから、シンシアに会った時は衝撃的だった。
あんなに同い年の子とのお喋りが楽しいものだとは思わなかったのだ。
「そのあと誰にも恋できない位には似合ってたわ」
苦々しく笑う。
「ちょっと待て、お前そういうつもりでシンシアを探していたのか?」
幼い私に芽生えた感情がなんだったのかなんて今はもうわからない。
それよりも心の拠り所だったシンシアが居なくなったことが私を塗り潰してしまったから。
「そんなの、わからないわよ! わからないけど、シンシアが消えて、誰の存在もその喪失感を埋められなかったの。そんなに探されたくないのなら、私の記憶も消してくれたら良かったじゃない?」
私の口は嘘をつく。
そうではないのだ、シンシアに記憶を消されなかったことが、私の喜びだった。
私にだけ残された記憶があったから、私は強くなれた。
その記憶を何度もなぞり直しては前を向いていた。
まあ、それもバルトロメオが私に貸し出されるまでだったが。
所構わず私の中に意識を飛び込ませてくるバルトロメオに、シンシアを想う時間を奪われるようになっていった。
「楽しかった思い出くらい残しておいてもいいだろうが。だいたい、お前はアレに執着しすぎなんだよ。まぁ、俺がシンシアなんてものを作り出したから色々な事が変わってしまったんだろうけどな」
よしよしと頭を撫でているフリをして、さっきから何度も私のつむじに口付けしているのは言及すべきなのかしら?
「シンシアは、どうして何も言わないで消えてしまったの?」
「俺はこれから起きることを知っていたんだぞ。後々お前に出会う予定の魔族がいつまでも側にいられないだろ」
いつまでも私の様子を心配して盗み見ていた人の言うことだとは思えないわ。
「これもそれも、乙女ゲームというもののせいなのね。私、シンシアを捜すために、国の機密である国民の全ての書類を見ようと思って王子の妻を目指したの。第三王子の妻ならギリギリ機密の閲覧が許されるから」
「無茶をしたな」
「もう! それだって見ていたはずでしょ?! 風紀委員になってしまって、その計画も閉ざされかけて。でも、ついていたわ。学園が功績を立てられる環境だったんだから。うまく行ったら風紀委員の報酬でシンシアを探すつもりだったの」
高い薔薇の塀の陰に隠れて私たちはなにをしているのだろう。
このまま腕の中にいては、肝心の話が出来そうにない。
離れ難さに抗って、今度こそバルトロメオから身を離す。
「報酬で薔薇なんか貰って……王子と結婚したくないんじゃなかったのか?」
私は思い出話をしに来たのではない。
上手くいくかわからないが、もう一仕事してしまわないと。
「シンシアの行方が知れたし、もう、やり残したことはないから、欲しかった薔薇を貰うことにしたのよ。あとはもう別に、誰が夫でも、どんな仕事を任されようと、陛下に従うわ」
腕を組んでフンと鼻を鳴らしバルトロメオを突き放す。
「そんなにシンシアがほしければ、陛下に俺をくれと言えばよかったのに」
片眉をあげて小首を傾げて「はぁ?」と言う。
なかなか難しいのよね、これ。
「それじゃ、欲しかった薔薇が手に入らないじゃない! 私はあくまでシンシアの所在が知りたかっただけよ」
顔を上げて睨む。
「自惚れないでちょうだい。余計なお世話なのよ」
これが最後の悪役令嬢のポーズね。
顎をつんと突き出し、バルトロメオを爪先まで見下す。
「馬鹿ね。もしあなたにまだ私といてくれる気があるなら、変に日和らずに陛下に私をくれと申し出ればいいだけのことだったでしょ? バルトロメオをくれるならまだしも、よりによって私の自由ですって? そんなカッコつけの独りよがりな物、熨斗つけてお返しするわ」
驚いたような顔で私を見つめている黒い瞳と目が合う。
【イザベル……俺が欲しいのか?】
(欲しいわ)
間髪を容れず、挑むように答えると、黒い魔王は自分できいてきたくせに、その美貌に不釣り合いなほど頬を紅潮させた。
(ツンデレが好きなのでしょ? くれるのなら勿体ぶらないで全部お寄越し!)
派手に赤面したのを誤魔化しているのか、あっという間にまたバルトロメオの腕の中に逆戻りだ。
「……そうする」
「あなたが私の部屋に出入りしているのに気がついてからね、色々思うことがあって……」
「ああ」
「見えないあなたが私の部屋をうろついているんだと思っても、別に嫌じゃないなって思っていたのよね。シンシアだったなら当然よね」
バルトロメオの気配が邪魔に感じたことはない。
「シンシアとは同じベッドで一緒に眠ったりしたし。嫌だわ、私女装した変態をベッドにあげていたのね」
「こんどは俺とも一緒に寝てくれるのか?」
「まあ、まだ殴られたりないの?」
耳元で笑われて、こそばゆくて敵わない。
「だいたい、お前は、長らく探してきたシンシアの正体が男の俺で折り合いがつくのか?」
「さぁ、どうかしら。口付けでもしてみたらわかると思うわ」
バルトロメオは困った様に片眉をあげる。
少し周りをうかがうようにしてから、身をかがめ、触れるだけのキスをする。
「どうだ?」
「よくわからないから、もう少し」
今度はより近くに抱き寄せられて、深いキスになった。柔らかい唇が私の息を奪う。
(それで、シンシアは私の事が好きなのかしら?)
【シンシアは好きでもない娘にキスできるほど、ビッチじゃないんだよ】
キスの合間なのに笑ってしまう。
「折り合いはついたか?」
「まさか。何年会えなかったとおもってるの?」
「……イザベル、知っていたけど、お前、強欲だな」
「悪役令嬢だもの、当然よ」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「恐れながら、陛下、先程の願いの変更をお願いしたいのですが……まだ間に合うでしょうか」
空間を渡る魔法は、初めてで、頭がくらくらしている。
どういう仕組みなのかしら。
お茶を飲んでいた王は、私たちが寄り添って立っている状況を理解したのか、勿体ぶって顎をひねり「条件がある」と笑った。
「なんなりと」
バルトロメオが答えるのを聞いて、思わず拳を握る。
「バルトロメオ、願いの変更の代わりに、お前の、国への忠誠を所望する。お前は何処へともいける力がある。国に尽くすのは面倒だと思っていただろう? しかし、妻子のいる国を守る事に否やはなかろう」
私は飛び出しそうな心臓を抑えるために、両手で口を押さえなければならなかった。
「もちろんです。それが叶うなら、俺は生涯この国でこの地を守りましょう」
「それでは、望みを申せ。もう変更は出来ぬからな」
鷹揚に頷く陛下が私に目配せをする。
「公爵令嬢イザベル・バートナムを妻に頂きたい」
「許可しよう。今よりイザベルの婚約者はバルトロメオ、お前だ」
思わず拳を突き上げて小さく跳ねる。
「陛下! 私、やりきりましたわ!!」
私は、我慢できずに最近では得意になってきた高笑いを響かせる。
「ああ、愉快! こんなに上手くいくとは思いませんでしたわ!」
陛下も腹を抱えて笑っている。
「見事な手腕だ! なんなりと褒美をとらせよう」
バルトロメオは状況がわからず目を白黒させている。
「は? なんだ?」
「卒業おめでとう、バルトロメオ! あなたも卒業の印をいれてもらったら?」
「どういうことだ?」
何が起きたのかわからないでいるバルトロメオに親切にも状況を説明してやる。
「バルトロメオの卒業認定目安は、国への忠誠を引き出すことだったのよ!」
興奮冷めやらぬ私は、くるくると踊りまわりそうな自分をなだめて、バルトロメオの手を取る。
「……俺も、ソレにはいっていたのか?」
「例の『攻略対象者』は全員だったみたいね。でも、あなたに関してはボーナス問題みたいな話だったから。達成できるとは思っていなかったんだけど」
腰を折って笑っていた王が、やっとこちらを向く。
「それで、イザベルよ、その方、何が欲しいのだ?」
「恐れながら、陛下、バルトロメオに自由を」
バルトロメオがぎょっとしてこちらを見る。
「ほう。何をもって自由と申す?」
「ありとあらゆる自由でございます」
「なるほど。差し当たり、どのような?」
先ほどのバルトロメオと王の戯れをなぞっているが、私の要求はそんなものではない。
「バルトロメオに私と釣り合う身分と財産をご用意ください。領地もお忘れなく。隠密の仕事があるのは理解しておりますが、隠れ住むのでは私が陛下のお役にたちませぬ。駆け落ちなど御免被りますし、住むところがなければ子育てもできませんわ。使用人は結構です。私が自ら手配いたします。遠出するのに馬も要りますね、それに……」
私の要求は果てしなく続く。
目録を作るのは一仕事になるだろう。
「薔薇を一株とは、とんだ女狐よの。魔族をくれと一言申せばよいものを。そうでなくとも、バルトロメオの最初の願いを逆手にとれば、バルトロメオの妻になる事も出来ただろうに」
「私がそう申し上げたら、二つもお願いを無駄にしたではありませんか。それに、そんな事を言えばバルトロメオは自分の願いどころではなくなってしまいますし、国に忠誠を誓わせるところまで行き着かなかったのでは?」
学園をまとめ上げた私は表立つことはなくても、国の深いところに関わることになるだろう。
どうせ苦労させられるのだから貰えるものは貰っておかねば。
「それに……バルトロメオが、陛下に私を妻にと乞うところを見逃すわけにはいきませんわ」
「強欲だのぅ」
「恐れながら陛下、欲が無くては民は動きません」
end