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 ――僕、死ぬのかなぁ――

 

 苦しさに悶えながら、幼い病弱な自分がそう問いかけると、温かい胸に優しく抱きしめ、彼女は微笑む。


 ――馬鹿な子、聖女のお姉さまがいて、死ぬわけがないでしょう。あなたの傍には私がずっとついててあげるから


 そして白い光が自分を包んで、ふわりと身体が軽くなる。


 ――姉さま、僕も姉さまをずっと守るよ


 自分と同じ青い瞳を嬉しそうに細めて、彼女は笑った。


 ――それは頼もしいわね。


 けれど――次の瞬間、彼女の身体にびっしりと黒い鱗が生え、その姿は竜へと変わった。


 ――ねえ、必ず守ってね――


 しゃがれた獣の声で、黒竜は吠えるように言った。


「……嫌な夢だな」


 ジェイデンはぼんやりとした瞳で、暗い宿屋の天井を見つめた。

 姉のリオナ谷底で竜に喰われてから、4年の月日が経っていた。


「――姉さまは、今も竜の中にいるはずだ」


 自分に言い聞かせるように呟いて起き上がる。


「俺が、助けてあげるんだ」


 ジェイデンは首に下げたロケットペンダントの蓋を開けた。

 家族の肖像画からくり抜いたリオナの顔がこちらに向かって微笑んでいる。

 彼女をもとの姿に戻すために、彼女の姿を、形を、温かさをしっかりとイメージできるようにしておかなければならない。

 彼女の精神と魂は竜と混ざって、一体化しているはずだった。それを分離させるためには、彼女の元の姿を、正確に頭に描くことが必須だった。


 ――それができるのは、俺だけだ。


 ジェイデンは絵に向かって呟く。


「待っててね、姉さま」


 あの時――谷に落とされそうなリオナを助けに入り、ローガンに稲妻の魔法で倒され、剣で貫かれたとき――その一撃は急所を外していた。崖に投げ落とされた身体は、途中でハーピィに捕まり、岸壁にある彼らの巣に持っていかれた。


 意識が戻ったのは、巣で身体を雛鳥たちにかじられている時だ。

 体中に噛みつく牙の痛みで目を覚ますと、餌が動いたことに気づいた親がトドメをさそうと喉元に食らいつこうとしてきた。背中から剣で貫かれた傷で動くこともできずに、このまま死ぬかと思った。


 ――僕が力不足だから、こんなことになった。ごめん、姉さま――


 そう瞳を閉じた瞬間、親鳥は急に向きを変えて飛び立った。

 雛鳥たちに身体を齧られながら、巣の外に這って身を乗り出した。


 そこには、立ち上がる白い光――聖魔法の光と、それに群がる魔物の列があった。


(姉さま?)


 魔物はより強い魔力に反応して集まる。親鳥はその光に反応して飛んで行ったのだった。

 そして、この谷底で強い聖魔法を使っている人間は、姉以外に考えられなかった。


 ――姉さまが生きてる。


「行かないと」


 不思議と力が沸き起こった。呪文を呟き、風を起こし、雛鳥を全部切り刻み、立ち上がる。

 残った魔力で、血を止めるだけの回復魔法を唱えた。

 姉ほどの使い手ではなかったが、元聖女だった母の血を継いで、ジェイデンもそれくらいの聖魔法が使えた。


 地面から巣までは、幸いなことに蔦植物が這っていた。

 それをつたい、何とか地面まで降りる。

 谷底に自分と一緒に投げ込まれた剣を見つけ、それを杖に白い光を目指して歩いた。


 一歩一歩が重く、光は無限の先にあるように感じた。

 光に群がる魔物はさらに増え、大きな羽音とともに、空中には黒いドラゴンが旋回を始めた。


「今、行くから」


 呟いて歩みを速めたそのとき、竜が降下した。


「姉さま!!」


 駆け出そうとして、足がもつれて転ぶ。

 顔を上げると、白い光が消えていた。


 ――そして、竜の咆哮があたりに響き渡った。


 空を見上げると、黒竜が岸壁の上を目指して、羽ばたくのが見えた。

 一瞬、きらりと竜の青い瞳が輝くのが見えた気がした。


「姉さま……?」


 ジェイデンは思わず呟いた。

 はるか上へと昇っていく竜の身体は、うっすらと白く輝いていた――先ほどの、姉の放っていた聖なる光のように。

 

 ◇


「――美人だな」


 急にかけられた声に、はっと現実に戻ったジェイデンは慌てて振り返った。

 赤毛の男がリオナの肖像画を覗き込んでいた。

 眉をひそめて、ロケットの蓋をぱちんっと閉じたジェイデンは男を睨んだ。


「ライアン、人の物をじろじろ見るなよ」


 彼はジェイデンが今行動をしている仲間の一人だった。

 

「いいじゃねぇか、お前の恋人か何かか?」


 よっこらしょ、とライアンはジェイデンの隣のベッドに腰を下ろすと聞いた。


「――そんなんじゃない」


 ジェイデンは疎ましそうに首を振ると、話題を変えた。


「ジャックとイーサンはまだ下?」


 残りの仲間二人について聞くと、ライアンは苦笑し床を指さした。

 野太い笑い声が階下から聞こえてくる。間違いなく、ジャックの声だった。

 この宿屋の一階は酒場になっている。酒飲みのジャックは、いつものように居合わせた女の子たちを相席に誘い宴会を始めてしまったのだ。ジェイデンは騒ぎが始まる前に一足先に退散したのだったが、自分の判断は正しかったとため息をつく。


「まぁ、明日からはまた街を離れるんだ。今日くらい好きに騒がせてやれよ」


 ライアンはたしなめるように言った。


 ジェイデン・ライアン・ジャック・イーサンは今、ロゼッタ王国から周辺の冒険者に依頼された魔竜討伐の依頼を遂行中だった。


 魔竜とは強い魔力を持つ竜のことだ。四年前――聖壁を破壊し、就任したばかりのローガン国王とその王妃イザベラを焼き殺した黒竜は、それから姿を消していたが――半年前に再びその姿を目撃された。


 壊された聖壁から多数の魔物が王都に侵入し、ロゼッタ王国には莫大な被害が出た。聖壁を守る大神殿の聖水晶は、血を浴びて濁り――各地の聖壁も薄くなり、被害は随所に及んだ。また当時、一番力の強い聖女だったリオナと、同じく聖女のイザベラを失ったことで聖壁の修復には長い時間がかかった。周辺で一番の繁栄を誇っていた王国は荒れた。


 ローガンの年の離れた弟を国王に据え、ようやく国内が元のように繁栄してきた矢先に、聖壁を破った、謎の黒い魔竜の姿が目撃されたことで、ロゼッタ王国はその竜を討伐しようと必死だった。かといって、国内は未だに四年前の混乱を引きずっており、軍を出動させることも難しく、第一手として各地で魔物退治を生業とする冒険者の中で腕利きの者に竜退治を依頼したのだった。


(――あの竜の中には姉さまがいる)


 ジェイデンはそう確信していた。

 

あの日、飛び立つ竜を見たときに、何故だか、その竜が姉のように感じた。

 

 あの竜を追いかけないといけない。

 その思いだけで、身体を引きずり、草を食べて、雨水をすすって、何日もかけて谷底を進みやがて森に辿り着いた。そこで魔物狩りに来ていた隣国の冒険者の一行に救助された。


 人里に戻ったのはひと月以上経ってからだった。そこで黒竜がロゼッタ王国の聖壁を破り、王と王妃を殺したことを知った。竜は真っ直ぐに王宮へ向かい、二人を焼き殺したという。そして、そのままどこかへ飛び立って行ったと。


 そこで、あの竜が姉だという推測は確信に変わった。


 魔力とは生命力そのものだ。強い魔力を持つ者は、肉体を失ってもその魔力に意思や感情を残すことがあると、ジェイデンは本で読んだことがあった。


(姉さまは、復讐したいという強い思いを魔力に残したんだ)


 魔物は喰らった人間の魔力を吸収して生きる生物だ。姉の意思は姉を食べた竜に宿ったのだろう。ただの魔物であれば通過することができない聖壁を通れたのは、聖女である姉の魔力を受け継いだからだ。


(だけど、本来聖魔法は魔物にとって毒のようなもの)


 他の魔法使いと違い、聖魔法のみを使う聖女を魔物が食べた場合、その魔物が弱い魔物であれば聖魔法を身体に吸収することで弱って死んでしまうという。


(竜の死体は見つかっていない――、どこかで、眠っているか、動けなくなっているはずだ)


 ジェイデンはそう考えた。


(姉さまの意思が、竜に残っているとしたら、どうにか姉さまを戻す方法が、あるかもしれない)


 ロゼッタ王国内では、一連の災厄は、国王ローガンと王妃イザベラが、リオナを無実の罪で陥れ、アーガディン公爵家を皆殺しにしたことが原因で聖水晶が怒ったのだという噂がどこからともなく囁かれるようになっていた。


 その噂に自分たちの身にも不幸が訪れるのではないかと怯えたローガンの支持者たちは、彼が自分から王位継承権を奪おうとした国王を殺し、跡を継いだこと、その進言をしたアーガディン公爵家を恨み、公爵家の財産を狙うハルマン男爵家と結託して、リオナを陥れたことを自供した。それにより、アーガディン家の名誉は回復され、王都の広場中央に慰霊碑が置かれた。


 そこに刻まれた自分の名前を前にジェイデンは考え込んだ。


 王国に大損害をもたらしたあの黒竜の中に、リオナがいると公言したらせっかく回復した姉の名誉がまた穢されてしまう。人々はきっと――破壊の原因を作った姉を許さないだろう。


 自分には、公爵家の家名も貴族の身分もいらなかった。

 ただ、彼女を取り戻したかった。

 もし姉が戻ってきてくれたら、静かに平和に二人で暮らしたかった。

 拳を握って、ジェイデンは誓った。


「僕が、あなたを取り戻すよ、姉さま」


 ◇


 姉をもとに戻る方法を探り、竜の消息をいち早く知るためにジェイデンは冒険者になった。

 

 もともと血筋で魔法の才能には恵まれており、病弱な身体を克服するため、幼いころから父が雇った一流の騎士に剣の稽古をつけてもらっていたので、魔物狩りの冒険者になっても戦闘に苦労することはなかった。


 ロゼッタ王国の混乱により魔物が活発化していたこともあり、仕事は山ほどあった。


 やがて腕利きの冒険者としての地位を手に入れたジェイデンは、ライアンたちとパーティーを組むようになり、魔竜の討伐の仕事を受けたのだった。


 ◇


「お前が引き上げたら、女の子たちが帰るって言いだしたもんだから、ジャックの奴、お前のこと『玉なし』だのなんだの好き放題言ってたぜ」


 ライアンは面白そうに笑いながら言った。ちっとジェイデンは舌打ちした。


「言わせとけ。そんなんだから、結局いつもイーサンに持ってかれんだよ。『明日、ジャックが1人で酒場で潰れてる』に、金貨1枚賭けるね」


 ライアンは「賭けにならねぇよ」と肩をすくめる。それから「なぁ」といつになく真剣な声で呼びかけた。


「ジェイ――お前がいつもあいつらに交ざらないのは、さっきの『彼女』が原因か?」


「――そんなんじゃない」


 ジェイデンは表情を険しくすると、仲間を睨んだ。


「今日はやたら詮索せんさくしてくるな」


「俺たち、パーティー組んでもう1年になるだろ。俺は、お前をリーダーにして本当に良かったと思ってるぜ。お前と組んでから、面倒な魔物も楽に狩れるし、しまいにゃ魔竜討伐まで任された。田舎出の三流冒険者だった俺が大出世だ」


 ライアンは肩をすくめる。


「少しはお前についても教えてくれよ。お前、俺と同い年っていってるけど、もっと下だろ、本当は。それに生まれも良いはずだ。魔法も剣もきちんと教育されたもんだし、食事の仕方や何やら見てりゃわかるよ」


「……」


 ジェイデンは黙り込んだ。ジェイ、と名乗り、自分のことは深く語らずに冒険者をしてきた。仲間はあくまで仕事仲間だ。彼らのことも深く聞かなければ、自分のことも話さない――それでも、魔物狩りがうまくいけば問題ない。


 そうやってきたはずなのに、何で、ライアンは今回必要以上のことを聞いてくるのだろうか。


 ライアンは黙ったままのジェイダンをしばらく見つめると、ため息を吐いた。


「まぁ、人に聞くなら、まずは自分からだよな」


 彼は首から下げたペンダントを取り出した。鎖の先にはジェイデンが持っているのと同じようなロケットがついている。カチリと蓋を開けて、彼は中を見せた。


「可愛いだろ。村一番の美人でね、名前はマーシャって言う」


 中には金髪の巻き毛の少女の肖像画が入っていた。

 ちらりと見て、ジェイダンは訝し気に眉根を寄せた。

 ライアンは苦笑する。


「――お前の『彼女』と比べるなよ」


「……比べてない。何のつもりで、それを俺に見せるんだ」


「まぁ、聞けよ。マーシャとは幼馴染でね、気づいたときには恋人同士になってたよ」


 ジェイダンはしばらく考えて、聞いた。


「故郷にいるのか?」


「――今は領主様の奥方だ。マーシャの父親は聖壁が弱くなった時に魔物に襲われて死んでね、下に兄弟も多かったし――、俺は農家の3男坊だ。見てのとおり、マーシャには求婚は山ほど来てて、まぁしょうがないよな」


 ――聖壁が弱くなった時に、魔物に襲われて死んだ――


 その言葉を受けて、ジェイダンは黙り込んだ。

 ライアンは構わずに言葉を続ける。


「魔竜を倒したら、凄えたくさん金がもらえるだろ? それに……名誉も。そしたらマーシャにもう一度会いに行ってみるつもりだ。――彼女が何て言うかはわからないけど」


 言い終わると、にっと笑ってジェイダンを見つめる。


「それが俺が魔竜狩りに参加する理由だ。ジャックやイーサンのバカ騒ぎに混ざらないのもそれだな。他の女に手ぇ出してたら、マーシャに合わせる顔がねぇだろ」



「……」


 ジェイダンは俯くと、口ごもった。

 ――ライアンのそんな話を聞きたくはなかったのに。


 彼はため息を吐くと、ポケットから何かを取り出し、ジェイダンの前に差し出した。


「これは魔術書だな。お前が熱心に読んでる」


 ライアンは言いにくそうに頭を掻きながら言った。

 それは、確かにジェイダンが自分のバッグから肌身離さず持ち歩いている魔術書だった。

 

「お前、俺の荷物から盗ったのか」


 声を荒げ、本に手を伸ばす。ライアンはさっとそれを持ち上げた。

 バランスを崩したジェイダンは床に転がって頭を打った。


「ジェイ、お前がそんなにムキになるなんてな」


 ライアンは何かに納得したように頷いて言った。


「返せよ!」


 ジェイダンは掴みかかろうと身を起こす。

 リオナに――魔竜に近づいている緊張感で、注意力が落ちていたのか、荷物から盗られたことに気づかなかった自分に腹が立った。


「――これ、1年半前に王立魔術院から盗まれた、魔術書じゃねぇか。俺も多少魔術文字は読めるんでね。お前が熱心に何を読んでるのか盗み見させてもらった」


 ライアンは低い声で、探るように言った。

 ジェイダンは身体を強張らせた。


 その通りだった。その魔術書は、変身魔法など身体を変化させる魔法を解除する方法が書かれている、王立魔術院貯蔵の高位魔法書だった。リオナの姿を戻す方法を求めていたジェイダンが王立魔術院から盗み出したものだった。


「――図星か? お前が言わないなら、イーサンに見せるぞ。あいつは魔術学校出だからな、見たら一目でわかるだろ」


 ライアンは鋭い声で聴いた。

 

「返せ」


 ジェイダンは立ち上がると、相手に飛び掛かった。

 ライアンは避けずに、それを受けた。

 その予想外の行動に、振り上げた手を止める。


「――話してくれ、ジェイ。俺はお前を仲間として信頼してるんだよ。それは、お前にとって必要なものなんだろ? ――あの画の『彼女』と関係があるのか」


 ジェイダンは手を下に下ろすと、一度俯いてからライアンを見つめた。


「――そうだ。『彼女』は――、今、手の届かないところにいて――、『彼女』に会うために、その魔術書と、魔竜討伐が――」


 そこで言葉を濁す。


「賞金が、必要だ」


「――『彼女』は誰だ?」


「俺の、姉だ」


 自分に言い聞かせるようにジェイダンは呟く。


「俺は、家族を取り戻したいんだ。もう俺の家族は姉しかいない」


 ライアンは頷くと、にっと笑った。


「そういうことか。それからお前、本当は何歳だ?」


「――18」


「うわ、思ったよりガキだな」


 ライアンは笑って、魔術書をジェイダンの膝の上に投げた。


「――いいのか、俺は魔術院からのお尋ね者だぞ」


 ジェイダンは驚いて目を大きくすると、本を握りしめた。

 自分には魔術書窃盗の罪で懸賞金がかかっている。魔術書と自分を魔術院に差し出せば、少なくない懸賞金をもらえるはずだ。


「窃盗罪の懸賞金なんてたかが知れてる。それより魔竜退治のが大事だ。お前がいないと、魔物狩りが始まらねぇだろ」


 ライアンはにっと口角を上げると、ぽんぽんっとジェイダンの肩を叩いた。


「お前がシスコンのガキだってのがわかれば十分だ。ガキだから大人の宴会にも興味ないんだな。明日早朝出発って言ったのお前だろ、早く寝ろよ」


 そう言うと、自分はさっさと上着を脱いで布団に入ってしまう。


「ガキガキ言うな。俺、リーダーなんだけど」


「ジャックとイーサンにはお前がガキだって言わないでおいてやるよ、感謝しろ、リーダー」

 

 からかうような声が返ってきて、すぐにいびきが響き始める。


「……お前は、いいやつだよ、ライアン。本当に」


 ジェイダンは自分のベッドの上で膝を抱えると、暗闇に向かって呟いた。

 それから、唇を噛み締める。

 自分の醜い考えで溺れて息ができないような感覚を覚えた。

 また首に下げたロケットを開け、澄ました表情の肖像画のリオナに向かって呟いた。


「姉さま、俺はあなたにどうしても、また会いたいんだ」


 瞳を閉じて、リオナの姿を――温かさを、抱きしめられた時の柔らかさをイメージする。

 あれから、毎日、毎日、何度も、何度もそうやって彼女の姿を思い描いてきた。

 18歳の、谷底に消えた日の、今の自分と同じ年の彼女が微笑んで、自分を抱きしめる。

 そして、自分はその頬に手を添えて――。


 ジェイデンは頭を押さえると、自身に言い聞かせるように唱えた。


――俺は、家族、を取り戻したいんだ。

 

 自分のリオナに対する想いが家族に対する思慕の想いなのか――違った何かなのか、わからなくなっていた。


 ◇


「昨日は楽しんでたみたいだな」


 朝「おはよう」と部屋に戻っていたイーサンにライアンが声をかける。顔についた口紅の跡をふき取りながら、イーサンはふっと笑みをもらす。


「まぁ、そうですね」


 階下に降りると、予想通り1階の酒場のカウンターにもたれてジャックが大きないびきをかいていた。ジェイデンが肩を揺らすが起きる気配がない。ライアンが椅子を蹴り飛ばすと、床に転がったジャックはようやくむくりと起き上がった。


「あぁ!? 蹴りやがったのは誰だ?」


 ジェイデンはぱんっと手を叩く。


「もう行く。東の森までは結構かかるから、食べ物をたくさん買っていこう」


「東の森? 魔竜は西の森に出たんじゃなかったか、ジェイ」


 ジャックは床に転がった大剣を背負うと、首を捻った。


「いや、東だよ。東には岩場が多い。黒竜は森よりもそっちを好む」


 ジェイデンは言いながら歩き出した。

 魔竜は東の森で目撃されてから、また姿を消した。

 魔竜退治は冒険者全体に広く依頼されているので、他の冒険者が辿り着かないよう、今まで貯めた金をすべて使って、ジェイデンは西の森に出たという噂を流させた。その噂に流され、ほとんどの冒険者は西へ向かった。


「そうだっけか、まあ、俺はお前についていくだけだ」


 ジャックにばんっと背中を叩かれてジェイデンはむせた。


 ◇


 森に入って数日、露出した岩が連なる麓に4人は野営地を作っていた。


「見つからねぇな」


 ジャックが大剣の剣先を磨きながら、ぼやく。

 イーサンが魔法で火を起こしながら呆れたように返した


「そう簡単にいかないでしょう、4年も姿を消してたんですから」


 「いや」と口を挟んだのは、ジェイデンだ。


「――竜の痕跡を見つけた」


  そう言いながら火にかざしたのは、黒い石のように見えたが、


「鱗、ですね」


 イーサンが感心したように身をのりだした。


「今日の岩場の散策中に見つけた。上から三段目の岩場だ。――よく見たら、地層にずれがあった」


「中にいるってことか」


 ライアンの弾んだ声が暗闇に響いた。


「さすが、ジェイ」


「明日が本番だ」


 ジェイデンは力を込めて頷いた。


 ◇


「イーサンは5段目の岩場から、爆発で3段目の岩場を破壊。俺が魔法で土埃をはらう。ジャックは、目標の岩場の、右20メートルの岩場で待機、魔竜が目を覚まして飛び出した場合は首に向かって切りかかれ。俺とライアンは下で待機、ジャックの補助だ。俺の魔法と、ジャックの弓で竜を引きつける」


 ジェイデンが支持を出すと、3人は「おう」「はい」「了解」と声をそろえた。


「お前の言うとおりにやっときゃ問題ねぇな」


 ジャック剣を素振りしてにっと笑った。


 ジェイデンは表情を変えずに頷く。


 この時のために、頼れる指示役に徹してきたのだ。

 彼らが自分の言う通りの配置についてくれるように。


「行くぞ」


 掛け声が自分でも震えるのが分かった。


 ◇


 それぞれが位置につく。イーサンが呪文を詠唱しながら、杖を天に掲げた。

 


 ドンッ



 爆発音が響いて、周辺の森から鳥がいっせいに羽ばたいた。

 

 ドドドドドドドド


 岩場が音を立てて崩れる。砂埃で視界全体が茶色く染まった。

 そして――低い呻き声のような吠え声があたり一帯に響いた。


「当たりだ、ジェイ」


 ライアンが声を弾ませた。


「風よ―――」


 ジェイデンは、汗がたらりと額から首筋に流れるのを感じた。

 ようやく、ここまでたどり着いた。

 呪文の詠唱とともに、風が砂埃を散らす。 

心臓の音が体中に響いた。

開けた視界に、崖の中から頭を突き出し、長い眠りから覚めたように周囲を見回す黒竜の姿が目に入った。

その青い瞳が、ジェイデンとライアンを捉える。


 グゥアアアアア


 竜のひと際大きな咆哮が地面を揺らした。


「行くぞ、ジェイ」

 

 ライアンは自分の頬を叩いて、弓に矢をつがえる。


「――ああ」


 ジェイデンは低い声で呟くと、別の呪文を詠唱した。

 ――次の瞬間、ライアンの足元に魔法陣が浮かび上がって、光が立ち上った。


 崖の上でも、竜から少し離れたところでも同じように光が上がる。

 それはイーサンとジャックの待機場所だった。


「なんだ……これっ!? ジェイ!!」


 立ち上がった光の粒が餌にたかる蟻のようにライアンの身体にまとわりつく。

 払いのけようとしても、一つ一つが連結して固まり、足元に現れた魔法陣から出ることができなかった。


「――ごめん、ライアン」


 ジェイデンは俯いて、唇を硬く閉じてその震えを抑えた。

 魔竜の場所は2日前には把握していた。言わなかったのは、準備が必要だったからだ。

 ――魔竜の中にいるはずの、彼女を分離させる魔術のための準備が。


 盗み出した魔術書には、魔物に喰われた者を復活させる方法は具体的に書いてなかった。――ただ逆に、魔物の魂にとり憑かれて、姿が変わってしまった者を元に戻す方法は書かれていた。聖属性の魔力を身体に流すと魔物は消滅するため、大出力で聖魔法をかける、という方法だった。


 姉の場合も魔物である竜の部分を消滅させれば、残った部分が彼女のはずだとジェイデンは考えた。竜を消滅させたらその後で肉体再生と蘇生の魔法を使えば姉が取り戻せると思った。


 しかし、そのための聖魔法は使えるものの、聖女ではないジェイデンには、竜の部分を消滅させるほどの強力な魔法は使えなかった。――魔力を補強するために、材料が必要だった。


 だから、潜在魔力が高い者を仲間に選んだ。

 余計なことを話さず、聞かず、黙々と仕事をこなし、自分の指示どおり動くよう信頼を勝ち取った。――魔法陣の位置にいてくれないと、効果がないからだ。


「ごめんってどういうことだ……うぁあああ」


 ライアンの悲鳴が森の中に響く。身体にまとわりついた光の粒は、彼の魔力を吸収し大きく膨らんだ。


「――ごめん」


 ジェイデンは声に嗚咽が交ざるのを感じた。

 自分が許されないことをしているのはわかった。

 それでも――


「俺は、姉さまに会いたいんだ」


 上を向くと、ジェイデンは剣を天にかざした。

 3人の魔力を吸った光の粒が上に舞い上がり、竜に襲い掛かった。

 

 グゥゥアアアアア


 光の粒で全身を覆われた竜は巨体を揺らし、崖を崩しながら暴れると、大きく口を開いた。

 口の奥が赤く光り、炎の渦が吐き出された。


 ジェイデンは風で防御壁を作ると後ろへ飛びのいた。

 目の前が真っ赤に染まり、魔法陣の中に膝をついたライアンの身体を飲み込んだ。


 ジェイデンは顔を背け、嗚咽を漏らすとまた前を向いた。

 土埃と煤を風で払いのけると、竜の身体が岩場で崩れた土に埋もれて横たわっていた。


 大量の聖魔法を浴びて、魔物の魂が消滅したはずだった。――そして、残るのは。

 

「――姉さま」


 ジェイデンは叫ぶと、その竜のところに駆け寄った。

 竜の頭がわずかに動く。


「ウ、ア、ア」


 人の声のような奇妙な声がその喉の奥から漏れた。


 竜の青い瞳がジェイダンをじっと見つめる。


(姉さまの目だ)


 目頭が熱くなって瞳が潤んだ。


「今、今、俺が戻してあげるから……」


 ジェイダンは剣を抜くと、刃に風をまとわせ、呼吸を整え土砂から半分出た竜の首目掛けて振り下ろした。


(一度、竜の体を壊して――再蘇生する)


 生暖かい血が体中にかかった。黒竜は断末魔の悲鳴を上げて暴れた。ゆっくりと硬い鱗に刃を通していく。――やがて、竜は動きを止め、どさりとその首を地面に落とした。


「――姉さま」


 ジェイダンは屈みこむと、竜の首から流れ落ちる血の川に手を当て、地面にその血で魔法陣を描いた。剣を空に掲げ、瞳を閉じて、イメージする。リオナの顔を、身体を、肌を、体温を、声を、一つずつ詳細に思い描きながら呪文を唱えた。


 ぐつぐつと、首の断面が、周囲の血だまりが煮えたように泡立った。それらは、吸い寄せられるように魔法陣の中央に集まって行き、人の形を作り出した。


 ジェイダンは自分の足元に、人の塊ができていくのを感じていた。早く瞼を開けたい気持ちをこらえ、きつく瞳を閉じ、詠唱を続ける。最後までやりきらないと、それは形を成さず、ただの肉塊になってしまう。


 一心不乱に詠唱を続けていると、自分の声の間に、「あ」と小さな別人のうめき声が交ざった。


「……姉さま?」


 ジェイダンはゆっくりと瞼を持ち上げる。

 そこには――魔法陣の中には、血まみれの女が横たわっていた。

 そして、それは紛れもなく、4年前の姉の姿をしていた。


「うぅ」


 彼女は小さく呻くと、ゆっくりと焦点の定まらない青い瞳をジェイダンに向けた。

 ジェイダンは息苦しさを感じながら、彼女を抱き起した。

 言葉は何も出なかったし、何を言っていいのかわからなかったが、瞼が熱くなるのがわかた。


(もう会えないかと思ってたのに)


 彼女を見つめ、呟く。


「僕だよ。ジェイダンだよ」


 リオナの瞳の焦点が彼を捉えた。その瞬間、瞳の中が赤く輝き、リオナは手足を暴れさせた。


「姉さま!」


 ジェイダンは彼女を暴れないように抱きしめると押さえつけた。 

 首筋にずきりと痛みが走る。視線を移すと、リオナが人間にしてはやや尖った牙をジェイダンの首に突き刺していた。


「……った」


 ジェイダンは口を離し、さらに肩に噛みつこうとするリオナを自分から離すと、地面に押さえつけた。強い力で押しのけようとする彼女の裸の身体の上に覆いかぶさる。

 頭の中でぐるぐると思考が回転した。


(――失敗した? ――何か、やり方がまずかった? ――そんな、じゃあ、俺はなんで――)


 それでも、身体の下からじんわりと柔らかな温かい感触が伝わってきた。

 それは確かに、昔自分を抱きしめてくれたリオナの肌だった。


「―――」


 ジェイダンは自分に向かって牙を向こうとするリオナの顔を見つめた。

 混乱する脳内で、感情のタガが外れた。

 彼女の頭を押さえ、唇を重ねる。牙が口内を切り、口の中に鉄の味が広がった。

 それでもそのままキスを続けた。

 しばらくそうしていると、やがて、リオナの身体から力が抜けた。

 ジェイダンはゆっくりと顔を離した。


 リオナは先ほどまでと違った、青い静かな瞳をジェイダンに向けて、呟いた。


「――だれ……?」


 ジェイダンはしばらく俯いてから、顔を上げて笑顔を作った。


「俺は」


 声が震える。もう自分の感情に蓋をして後に引くことはできないと確信していた。

 リオナを思い浮かべる度、自分は彼女を抱き寄せ、唇を重ねていた。

 彼女を想う気持ちは、単に家族への愛情だけではなかったと、今はっきりと気づいた。


「俺は、ジェイ。――君の名前は、リオナだ」


 彼女を抱きしめ、囁く。


「ずっと、あなたが好きだった。会いたかったよ、リオナ」


 ◇


 日が暮れて、木の枝を組んで作った野営地の中に肌寒い風が吹き込む

 ジェイダンは荷物をあさり、傍らで糸が切れた人形のように眠るリオナの上にかけてやった。

 きれいに拭いた肌は傷ひとつなく、真っ白だった。

 ふと不安になり彼女の手を握ると、じんわりと温かくジェイダンは安心して息を吐いた。


 自分が蘇らせた彼女は、はたして本当にリオナなのだろうか。

 

 姿形は、自分が覚えている彼女そのものだった。――だが、口元からのぞく牙は竜のようで、時折青い瞳の奥に赤い光が見えるように感じた。


 けれど、抱きしめたその感触も、肌の柔らかさも、匂いも、声も。

 ずっと思い描いてきた彼女そのものだった。

 さっきまで感じていた熱を思い出して、ジェイダンはそれを払うように首を振った。


 ジェイダンは立ち上がると服を着て、魔物が野営地に入らないように魔法を唱え、剣を持って外に出た。


 暗い森をかき分け、竜のいた岩場へ向かう。

 自分たちがいた痕跡を、リオナの姿を戻すため高位魔法を使った痕跡の魔法陣を早めに消しておかなければならなかった。


 まず、残った竜の遺骸の傍に登る。

 竜の身体は、リオナの再生した身体に変わった部分が不自然にえぐれていた。

 呪文を唱え、その痕跡が分からないように、風で細かく刻む。

 それから、魔法陣の跡も風で削って消した。


 それから、崩れた土に埋もれたイーサンとジャックの身体を掘り起こす。二人とも、何が起こったかわからないという顔のまま、魔力を吸われ絶命していた。顔を見ることができず、うつぶせにして、横に並べる。


 次に森に戻ると、ライアンの魔法陣のところへ向かった。

 竜の炎で燃やし尽くされたその場所に転がった骨を拾って、崖に戻った。


「3人は、竜の炎で焼かれた」


 ジェイダンは無表情で呟いてから、顔を歪めた。

 震える唇を噛み締めていると、瞳が潤んで、上を向いても溢れて零れた。

 たどたどしく、噛みながら呪文を詠唱する。

 剣を振りかざすと、周囲に炎の壁が立ち上がり、3人の身体を包んだ。

 ジェイダンは炎が消えるまで、それをじっと眺めていた。

 後には、黒く焦げた骨が月の薄明かりに照らされていた。


「ははっ」


 ジェイダンは唐突に笑い声を漏らした。

 自分を信頼していた仲間3人の命を使って、自分はリオナを取り戻した。

 彼女は――姿かたちはリオナだが、ジェイダンのことも自分のことも何もわからないようだった。そして自分は、そんな彼女を――。


「あはは、ははっ、はははっ」


 ジェイダンの笑い声が暗闇に響く。彼は、泣きながら笑っていた。

 

(俺は、今、満足してるんだ)


 ジェイダンは喉の奥から出てくる笑い声も、頬を流れる涙もどちらも止めることができなかった。


 心は満足感で満たされていた。


 自分が今、アーガディン公爵家の跡取り息子、ジェイダン=アーガディンでないこと嬉しく思った。両親がもうこの世にいなくて良かったと思った。

 リオナが彼女自身のことも、自分のことも何もわからないのが満足だった。

 あの、姉が魔物の谷に落ちて、竜に喰われたことでさえ、今は良かったとさえ思っていた。

 イザベラがローガンを姉から奪って、王妃になったことにも感謝したい気持ちさえ感じた。


 ――だって、今、彼女は俺の横にいるんだから――


 ジェイダンは喉の奥から乾いた笑い声を漏らしながら、地面に置いてあった剣を手に取った。剣先を自分に向け、両手で柄を握りしめた。


「姉さま、お父様、お母さまごめんなさい。ライアン、ジャック、イーサン……悪かった――」


 そう呟くと、剣を深く自分の腹に突き立てた。


 どくどくと血が流れて行くのを感じる。

  

 ――俺、死ぬのか――

 

 苦しさに悶えながら、ジェイデンは自分に問いかけた

 

 ――最期まで情けないな、心臓突こうとして、腹なんて――


 喉の奥から笑い声と共に血が昇ってくる。ジェイダンは地面に転がった。

 目の前がどんどん暗くなっていった。

 遠のいていく意識の中で、横でリオナが囁いた気がした。


 ――馬鹿な子、聖女のお姉さまがいて、死ぬわけがないでしょう。あなたの傍には私がずっとついててあげるから


 そして白い光が自分を包んで、ふわりと身体が軽くなる――


 ジェイダンはそこではっと意識を取り戻した。身体が温かかった。

 自分の身体を誰かが抱きかかえている。顔を動かすと、自分と同じ柔らかな栗色の、長い髪が頬にあたった。


「しなない」


 耳に聞こえるのは、愛しい声だった。

 リオナがジェイダンを抱きかかえていた。その身体は白く光っている。

 彼女は泣きそうな声で呟いた。


「しなせない」


 自分の腹を触った。傷はすっかり塞がっている。

 ジェイダンは彼女の頬に触れた。体の中から湧き上がる何かがあった。

 身体を起こして彼女を抱きしめると、嗚咽を漏らした。


 ◇


 翌日、朝日が昇ると、ジェイダンは荷物を纏めて、リオナに聞いた。


「歩けるかな」


 彼女はうん、と頷くと立ち上がった。ぐらりと揺らいだその身体を支えてジェイダンは笑った。


「良かった。ゆっくり行こう」


「いく……」


 リオナは首を傾げて黙り込んだ。


「どこに、いく?」


「――どこでもいいよ、リオナがいれば」


 ジェイダンは彼女を抱きしめて、囁いた。


「俺がずっと守るから。二人で一緒に、どこか静かなところで、ゆっくり暮らそう」


 彼女は言葉の意味を考えるように首を傾げると、また「うん」と頷いた。


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