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下り坂、急カーブ。遠心力で引っ張られそうになって、隼人の腰にぎゅっとしがみつく。ちょっとスピード出しすぎだよ。
「なずな、重い」
なにその言い方。むっとして、ペダルをこぐ隼人の頭を、うしろからぽこんとはたく。
海岸線沿いの道路をひた走る隼人の自転車。
九月の三連休の最初の日、すっきりと空は晴れている。まだ海の色は濃くて、空との境目も、白い雲の輪郭もくっきりと光っている。海辺の町の夏は去らない。
「部活引退してから、なまってんだよ。おまえも乗せてやるからついてこい」
そう言われて、半ば無理やりつきあわされた。行き先も決めず、足が疲れるまで、日が落ちるまで海沿いを走る、ただそれだけ。「重い」あたしはダンベルのようなもの、トレーニングの負荷だ。
ぐんぐんと風を切って進む下り坂や、ひたすら陽が照りつける平らかな道では、隼人のうしろに乗って。苦しくて息の切れる登り坂では、降りて自転車の荷台を押した。何度も休憩して、スポーツドリンクを飲んで。そうして陽はだんだん傾き、空が桃色に染まり出す。
「UFOは今日も飛んでない。いっこも飛んでない」
隼人がつぶやく。
急ブレーキ。隣町の隣町の、そのまた隣町の端っこ。視界の左端にある海はあたしたちのよく知ってる海と同じ色をしている。半日かけてたどり着いた場所は過去でも未来でもなく、手のひらにすっぽりおさまるほどのちっぽけな世界の延長線上だった。
堤防に腰かけてドリンクを飲む。カリンが旅立ったあの日以来、教室の窓から、自分の部屋の窓から、歩きながら、友達と話しながら、気づいたら銀色の円盤を探している。
UFO、あるいはタイム・マシン。
「不思議だと思ってたんだ」
あたしの隣に座った隼人が話しはじめる。目の前の海にオレンジの陽が落ちようとしている。隼人の瞳にまるい太陽が映っている。
「理想のタイプと、実際好きな子って、ぜんぜん違うんだなって。まあ、カリンは美人だしカラダもすげーし、ぶっちゃけクラクラしたけどさあ」
海からの風が隼人の前髪をもちあげた。相変わらず、うっとうしそうな前髪。
「母親そっくりって知って、ショックだったけど、いまは納得かな。俺、ちゃんと覚えてんじゃん、って。許さないけどな。母親も父親も。だけど俺にはばあちゃんもいるし、おまえんちのおじさんおばさんもいるし、友達もいるし」
ちら、とあたしを見やる。そしてすぐにそらす。
「生まれてきてくれてよかった、って。言ってくれるやつも、……いるし」
ぼそぼそと、低い声で、ひといきに言い放った。
胸のなかがじんわりと暖かくなる。
そうだよ。生まれてくれて、よかったよ。隼人も、……カリンも。
まるい、赤い陽が水平線に吸い寄せられていく。強がりを言ってる、ちょっと影のある隼人の横顔。だけどこのときは、少しだけ憂いが晴れて、すっきりしているようにも見えた。
でも。あたし的には、ちょっと引っかかる単語が。
「好きな子って?」
思いきって尋ねると、隼人は、はあー? と気の抜けたような声をあげた。
「おまえさ、どんだけニブいの?」
ぴょんと堤防から飛び降りて、あたしに大きな手をさしのべる。そっと、その手に自分の手をかさねる。あたたかい。
あたしたちの背負ってる世界は、いま、夕暮れのオレンジに染まっている。太古のむかしから、はるか未来までずっと変わらない大きな空の下。
「わかんないし。あんたの言ってること、ちっともわかんないよ」
どきどきする胸。隼人のことばを待つ。と、隼人は、あっと大きく目を見開いた。
「飛んでる! UFOだ!」
振り返る。隼人の指さきのその向こう、太陽の消えたあかるい空に、きらり。何かがひかって、そして、消えた。
「あー……。もう見えなくなった。目の錯覚かな?」
「ちがうよ」
あたしは力強く言い放った。
「たしかに、何かいた」
うん、と隼人がうなずく。たしかに、いたんだ。
一〇〇年先の未来にはあたしたちはもういない。あたしも、隣にいる大好きな男の子も、とっくに朽ち果てて、塵になって世界をかけめぐっている。
そうしてまた、カリンに会える。
きっとまた、会える。
お読みくださり、ありがとうございました。