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【連載版】これだから!!どうして浮気をするのかしら!!!  作者: 入多麗夜


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7/7

送り出す者

最終話です

 春も終わりに近づいたある日の午後、セシリアは自室の窓辺で書簡を閉じた。


 庭では、ついこの前まで盛りだった花々が少しずつ色を失い始めている。季節は夏へと変わろうとしていた。


 あの件が片づいてから、世間では妙に静かだった。


 もちろん、何も起きなかったわけではない。社交界ではあれこれと囁かれたし、バルティエ家に対する視線も目に見えて変わった。だが、教会があまりに大きく事を運んだおかげで、かえって周囲は軽々しく面白半分の噂にしにくくなったのである。


 やはり教会の判断とその異様さは、さすがに誰にとっても笑い話では済まなかったらしい。


 さらに、その件に王家が興味を示したという話まで流れてきた。もっとも、実際に何か干渉があったわけではない。教会の裁定があまりにも明快で、しかもバルティエ家への処分も徹底していたため、王家としても口を挟む余地がなかったのだろう。


 ただ、その過程で、別のところへ話が転がった。


「お呼びでしょうか、お嬢様」


 控えめな声に振り返ると、マルタがいつものように一礼して立っていた。


 何ひとつ変わらない落ち着いた姿だった。長年見慣れてきた侍女の姿でありながら、今は少し違って見える。


「ええ、少し座ってちょうだい」


 そう言うと、マルタは一瞬だけ目を瞬かせた。普段なら侍女に椅子を勧めることなどほとんどない。けれどセシリアはかまわず向かいを示した。


「話しておくことがあるの」

「……かしこまりました」


 マルタは腰を下ろす。

 セシリアは机の上に置いていた封書を、指先で軽く押さえる。


「王城から打診が来ているわ」

「王城でございますか」


 さすがのマルタも、ほんのわずかに表情を変えた。


「ええ。正確には、王家に近い方からの取り次ぎだけれど。今回の件で、あなたの働きが先方の耳にも入ったらしいの」

「私のですか」

「そうよ」


 セシリアは淡々と答える。


「教会があれだけ大きく動いたでしょう。そのせいで、逆に色々なところへ話が流れたの。もちろん、表向きは婚約にまつわる裁定の件だけれど、立役者は貴方だったのだから、王家の側が興味を持つのも不思議ではないわ」


 マルタはすぐには答えなかった。


「最初、私は断ってもよかったのよ」


 セシリアは正直に言った。


「でも、そうしなかった」

「……なぜでございますか」

「勿体ないからよ」


 マルタがわずかに目を見開く。

 セシリアはその反応を見ながら、少しだけ口元を和らげた。


「あなたは有能すぎるわ、マルタ。ルーベンス家で一侍女として置いておくには、惜しすぎるほどに」

「そのようなことは」

「あるのよ」


 はっきりと言い切る。


「今回の件だけではないわ。ずっと前からそうだった。貴方は侍女なんて器を超えているもの。そんな人なんて、私の知る限りではそうそういないもの」


 マルタは視線を伏せた。褒め言葉に慣れていないのか、それとも受け取り方に迷っているのかは分からない。


 けれどセシリアは続けた。


「王家の側は、あなたの技量を買っているそうよ。待遇も、今ここで受けているものとは比べものにならないわ。給金は何倍もになるそうよ」


 そこで初めて、マルタはさすがに言葉を失ったようだった。


 セシリアは封書を見下ろした。


「あなたが望めば、王城勤めになる。正式に取り立てられて、もっと大きなところで働けるわ」

「お嬢様」


 マルタの声は、いつもより少し低かった。


「私は、ここに残ります」


 迷いのない言い方だった。


「ルーベンス家に仕える者として、これまでやってまいりました。今さら場所を変えることなど」

「できるわ」

「ですが」

「できるのよ、マルタ」


 セシリアはその言葉を遮った。


 冷たく言ったつもりではない。だが、きっぱりとしていた。


「あなたは残ると言ってくれるでしょうね。そういう人だもの。でも、だからこそ私が決めたの」

「お嬢様……」


 そこでようやく、マルタは少し困ったように眉を寄せた。いつも主人の意向を先回りして汲む彼女にしては珍しい顔だった。


 セシリアはふっと息を吐き、椅子の背にもたれる。


「私はね、今回の件でよく分かったの。あなたは、誰かのそばにいて支えるだけの人ではないわ」

「そのような買いかぶりを」

「買いかぶりではないのよ」


 静かに首を振る。


「もっと上へ行ける人だもの。もっと大きな場所で働いて、もっと多くのものを動かせる。ルーベンス家の中で終わらせるには、惜しすぎるわ」

「ですが、私は……」

「ここに恩があると言うのでしょう?」

「はい」

「それなら、なおさらよ」


 セシリアは微笑んだ。


「恩があるから残る、なんて、あまりにつまらないわ」

「……お嬢様は、薄情でいらっしゃいます」

「そうかもしれないわね」


 言いながら、セシリアは少しだけ笑った。


「でも、優しいつもりではあるのよ」


 しばらく二人のあいだに静かな間が落ちた。窓の外では風が葉を揺らし、どこかで小鳥が短く鳴いている。


 やがてマルタが、観念したように小さく息をついた。


「本当に、よろしいのですか。私がいなくなれば、お嬢様は不便をなさるでしょう」

「もちろん不便よ。あなたほど気の利く侍女は、そう簡単には見つからないもの」

「でしたら」

「でも、それとこれとは別の話でしょう」


 あっさりと言い切る。


「惜しいから手元に置く、なんて、それこそ三流の考え方だわ。使えるから囲っておくなんて、どこかの誰かと同じじゃない」


 エドガーの名は出していない。けれど、何を指しているのかは十分に伝わったのだろう。


「……かないませんね」

「そうかしら」


 マルタは苦笑し、それからゆっくりと背筋を正した。


「承知いたしました。王家からのお話、お受けいたします」

「そう。良かったわ」


 その返答を聞いた瞬間、セシリアはようやく胸の奥にあった緊張が解けるのを感じた。


 寂しくないといえば嘘になる。


 長くそばにいた者が離れるのだ。これまで通りにはいかないだろう。きっと不便もする。時には、今ここで引き留めてしまえば楽なのにと思う瞬間もあるはずだ。


 それでも、それでいいと思った。


「きっとやっていけるわ」

「そうであればよいのですが」

「大丈夫わよ、貴方なら。それと向こうへ行っても、たまには便りを送って頂戴ね。


 マルタは深く頭を下げた。


 その姿を見ながら、セシリアは窓の外へ目を向ける。


 失ったものがなかったとは言わない。けれど、それ以上に、手放すべきものを手放し、進むべき者を進ませることができたのなら、それはきっと悪くない結末なのだろう。


 もう、あの男のことを考える必要はない。

 代わりに思うべきことは一つだけだった。


 ――どうせなら、とことん上まで行きなさい、マルタ。


 それが、セシリア・ルーベンスなりの餞別だった。

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