5話 霞草
私はただ訝しげな表情を浮かべていただろう。
「問題は、井上が楓を次の恋愛対象として見ている可能性があるということ」
「確率は?」
少し歪んだ表情。
「80パー」
それから私は今日あったでき事を事細かに説明した。井上の動向や篠田の表情も含めてだ。
「まあ、そりゃあ井上も好きになるし、篠田も嫉妬しちゃうよ~」
そう言いながら、流花は私の頬へと手を回し、私の顔を手繰り寄せた。
また始まったよ……。
「だってこんなに可愛いんだもん。しょうがないよ」
彼女と話す中で唯一懸念点があるとすれば、彼女は私のことを過大評価し過ぎている事だ。
流花は満足気な笑みを浮かべて、元の方向へと向き直った。
私のことを異常なまでにかわいがるし褒める。このヨイショが、彼女がサシで交流する時の手口なのかもしれない。だが、これを執拗に拒まなければ少なくとも朔月流花は私の仲間で居てくれる。
これを利用しない手は無い。
「にしても、困ったねぇ」
彼女にしては珍しく、真剣な面持ちだ。多分私への独占欲かなんかだ。それが利己的な何かだとしても、悪い気はしない。
「とりあえず2人との接触は避けるよ。でも、人間の感情的な部分を変えるのは神様でもなきゃ無理な話。どうしよ……」
「んー、私がちとヘイト買ってみるとか? 結構簡単に靡きそうだし」
自己犠牲は望んでない。
それに、こいつはなんやかんや恋人がいる。その状態で他の男を弄ぶ行為は、私にとっては好ましいものではない。
「この件は一旦保留で。20%にかけてみてもいいわけだし、行動するにはまだ早いと思う」
「了解。んで、次は?」
「あと2個ある。花園華鶴についてと、今日の放送呼び出しの件について」
流花は少し俯いてから、こうしようと言わんばかりに立ち上がった。
「メシ食べいこう。話聞いてあげる代ってことで」
本意では無いが、私にはYES以外の選択肢が残されていない。それを理解して彼女は言っている。
「お金今日そんな持ってきてないから抑えめでー」
星でも出る勢いでウインクしながらキャピってみた。
「え?いや、奢るに決まってるじゃん」
あー……深く考えるのは辞めよう。
◇ ◇ ◇
流花に黙ってついて行ってみれば、そこはファミレスと言うよりは、レストランバーのような所だった。
流花が注文を進めてくれて、気が引けた私はお冷とサラダだけ頼んだ。結局流花が頼んだものはシェアメニューばかりで、流石としか言いようが無かった。
「花園華鶴について分かったことはこれだけ。1日目とは言え、案外自分の素性を明かしてない。なんならよっぽど楓の方が知ってそうだね」
流花が羅列した華鶴に関する情報はほとんど既出の物で、結局深層部分は何も分からないままだった。
「まあ今はそうかも。でも、花園華鶴のガードの硬さって点は話したからこそ分かったよ。ありがとう」
どういたしまして。と、ピザを頬張りながらの返事が返ってくる。
「ところで、ここって私達みたいなのが来ていい場所なの?」
「え? 全然気にしなくていいと思うよ。なんなら私の行きつけだから、安心して。誰も来ないよ」
今更、流花が連れてきてくれたここに誰か知り合いが来るという心配は一切していなかった。どちらかと言うと、この品の塊みたいな店内の空気感に気圧されていただけだ。
「じゃあ続き。小難しい話はさっさと終わらせよう」
そう言うと、流花から待ったが入る。
「なんで呼び出されたか当ててあげるよ」
わざとらしく悩んだような素振りをしてから、閃いた様子で言った。
「成績がバレてその確認とか?」
若干的を射ているが、正解ではない。
「んー……、実際成績バレはしてたけどそれは本題じゃなかったかな」
「てことは成績も関係してくるわけだ」
最初っから返答が分かっていたと言わんばかりに、によによとしている。
「わかってて弄ぶのはなんで?」
そう。どうせこいつはほとんど理解してるはずだ。
「あはは、私の知ってることには100%がほとんど存在しないんだよ。あくまでも信憑性の高い情報を人伝で知ったり、情報収集の段階でほぼ100%に近い推測をしているだけなの。だから、それを限りなく100%に近付けていくために必要な駆け引きをしてる」
「なら、私には直接聞けばいいよ」
まるで、分かってないなあと言いたげな表情だ。
「それじゃあ何も面白くない。酒場の店主は情報を集める時、ただカウンターに立っているだけじゃダメなの。裏の世界の情報を得る時、自発的に、誰もが知り得ないような手段を用いる」
彼女も中々の変人だ。彼女なりの世界観と正義があって、自分の人生を彩る手段として誰もが知り得ないような人間関係なんかを集めている。
何が目的かなんて、野暮なことは今更聞けない。だが、私が思うにこれは朔月流花の最大の自己防衛手段だ。私が彼女を利用して保身に走るように、彼女もまた、他人を利用して安全圏に居ようとし続けている。
本題から逸れ過ぎた。
今はそんな事はどうでもいい。
「まあいい。一先ず、他言無用って事で君を信頼してお昼のことを……いや、昨日あったことから話すね」
昨日のこと、今朝のこと、そして今日の呼び出しの事について話す。その過程で、あの男に対する違和感や不信感にも気付く。
相談することで気持ちが落ち着くだなんてのは戯言に過ぎないが、私情の整理に役立つという側面はある。話す事で自分の考えが纏まることは多々あった。
「んー、この時期にってので予想はしてたけど、いまいち向こうさんの勧誘動機がわかんない。いや、勧誘すること自体は条件的に変じゃないけど、そこまで固執するのがどうも腑に落ちない。絶対なんかあるよ」
とは言え、話した情報には私のフィルターがかかっているはず。三人称の視点で物事を語っているつもりでも、それはいつも一人称の物語に過ぎない。
「よく分かんないし、向こうは私の事を気持ち悪いくらいに細かく把握してる。成績も、家の事もそう。一番怖いのは、あいつが千夏の事についてまで知ってそうなこと」
一番不自然な点だ。
流花が黙る。少し悲しそうな顔をする。
「皮肉だね」
少しため息をついて、流花が続ける。
「生徒会はどうすんの?」
「入んないよ。入るわけない」
「そう」
朔月流花は、千夏のことをあまり知らない。精々、名前と顔と……全部合わせて1時間も対面していたかどうかくらいの、浅い浅い知り合いだ。
赤の他人だ。
私達は、中学の時に軽音部として活動していた他校のライバル同士だった。と言っても、部活の人口が少なかったために規模は小さく、地区大会で最優秀賞に選ばれると県の文化祭で発表するという、寧ろ罰ゲームだろみたいなノリがあるくらいの空気感だ。
千夏が部長で、私は仲が良かったからほとんど一緒に部長みたいな感じだった。一方で、流花も他校の代表の立場にあって、顔合わせする機会が何度かあった。
連絡先を交換してからよろしくのスタンプを送って、コンクールの前に毎年激励し合う。ただそれだけの関係が、今のこの関係の始まりだ。
先輩が殆ど居ない状態から、外部のプロのコーチと連携して1年、2年と私達がコンクールの賞を掻っ攫っていった。
ただ、私達が3年生の代では、流花の学校が最優秀賞を手にした。私たちが有終の美を飾れなかった要因は明確で、私達の最も大事なピースが直前で欠けてしまったからだ。
ぐちゃぐちゃの演奏を審査員は酷評した。
でも、それは私達に……。いや、私にできる、全力の足掻きと、感情の爆発が招いた結果だった。
朔月流花は、このことを全て知っている。
昨日の敵は今日の友とも言うだろう。
彼女はそれが1%に満たないものだとしても、昔の私を知っている。所詮、その変わりようを見兼ねての同情だ。でも、流花の気遣いは私の荒みきった心を安定させるに値する、充分な温もりを抱えていた。
その恩があるからこそ、私は朔月流花との関係を続ける。彼女が私に飽きるまで、私はその縁を切れずにいるのだろう。
いつでも、優しさに理由は介在するのだろうか。




