19話 恣意
その後はデザートinto空腹の胃もたれに襲われながら、ちょうど始まるイルカショーへと駆け込んだ。
もう少し子供の頃は燥げたのかもしれないけど、結局はイルカのただ飛び跳ねる姿に特別愉快な感情も抱くことはできなかった。
夕時にも満たぬと言うのに、その会場にはほとんど子供が存在しない。
開始間際。まるでレイトショーを観ているような、そんな独特の雰囲気に会場は包まれる。
イルカの調教師によって。はたまた、イルカ達によって、水上の饗宴が繰り広げられる。
先刻、イルカは目が見えるのかという質問を提起した。その時は、超音波で~みたいな、そういう当たり障りのない結論に至った。
でもそれは、絶対的な間違いだ。
事実かどうかは分からないが、彼らはきっと見えている。外の世界が。私たちが、仲間たちが。
もしも。泥水の如く視界の中で、劣等種がその幽玄美を演じているのであれば。
私は、その最中、笑っていなければならなかった。
だから、彼らは視えていなければならない。
この世界の美しさを全身で余すことなく捉えていなければならない。
そうでなければ。今ここに生きている私は、あまりに心疚しい気持ちにならざるを得ないのだから。
舞台は歓声と拍手に包まれ、その舞踊劇と思考に終止符が打たれた。
「うー! つかれたぁ~」
伸びをする琉花を見て、少しだけ現実に安堵する。
「いやぁ、デザートの後にこの匂いはなかなかきつかったな」
「それは言わない約束でしょうが! せめてこう、もっと、感動したみたいなやつを言うところじゃん!?」
退散する人々を横目にケラケラと笑いあって、それから琉花の提案でお土産コーナーへと向かう。
逆回りとはいえ、二度目の水槽達に私達は見向きもしなかった。
琉花はなぜ水族館を選んだのだろうか。
お土産コーナーに着いてからは各々で商品を見て回ったものの、ほぼ地元のクッキーやキーホルダーを誰も買う気分にはなれなかった。
家族用に買ったところで、修学旅行のお土産とか、そういうのとは訳が違うだろう。それどころか三分の二は渡す家族すら今はいないんだけど。
その後も、まるで何も未練や余韻が無いかのように、寧ろ私達はせかせかと水族館を後にする。
「うー、お店の予約18時半からにしてるんだけど、あと2時間くらい何する……?」
「そこら辺の屋台で食べ歩きとかしたいとこだけど本末転倒だし……でも、寒いからとりあえず店には入りたいかも」
「美奈、なんか3人でやりたいこととかある?」
「娯楽施設的なの探してみるとか?」
そう言って周辺マップを見てみると、現在地からすぐ近くの所にカラオケBOXを見つけてしまう。
「うわ、一昨日行ったばっかなんだけどぉー!」
多分その頻度でも乗り気で行く人は行くんだろうけど、私にとってはRe:地獄でしかない。
半ば強引に、琉花と謎テンションの入門に連行されてカラオケBOXへと入る。
そこは前に行った店舗のチェーンだったので、即刻逃げ道を発見して、二人を誘導する。ここにはダーツやビリヤードなどの娯楽用具も置かれているのだ。
「ま、後でカラオケにも入るけどね」
琉花は悪い笑みを浮かべて、私にトドメを指す。逃げ場は無くなった。今はただ、後に控えた惨劇のことは忘れて、矢を投げるのみ……。
誘ったはいいものの実はダーツはやった事がなくて、それは琉花も入門も同じだった。
緊張しながらの最初の一投目は、無駄に真ん中に当たる。二投目、三投目と真ん中から大きく外れて、結局はビギナーズラックと言うやつだったらしい。
最初の方は勝負だ! と意気込んでいたものの、なんやかんや一時間くらい駄弁りながら、一喜一憂しつつ徐に投げ続けていた。
未知の体験に空きが回った頃に、渋々カラオケルームへと向かうことになったが、その頃には色々ともうどうでも良くなっていた。
入門は如何にもといった流行りのJPOPを歌い上げ、琉花と、気を使われた私は、二人でぎりぎり聞いたことがある程度の曲を歌った。
カラオケ用に何曲か覚えなきゃ……。
飽き性の私には、フルでちゃんと歌える曲が全く無い。そのせいで雰囲気でふんふん言って誤魔化す羽目になってしまう。
そのままゆるーい雰囲気が続いた。18時を過ぎた頃には撤収して、例のお店へと向かうことになった。
「お腹減った!たのしみだな~」
「え、急に幼児化しててかわいいんだけど」
よちよちされて気が立ってくる。
もはや煽りでしょうが。
「朔月は行ったことあるお店なの?」
「え、全然ないけど?」
「ないのかよ」
「まあでも、絶対美味しいお店だから安心して~」
やたら自信満々の琉花。まあでも、琉花に連れて行って貰ったお店はいつも美味しいし雰囲気もいいので信頼はしてる。
曲がり角を右に曲がってすぐ、大層な看板のお店の前で、琉花が口を開いた。
「ここだ。うん、はい! ここです! しゃぶしゃぶです!」
木製のドアをカラカラと開けると、風鈴の音が鳴り渡る。どこからか いらっしゃいませ という言葉が飛び交って、訪れた店員さんに個室へと案内される。
古風な雰囲気のお店で、あまりしゃぶしゃぶ店っぽくない。日本料理屋と言われた方がしっくりくる。
靴を脱いで入った室内には畳みが敷かれており、中央に掘りごたつが設備されている。
「いやーあったかくて染みる~」
入門がお冷を飲みながら言う。こいつは今日ボケてばかりだ。もはやこれがボケなのかどうかすらよく分からない。
「一応、コースにしてるから順次持ってきてくれるとは思うんだけど、足りなかったらタブレットで遠慮なく注文してね! 私の奢りだから、たんと食え!」
和風な景観にポツンと置かれたタブレット。
何だかおかしな光景に、現代の機械化の流れを感じて少し億劫な気持ちになる。
「いやさすがに俺に払わせて」
「えー、この前給料日だったから遠慮しないでよ」
「いやバイトで頑張ったお金は自分に使って……って言いたいとこだけど、じゃあ二人で割り勘ってことで手を打とう」
「うん、わかった」
「あの……私も普通に払うから」
「「それはだめ」だ」
どうして……
でも、多分この2人は食い下がらないだろうから、受け入れよう。それにこんなやり取りを続けるのはあまり好ましいことでは無い。
「えっと、じゃあ、お言葉に甘えて……?」
「うん! 景気付けに沢山食べて沢山飲んで!」
「これからはその小枝みてぇな腕を木の幹くらいに太くさせる」
入門のノンデリエピソードにまた新たな題目が誕生する。それに応じて琉花が任せたと言わんばかりのサムズアップをして、二人は投合した。
頃合いで、店員さんが大きなお盆を抱えてお肉や野菜を運んで来てくれる。
昼をパフェ一つで凌いだ甲斐あってか、普段の数倍は全てが美味しそうに見えた。
私達は静かに手を合わせて、夕食を始めた。
「実際さ、朔月は生徒会入りたい?」
趣味の話だとかくだらない話が一段落した頃に、入門がぶっ込む。
学校の話は極力控えようと思って、触れないようにしてたのに。まあ、こいつらしい話題振りでもある。
それに、琉花がしたかったのはこっち側の話だと思う。タイミングを伺っているのは見てとれた。そこに入門からアクションがあった。ただそれだけだ。
「ん、この前ああは言ったけど、改めて考えてみて今度断るつもりだったよ。私は気楽にやった方がいい」
本質には触れずにその意志をピシャリと言い放った琉花は、きっと前を向いていた。どちらにせよ、彼女自身が私に依らず決断を下したという事実は都合が良い。変に縺れるのは面倒臭い。
「なぁほぉね」
もやしを頬張って、入門が相槌を打つ。
どうやら生ゆでだったみたいで、顔を顰めた様は非常に愉悦だこと。
「ごめんそれ10秒前に私が入れたやつだわ」
「なにわろてんねん、止めんかい!」
「いや二人が真面目な話してたからさあ」
「仲良くなったね~」
お茶を啜りながら満足気な琉花。
しかし、その目は少しだけ冷たいような気がして、次に口元が開かれるその瞬間に少し肩の力が入る。
「君はさ、今の立場に重圧みたいなのは無いの? 辞めたいなって思うことは無いの?」
その口から放たれた言葉で、和んだ空気から引き戻される。
「あるよ。めっちゃある。でも、とりあえずできること全部やって、その中に楽しみを見つけられればいいなって。楽しけりゃ何でもいいんだよ。周りがおもんないって言ってきても、俺が楽しめればいい。エゴイスト的な考え方かもだし、本当に他者の意見を捻じ曲げるのは性に合わないんだけど、俺がうまく生きるためにはこういうのが必要?的な感じ。ごめん、うまくまとまんなかった」
「ふーん」
二人のやりとりには明確な意図がある。
入門の目は常に琉花を捉えている。琉花は少し下を向いて、顔を引き攣らせる。
私が寝ていた時、彼らは何を話していたのだろうか。それが、ずっと引っかかっていた。
頭をフル回転させる。
私の短所は考え過ぎることだ。見え過ぎることだ。長所は、考えられること。良く周りを見れること。
だから、異変に気付いた。意図を考えた。
「決断をする時……」
でかかった言葉に、息を飲む。
正解は無い。上手く言えなくてもいい。ただ、ハズレを引いちゃダメなんだ。
「決断をする時、私達はきっといつにもなく意気込んでる。すごく、全身に力が入って、前を向いてる。怒る時、感情は昂って、壊したくなるくらいに真っ白になる。皆で向かい合って、くだらない冗談で笑いあってる時、きっと温かい気持ちになって、これがずっと続いて欲しいなって思う。」
遠くから、風鈴の音が鳴り響いた。
その音は、夏の暑さを連想させながら、冬の冷たい空気を店内へと運んできていることだろう。
「でも、全部。明日朝を迎えた頃には無くなってる」
湯中で踊る一本一本のもやしが、よく映える。
二人は、私だけを見ていた。
「そのクセして、人間は死にゆく過去へといつまでも縋り続ける。夢とか希望とか、どうでもいい綺麗事に縋るために、それをいいように利用して、その時の自分を騙し続けてる」
『二回目があるなら、私達は絶対に成功する。でも、二回目なんてあっちゃ駄目なの。一回目を、限りなく上手くやる。それでいいの。いや、それしかないの』
彼の前の私は、訳の分からないことを語りがちだ。
言い換えるとするならば、無意識にその本心を引き出すのが上手いのかもしれない。
入門玲蘭は、私と似ている。
空間は昇華していた。
1秒は1分みたいで、でも、その時間の感覚は扉の開く音に掻き消されてしまった。
いつも、都合がいい。
神様はいつも、クラッパーボードを片手に私のことを監視しているようだ。
追加の銀皿が3つ、卓上に並べられた。ついでに、空になったお皿や飲み物を下げてくれる。
「あ、メロンソーダ1つお願いします」
琉花が沈黙を破る。
快く了承した店員は、忙しそうに去っていく。
そのまま、琉花は明るく暗く振る舞う。
「多分、私は考え過ぎなんだ。ううん、絶対そう。元から分かってるもん。でも、不安なことは不安なの。美奈のこともそう。自分のこれからのことも。不安だらけの心配性女で、大事な人に迷惑ばっか掛けてる」
「まあ、皆そんなもんだよ。人間の進む未来に正解とかない。人によっては正解が定義されてて、でもそれは、さっき楓が言ったような綺麗事で埋め尽くされたものだと思う。その点、朔月はその綺麗事を自分の選択肢から消そうとしてて、でも心の片隅に綺麗事へ向かっていくっていう択が見え隠れしてるんだよ。だから苦しいし、行く末が定まらない」
「あはは、難しいね。息をするのはこんなに簡単なのに、生きるのって馬鹿みたいに難しいじゃん」
きっと私の中での正解はいつまでも見つからない。
それは、琉花も入門も同じ。
私達が今やるべきなのは、ただ生きる過程で、押し寄せた波に上手く乗っていくだけのことだ。
海に潜るのも、空を舞うのも、機が来るその時までは考えなくていい。
きっといつか、10m超の荒波が、私達を飲み込み、あるいは打ち上げてくれるはずだ。
「食べよ。もやし、ふにゃふにゃになってる」




