第八話 便利な魔法ね、机の醤油も取ってくれるし
「赤目の少年か……まさか未確認の色持ちが現れるとはな」
ネイラ・ワイリーは丸机に片肘をつき、予想外の邪魔者が現れたことに頭を悩ませていた。
「お言葉ですが、ネイラ様。彼は色持ちと言ってもまだ駆け出し、計画に影響はないかと」
「……マイロ、今回の襲撃はその駆け出しに邪魔をされて失敗したんだろう?」
「それは……申し訳ありません」
返す言葉もなく、どこかいじけた様な様子でマイロは斜め下に視線を逸らした。
「別に君を責めたわけじゃないさ。寧ろあの襲撃は小手調べという面もあったからね、リタに仲間がいた事を知れただけよかったよ」
ネイラはそう言うと落ち着いた様子で淹れていた紅茶を飲む。これは、彼女が考え事をする時の決まったルーティンだった。
「……彼女に味方がいることを上手く利用すれば逆に追い詰めることだって容易い。何より彼女に足りないのはあと少しの絶望だ、仲間を使ってそこを突いて見せれば……がしかし、それも色持ちとなると不確定要素が多過ぎる」
ネイラの紅茶を飲む手は止まらない、一杯、二杯と飲み干してはマイロがおかわりを注ぐ。そして、ポット一つ分干してしまったネイラはそこでやっと手を止めた。
「あー、わからん、如何せん情報が少な過ぎる。赤目の少年とリタの関係、少年の能力、少年が彼女を助けた動機。つまるところ、この謎の少年についてもっと調べる必要があるな……」
ネイラはティーカップを置くと、今までの思考を一度吐き出すように深い溜息をついた。
「『情報屋』にでも依頼して調べさせますか?」
「いや、それは止めた方がいい。未確認の色持ちなんてネタをあいつに渡せば、瞬く間に噂は広がる。そうしたら我々も身動きが取れなくなってしまうよ……だから、マイロ。すまないがまたしても君の出番だ、大活躍だな」
推理を披露する名探偵のようにビシッとマイロを指さすネイラ。病的なまでに色白で細長い指は、彼女の籠りきりな生活を色濃く反映していた。
「大活躍、というよりは使い走りですけど……まぁいつもの事ですし気にしません。というか、私以外いないですしね、ネイラ様は知り合いも多くいませんし」
「……最後のは言わんでもよろしい。研究者には孤独が付き物なのだよ。第一、お前も私しか話す人間いないだろうに」
どこかで聞いたようなやり取りをしながらお茶会は進んでいく。
ここは迷宮都市北部の入り組んだ裏路地。レトロと言えば聞こえの良い古ぼけた屋敷の二階で、彼女達の会議は踊る。
真上から照りつける太陽が辺り一面の草原を照らす。風に揺れる緑の絨毯の上を、忙しなく動く人影がふたり。それを何事かと草むらの影から草食動物達が遠巻きに見つめていた。
当人のマヤとリタは、約束の剣の稽古に集中して動物達の視線を集めていることに気づいていなかった。
「うおりゃあああああっ!」
次こそは弾かれないよう、練習用の木刀を強く握り締めながら俺は目の前の冷酷な女剣士に斬りかかる。
「遅い。それに、まだ人を攻撃することに迷いが見られるわ」
放った渾身の袈裟斬りも彼女は軽く横に動いただけで簡単に躱されてしまう。二の太刀として振り下ろした剣を返して斬り上げようとするも、相手の鞘を付けたままの剣でいなされてしまった。
勢いに任せて振った剣は急に止めることもできず、剣を上に掲げたような体勢の俺は腹部ががら空き。そこにすかさず彼女の剣の柄が鳩尾に突き刺さる。
「くはぁ……っ!」
激痛と肺が詰まるような感覚でとても立っていられず、その場に蹲る。昨日に引き続き、恒例となりつつある鳩尾への一撃である。
なぜ皆俺を攻撃する時鳩尾を狙うの?俺のここにマーカーでもついてんの?人の鳩尾を突く者はまず受けたものがどれだけ苦しいかを考えなさい。お母さんに自分がやられて嫌なことは人にやっちゃダメって言われなかったのか?
全く、最近の若者が教育が行き届いていない。人の気持ちも思いやれないような人間が増えてしまったから、俺に友達もできないんだよな。
でもよくよく人の気持ちになってみれば俺と友達になるの嫌だな……人の嫌がることしちゃだめなら俺友達作れねえじゃねぇか……
――刹那、地面に蹲っていいた俺の背中に衝撃が走る。
「ってえ!何も急所突かれて身動き取れない時に蹴らなくたっていいだろが……」
地面に無様に伏せた俺を見下す彼女の名はリタ・エイワーズ。巷で超新人と噂される美しき剣士だ。
「あら?なんだかブツブツと呟いていたからてっきり余裕なのかと思っていたわ。あとマヤ君のその様子が気持ち悪かったから蹴ったの」
「おい、後半、本音出てるぞ。後お前は手加減って言葉を知らないのか……レベル一の勇者にラスボスぶつけてくるんじゃねぇ、訓練が死にイベでどうする」
そしてこのボコボコにされているのが俺、マヤだ。まだまだ剣の腕が未熟な俺は、こうしてリタに稽古をつけてもらっている。が、果たして持つのか俺の身体……
「確かに、ずっとあなたに地べたに寝っ転がられてるんじゃ稽古にならないわね……」
「好きで寝っ転がってるんじゃなくてぶっ倒されてるだけなんだよな」
それにしてもここの芝生は気持ちいいな。
俺達は迷宮都市を出てすぐの平原で稽古をしている。街中で剣を振り回すことはできないし、迷宮内は死角が多くていつ狙われるかもわからない。
だから俺達はこの見晴らしの良い平原を練習場所として選んだのだ。
「あなた、私を煙幕の中で助けた時はもっと早かったわ。黒騎士の剣も抑えきってたじゃない。いい加減早く本気を出しなさい」
「あれはやる気とかの問題じゃなくてな……特殊魔法の念動力で腕、足の運動エネルギーを強化してたんだ。でもそれを使ったら肝心の剣の腕が伸びないだろ?」
あれは言ってしまえばドーピングのようなものだ。ただ、念動力で身体を操作するのは思ったよりも難しい。3本目の腕で自分の体を動かしているような感覚なのだ。
「あの力はそういうことだったの。本当に便利な魔法ね、机の醤油も取ってくれるし」
「ほんとお前、俺の特殊魔法を使い走りかなんかだと思ってるよな……」
最近、彼女の特殊魔法の乱用は俺の中で問題になっているのだ。
俺の魔法は調味料取るためのものじゃないし、散らかった本を片付けるためのものでもないし、部屋に侵入した虫を取って捨てるためのものでもない。『念力』でも虫を触るのは嫌なんだからな……気持ち悪いし。
「いいわ、それを使って戦いなさい。どっちみちあなたには剣の才能はそんなに無いのだから、正攻法で行くだけ時間の無駄よ」
「お前、本当に何でもはっきり言うよな……じゃあ行かせてもらうぞ。特殊魔法、念動力―――」
俺の目が赤く光る。これは迷宮に愛された者、超適合者、またの名を色持ちの証だ。迷宮の濃密な魔力に順応し、人間の隠された力を引き出した彼らは、彼らだけの特殊魔法が使用できるのだ。
俺の特殊魔法は念動力。魔力を運動エネルギー、衝撃そのものに変換する魔法だ。我ながら使い勝手の良い魔法だと感じている。
色持ちは多くの探索者たちから尊敬され、畏怖される存在。彼らの魔法は強力で、探索者達の攻略の希望。
―――その一人が、この俺ってことだ。
「うぅ……結局またボコボコにされた……」
体の節々が痛い、疲れた、お腹空いた。全自動弱音製造マシーンと化した俺は稽古を終え、『海猫亭』へと帰る途中だ。
「それでも念動力を使ってからは動きはよくなってたわ、でも魔法に意識をさくと動きが単調になってしまうわね。あなたの剣は正直過ぎるのよ、もっとフェイントを混ぜないと簡単に避けられてしまうわ」
「的確なアドバイスありがとうございます……師匠」
あぁ、俺はこの稽古で死ぬかもしれないな。俺の身体が耐えきれなくなるのが先か、痛みに快感を覚えるようになるのが先か。どっちに転んでも嫌だなぁ……
そうして俺が絶望に打ちひしがれていると、気付けば『海猫亭』に到着していた。もう時間は昼過ぎだが、まだ何も口にしていない。
彼女との稽古ね早朝から始まるのに、その間は何も食べさせて貰えないのだ。理由は単純明快、食べても稽古で全てを戻してしまうから。はは、面白いね。
彼女のパーティを組むことになり、少しでも期待をした俺を殴りに行こうと心に決める……でも痛いのは嫌なので怒るだけにしといてあげよう。我ながら自分への対応が砂糖並に甘い。
「あー!マヤさん、ちょっとこっちに来てー!」
エリーが地下室へと繋がる階段の方から俺を呼ぶのが見える。一体何事だと俺とリタはエリーの所へと向かった。
すると、階段の中腹に立っている人影が一人。それは見たことも無い少女だった。透き通るような白い肌に、勿忘草のような薄い藍色の髪をした薄幸そうな女の子。
彼女とは今ここで初めて出会ったはずなのに、彼女のその佇まいはどこかで見たことがあるような気がした。だがそんな心当たりはないし、こんな儚げで美しい子を俺がきれいさっぱり忘れるはずも無いだろう。それはきっと気のせいだろうと俺はその考えを消した。
「初めまして、マヤさん。私とパーティーを組んでくれませんか?」
彼女は感情の読み取れない平坦な口調でそう言った。俺もリタも突然のその発言に戸惑い、直ぐに言葉が出てこない。あれか、なにかの罰ゲームだろうか。うだつの上がらない男性を狙って、キラキラした女性に付き合わせるあの悪趣味な罰ゲーム。
あれは本当にやめた方がいい。本気にしてしまった男性から恨まれて、よくない事態に発生することだってあるだろう。モテない男の恨みは怖いのだ、本当に俺の3ヶ月を返して欲しい。
俺が忘れかけていた黒歴史を再び掘り返していると、目の前の少女は沈黙に戸惑ったのかこう続けた。
「すみません、突然こんなことを言ってしまって。まず自己紹介が先でしたね」
そう言うと彼女は階段を駆け上がってきて、俺達に目線を合わせる。彼女は俺より少し小さいくらいの身長のため、彼女が顔を僅かに上に傾けると瞳が日光に反射して宝石のように見えた。
「改めて、初めまして。私の名前は―――」
「マイロ・カルコと申します。マイロって呼んでくださいね」
少女はそう言って、微笑んでみせた。
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