ひとりかくれんぼ 4
時刻は午前2時50分。
浩一と香也乃の二人はリビングで3時になるのを静かに待っていた。
深夜とはいえ残暑厳しく茹だるような暑さが続いておりそのため二人とも薄着である。
塩水はすでに隠れ場所に置いてきてあり風呂桶に水も張った。必要な場所以外の電気もすべて消している。
準備は万端だった。
「覚悟はいいか、浩一君」
「ここまで準備してやっぱやめますとかはありえないでしょ」
「ふふ、それもそうだな」
話しているうちについに3時となった。
二人は一度お互いの顔を見て頷き合ってから行動を開始した。
香也乃は最初に用意していたぬいぐるみを手に取った。
『ニエ』と名づけられたそのぬいぐるみは明るいうちに準備したときのまま赤い糸でぐるぐる巻きにされている。
それを持って二人は風呂場まで移動し風呂桶の前に立った。
「「最初の鬼は浩一と香也乃だから、最初の鬼は浩一と香也乃だから、最初の鬼は浩一と香也乃だから」」
浩一と香也乃は順番に鬼になるのではなく二人一組で鬼になることにしたのだ。
隠れ場所が同じなのだから最初から組で行動したほうがいいという香也乃の言葉に従ってのことだ。
儀式の始まりを示す言葉を唱えた後香也乃はぬいぐるみを水を張った桶の中に入れた。
ぬいぐるみは最初は浮かんでいたが水を吸ったせいかしばらくすると沈んでいった。
「よし。 次だ」
続いて浩一と香也乃はリビングと和室の電気を消し和室にあるテレビのスイッチを入れた。
しん、と静まり返った家の中にテレビの砂嵐の音だけが響く。
真っ暗な家の中、光源と呼べるのはこの砂嵐の画面を映し出すテレビのみ。
浩一はその様子に不安を掻き立てられ、それを紛らわすために香也乃に話しかけた。
「次は目を閉じて十、数えるんだったよね」
香也乃はそれに頷くと――その顔は緊張のためか僅かに強張っている――目を閉じた。
浩一もそれに倣った。
一・・・二・・・三・・・四・・・五・・・六・・・七・・・八・・・九・・・十
心の中で十、数え目を開ける。
浩一は念のため部屋の中を見渡したが何か起こった気配はない。だがここからが本番なのだ。
二人は再び風呂場戻った。
風呂桶の中には先ほどとなんら変わらない様子のぬいぐるみがある。
浩一はそのぬいぐるみを手に取った。逆の手には先ほどとは違いカッターが握られている。
「ニエ、見つけた」
ぬいぐるみに向かってそう言ってから浩一はカッターをぬいぐるみに刺した。
ザクッ、と音を立てカッターの刃がぬいぐるみの体に飲み込まれていく。
刺した場所から米粒が零れた。
「「次はニエが鬼」」
浩一と香也乃は声を揃えてぬいぐるみに言った。
その瞬間、ぞわりとした感覚が浩一の体を駆け巡った。
隣にいる香也乃を見れば彼女も何かを感じ取ったようで風呂場の中をしきりに見回している。
「・・・なんだか嫌な感じがする」
「・・・そうだな」
その感覚はまさに空気が変わったとしか言えなかった。
言いようのない不快感。
絡みつくような視線。
気のせいでは片付ける事のできない感覚に本能が警鐘を鳴らした。
――――何かがいる・・・!
浩一はこの感覚に覚えがあった。
そう、夏休みのあの出来事。
神社で視線を感じた時と同じ―――いやあの時よりもおぞましい感覚。
「早く隠れよう」
逃げるように浩一と香也乃は隠れ場所―――和室に急いだ。
二人は和室に入るとすぐに扉を閉め押入れの中に駆け込んだ。
事前に用意していた塩水が入った二つのコップを倒さないように注意しながら奥に入り襖を閉めた。
押入れの中に入るとおぞましい感覚が消える。おそらく押入れという密室空間が簡易的とはいえ結界の役割を果たしているのだろう。
この類の儀式においてはわざわざ結界を作らなくてもその遊びのルールが身を守るための盾となるのだ。事前に置いておいた塩水のおかげもありここは安全だと感じられた。
暗い押入れの中で二人は荒い息を整えることに集中する。
「何だあの感覚は・・・。 今まで感じたことがない」
「・・・あれが幽霊の気配だよ。 少なくとも俺はそう思ってる」
「それは浩一君の経験に基づく考えか?」
「うん」
「そうか・・・。 あんなにはっきりと感じたのは初めてだ。
君は・・・」
「話は終わりにして静かにしよう。 かくれんぼなんだから静かにしないと」
「ああ・・・そうだな」
会話が無くなった押入れの中は静かだった。
聞こえるのはテレビの砂嵐の音だけ。
浩一と香也乃はただひたすらに息を潜め何かが起こるのを待つのだった。
暗闇の中、テレビの砂嵐のザーという音と時計のカチカチという音だけが響く。
すでに一時間は経っているが特におかしな事は起こっていない。
だが浩一は言い様の無い違和感を感じていた。
それは香也乃も同じようで彼女の顔には余裕が感じられない。
「・・・なんかおかしい」
浩一は小声で呟く。
その呟きに香也乃が答えた。
「浩一君もそう感じるのか。 何も起こってないはずなんだが・・・」
その言葉の通りひとりかくれんぼを始めてから今まで部屋の中では何も起こってはいない。
体験談で語られていたテレビが消えたり足音が聞こえたりということもない。
だがなにかがおかしい。
浩一は腕時計を見た。この時計はデジタル式の腕時計で暗闇でもぼんやりと光るため時間が確認できる優れものだ。
「今何時だ?」
「4時20分。 もう始めてからもう一時間半近く経ってる」
「そうか・・・。
――――待てよ? 時計・・・・・・そうか時計だ!」
「どうしたの?」
香也乃は――もちろん小声でだが――捲し立てた。
「違和感の正体がわかったぞ。
時計だ。 さっきから聞こえるカチカチという音……この部屋の時計の電池切れているはずなのになんで時計の音が聞こえるんだ?」
その瞬間、音が消えた。
テレビの音も時計の音も聞こえない。
本物の静寂がその場を支配した。
突然の静寂に浩一と香也乃は顔を見合わせた。
二人とも顔は緊張で強張っている。
「バレたかな?」
「わからない。 少し様子を見てみよう」
そう言うと香也乃は押入れをほんの少し開けその隙間から部屋の様子を覗いた。
それと同時に部屋のドアがゆっくりと開く音が響いた。
香也乃は押入れを素早く、だが静かに閉めた。
「来た」
そしてそう一言だけ言うと浩一の隣に体を寄せた。
ドアの開く音が止むと次は足音が聞こえてきた。
何かが部屋の中に入ってきたのだ。
とっとっとっとっとっ
とっとっとっとっとっ
子供の足音――――いやそれよりも軽い足音が部屋中を歩き回る音が聞こえる。
まるで何かを探すかのように。
部屋の中をぐるぐると。
その探している何かが浩一と香也乃であることはわかりきっていた。
だが二人に出来ることはただひたすら息を潜めることだけだ。
どれだけの時間が経っただろうか。
しばらく部屋を歩き回っていた足音の主は部屋から出ていった。
足音の主が戻ってこないことをしばらく耳を澄まして確認してから浩一と香也乃は行動を起こした。
会話はない。だがするべき事は言わずともわかっていた。
――――この儀式を終わらせるのだ。
二人はそれぞれ塩水が入ったコップを手に持った。
香也乃が襖に手を掛け先ほどと同じように少しだけ開ける。
隙間から冷たい空気が入ってきて二人は身を震わせた。
「空気が冷たいな・・・これはいったい?」
「たぶんだけど力の強い霊がいるんだと思う。
神社に行ったときも夏だっていうのに境内だけ涼しかったからね。 そのときはこの子がいたし」
浩一は手首の鈴を香也乃に見せる。
それだけで香也乃は察したようでなるほど、と呟いた。
「なら、心していかないとな」
そう言うと香也乃は塩水を口に含むと視線で浩一にも塩水を含むように促す。
頷くと浩一も塩水を口に含み、口の中に広がる塩の味に顔をしかめた。
それを確認すると香也乃は襖を開いた。
和室の中は静寂と冷気に包まれていた。
テレビの電源は落ちており沈黙している。
もちろん電池の切れた時計も動いていない。
隠れ場所から出て人形を探すときに怪奇現象が起こる。その間に口に含んだ塩水を出してはならない。
ひとりかくれんぼのサイトにはそう書かれている。
そのため二人は慎重に耳を澄まし感覚を研ぎ澄まして歩き出した。
目指す場所は風呂場。
そこに辿り着けばこの儀式を終わらせることができるのだ。
和室から出て廊下を歩く。だがその歩みは遅い。
この家のどこかに自分たち以外の何かがいる。その確信が二人の歩みを遅くしていた。
その何かがどこにいるかはわからない。
なので安全を優先し耳を澄ませながらゆっくりと進んでいった。
歩みは遅くても風呂場までは遠くない。
5分も経たないうちに風呂場に付くことができた。
あとは塩水をぬいぐるみにかければ終わりだ。
浩一は安堵した。
無事に儀式を終えることができる。あの足音の主の正体は気になるが浩一の勘がアレは危険だと告げていた。
危険を冒してまで正体を確かめるつもりはないのだ。
そこまで広いとはいえない風呂場では二人同時に行動するには少々狭い。
なので香也乃が先に風呂桶のところに行き、浩一は入り口の扉を閉めそこで待つことにした。
香也乃は風呂桶を覗き込み――――そこで硬直した。
香也乃の様子に浩一は駆け寄り風呂桶を覗き込んだ。
「っ!」
浩一は驚きで危うく口の中の塩水を飲み込みかけた。
そこにはぬいぐるみの姿はなかった。ぬいぐるみに刺したカッターもない。
押入れに隠れているときに聞いた足音はぬいぐるみのものだったのだろう。
つまりぬいぐるみは動いてる事になる。
浩一は腕時計を見た。
4時50分。
ひとりかくれんぼは始めてから2時間以内に終わらせなければいけないという決まりがある。
あと10分。
それが残されたタイムリミットだった。
ぬいぐるみがどこに行ってしまったかはわからない。
だが家の中をしらみつぶしに探す時間は無い。
別々に探せばすぐにぬいぐるみを見つけられるだろうが口の中に入っている塩水のせいで会話もできないこの状況はでは相手を呼ぶこともできず逆に時間が掛かりかねない。
――――どうすればいい。
浩一は悩むがその間にも時間は経過していく。
――――チリン
その時鈴の音がなった。それも手首に付けた鈴からではない。―――背後からだ。
後ろを振り返るとそこにはあの鈴の少女がいた。
隣を見れば香也乃も音が聞こえたようで少女に視線を向けている。
ここまではっきりと視たのは初めてなのだろうかその目は驚きで見開かれていた。
少女は風呂場の外まで歩くと付いて来いというかのように浩一と香也乃に向かって手招きした。
香也乃は浩一に視線を向けた。その目は信じていいのか?、と浩一に問いかけている。
浩一はその視線に頷きを返し少女の後を追った。
少女の後を追う歩みは先ほど和室から風呂場に行ったときとは違い随分と早いものとなった。
周りに注意は払わずただ少女の後を追うことだけを考えているからだ。
それは浩一が少女の霊を信頼しているからに他ならない。香也乃も浩一を信じて後を付いてきている
もし何かが浩一たちに近づけば少女が警告を発するだろう。ゆえに二人が注意するのは少女の動きだけなのだ。
浩一は腕時計を見る。4時55分。
――――間に合うか?
刻々と迫るタイムリミットに焦りを感じながら浩一は少女の後を追うのだった。
少女の後を追いたどり着いたのは和室。浩一と香也乃が隠れていた部屋だ。
緊張で顔を強張らせる二人を尻目に少女は浩一たちが隠れていた押入れの側まで歩いていき振り返った。
そしてすっ、と押入れを指差す。
浩一は感謝を込めて少女に頷いた。少女は笑顔を浮かべると消えた。
浩一と香也乃は押入れに近づく。
近づくたびにおぞましい感覚が強まっていく。正直に言うとこのまま逃げ出してしまいたいぐらいだ。
だが逃げれば恐ろしいことになるのは目に見えていた。
なので勇気を振り絞り襖を開けた。
そこには予想通りぬいぐるみがあった。ちょうど浩一が香也乃が座っていた位置だ。
何故ここにぬいぐるみがあるのか。自分たちが風呂場に行っている間になにがあったのか。
興味は尽きないが今はひとりかくれんぼを終わらせることが先決だ。
その時、カチカチカチという音が後ろ――――おそらく和室の入り口あたり―――から聞こえた。
その音はまるでカッターから刃を出すときの音のようだと浩一は思った。
ぬいぐるみを改めてみれば腹部に刺さっていたはずのカッターはどこにもない。
嫌な汗が噴出した。
浩一は後ろを振り向きたい衝動に駆られた。
だが振り向けばどうなるか?―――少なくとも良い思いをすることはないだろう。
浩一は目だけを動かして香也乃の方を見た。
香也乃も浩一を見ていた。額には汗が吹き出ている。
――――チリン
突然鈴の音が聞こえた。
それに浩一と香也乃は驚いたが同時に何をすべきかを思い出した。
二人は急いでコップに入った塩水をぬいぐるみに掛けると同時に口の中の塩水も吹き掛けた。
そしてひとりかくれんぼを終わらせるための呪文を叫ぶように唱えた。
「「私の勝ち!私の勝ち!私の勝ち!」」
その途端おぞましい感覚は消えた。
続いて聞こえたのはドスッ、という音。二人のすぐ後ろからだ。
おそるおそる振り向くとそこには畳に突き刺さったカッターがあった。
「かなりギリギリだったみたいだな・・・」
香也乃は引き攣った笑みを浮かべたが浩一には笑い返す余裕も無かった。
しばらくそのまま座り込んでいると冷えていた空気も霧散し元の茹だるような暑さが戻ってきた。
だが今の二人にはその暑さがとても清々しいものに思えた。
あとはぬいぐるみの処理をしなければならないがこれは夜が明けてからでいいだろう。
今はただ休みたかった。
「・・・これほどまでの体験をしたのは初めてだ」
不意に香也乃が呟いた。
それは小さな声だが独り言ではなく浩一に向けられた言葉だった。
「怖気づいた?」
「まさか! これほどまでに心躍ることは今までの人生の中で一度たりとも無かった!」
香也乃が浩一に向ける瞳はこれ以上ないほど輝いている。
まるで浩一が友達になると言ったときと同じ―――いやそれ以上の輝きだ。
「浩一君、私は決めたぞ! 君と一緒にいればきっとまたこういう体験ができるはずだ!」
「いやそうと決まったわけでは・・・」
「なんだ私と一緒にいるのはいやか?」
「そういうわけじゃ・・・」
「なら決まりだな! これから私たちは一蓮托生、運命共同体だ!」
「なにそれ重い」
浩一は機嫌良く笑う香也乃を見ながら早まったかな?と引き攣った笑みを浮かべるのだった。
そろそろ新作でも書こうかな。




