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昨日を売る古道具屋

 ハッカ蒸しの原の西外れ、絡まり合った蔦と枯れた音の種に厚く覆われた場所に、その店はひっそりと佇んでいました。

 看板もなく、ただ古びて緑青の浮いた真鍮の鍵が一本、低い軒先に吊るされただけの入り口です。

 そこは「昨日を売る古道具屋」と呼ばれ、店主のトトが「忘れ物預かり所」の仕事とは別に、個人的な趣味と執着で営んでいる奇妙な場所でした。

 店内の空気はひんやりと重く、まるで時間が琥珀の中に閉じ込められたかのように停滞しています。

 モンジロウに連れられて店を訪れたネルは、天井まで届く棚に並ぶ、見たこともない奇妙な品々に目を奪われました。

 埃を被った薄瑠璃色の瓶の中には、刻一刻と色を変える「三年前の夕焼け」が渦巻くように閉じ込められています。

 隣の棚には、幾千もの「誰かが聞き逃した愛の言葉」が、見えない蓄音機の溝となって刻まれたレコード盤のように積み重なっていました。

 しかし、何よりも異様なのは、店を訪れる客たちの、どこか魂が抜けたような姿でした。

 彼らは皆、うつろな瞳で棚を見つめ、自分が失ってしまったかけがえのない「昨日」を、今の自分を切り売りしてでも買い戻そうと必死になっていたのです。

 店の隅にある、すり減ったビロードの椅子に、一匹の老いた猫が深く座り込んでいました。

 彼はトトから差し出された、手のひらに乗るほどの小さな銀色の小箱を、宝物のように震える手で抱きしめていました。

 その箱の中には、彼がまだ若く、世界が輝きに満ちていた頃の、ある晴れた日の午後の記憶が詰まっているのだといいます。

「トトさん、お願いだ。もう一度だけ、あの日の風の匂いを、あの時隣にいたあの子の笑い声を返してくれ。代わりなら、僕に残された端切れのような『明日』を全部差し出したって構わない」

 老猫の切実な、悲鳴にも似た願いに、トトはいつもの穏やかで底の見えない表情を崩さず、静かに首を振りました。

「お客様、昨日を売ることはできますが、それはあくまで『眺めるための標本』に過ぎません。あなたがその箱を無理に開けて、中に入ろうとすれば、今のあなたの時間は永遠に止まり、心は二度と生きたハッカの風を感じられなくなってしまいますよ」

 その光景を、パイプの煙越しに苦々しく眺めていたモンジロウが、一歩前に踏み出しました。

 首元の真鍮の鈴が、低く鋭くガラリと鳴り、店内に漂っていた重苦しい「停滞の気配」を真っ二つに切り裂きました。

「おい、トト。あんたも相変わらず罪な商売をしてるな。思い出ってのは、通り過ぎて腐り、土に還るからこそ、次の季節を彩る音の種の肥料になるんだ。昨日を食って腹を膨らませてる奴に、新しい種を育てる資格はねえぜ」

 モンジロウはそう吐き捨てると、隣にいたネルに向かって顎をしゃくりました。

 ネルは師匠の厳しい眼差しの中に込められた意図を即座に察し、自分の鈴をそっと手に取りました。

 この店に充満しているのは、過去への執着という名の、湿り気を帯びた重い沈殿物のような空気です。

 それを優しく、しかし確実に調律し、迷い込んだ魂を「今」という時間に引き戻すのが、自分たちの役目だと理解したのです。

 ネルは震える老猫の隣に腰を下ろし、寄り添うようにして鈴を鳴らしました。

 チリン、というその音は、トトが並べる歴史的な名曲や「昨日」のような深みはありませんでしたが、今この瞬間の瑞々しいハッカの香りと、窓から差し込む桃色の月光をたっぷりと含んだ、生命力に満ちた音でした。

「おじいさん、窓を見て。外では魚の骨の雲が、まだ見ぬ明日へ向かってゆっくりと流れています。あの箱の中に閉じ込められた風よりも、今ここで吹いている風の方が、ずっとハッカの味が濃くて、おいしいと思いませんか?」

 ネルの鈴の音に誘われるように、老猫はふと重い顔を上げ、窓の外に広がる広大な原の景色に目を向けました。

 そこには、過去のどの瞬間にも存在しなかった、新しく、青白い夜の始まりがありました。

 老猫の指先からゆっくりと力が抜け、大切に抱えていた銀色の小箱は、吸い込まれるようにトトの手元へと戻っていきました。

「……そうだな。私は、あの子との思い出を純粋に愛していたのではなく、今の寂しさから逃げるために、思い出の中に逃げ込みたかっただけなのかもしれない。トトさん、その箱は返します。私は、不格好でも自分の力で、明日を使い切ることにするよ」

 老猫が軽くなった足取りで店を去った後、店内には静かで、どこか清々しい沈黙が流れました。

 トトは預かった箱の埃を指先で払い、棚の奥の暗がりへとしまい込むと、皮肉を込めて優しく微笑みました。

「モンジロウさん、あなたの弟子は、私よりもずっと商売が下手なようですね。おかげでまた一つ、私の貴重なコレクションが、死んだ品物として棚に戻ってしまいました」

「いいんだよ、トト。俺たちは調律師だ。狂って止まった時計の針を、無理やりにでも今へ進めるのが、俺たちのろくでもない仕事だからな」

 店を一歩出ると、湿った夜風がネルの耳を優しくくすぐりました。

 ハッカの香りは昨日よりも鮮明に鼻腔を抜け、夜空を泳ぐ雲は、希望という名の光を運んでいるように見えました。

 ネルは自分の足元にある、今日という日の確かな土の重みを感じながら、一歩一歩、その感触を確かめるようにして風車小屋へと帰りつきました。

 過去は確かに美しく、愛おしい標本かもしれないけれど、未来は、まだ誰の耳にも届いていない新しい音に満ちあふれているのだと、ネルは確信していました。

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