第1話 退屈な観測者と罪の少女
――『観測者』なら誰もが死ぬまでに行きたいと願う場所。
ある人は……世界の真理を求め。ある人は……自身の願いを叶えるため。
ある人は説く……どれも正しくない。故に正しいと。
心は理由なく奪われ、魅了されている。
『祈りの丘』と呼ばれる、その場所に……。
「……はぁ。めんどくさいなぁ」
窓の外を眺め、古びたノートを開く。万年筆の先から、いつも通り『異常なし』という無機質な文字が滑り出していく。
「観測ノートなんて、なんで書かなきゃいけないんだろ。毎日毎日、おんなじでつまんないよ」
携帯を開き、昨日撮った写真と今日の丘の様子を見比べてみる。ガラスのような透明な枝が空に伸び、薄く神秘的なモヤがかかっている大樹。やはり何も変わったようには見えない。
「蒼人ー!おじいちゃんが呼んでるよー!」
「やば。早く行かなきゃ」
僕は急いで、今日の様子を写真に収める。じいちゃんは写真を見ないと絶対に納得してくれないからだ。
「……やっぱり、いつもと同じだよなぁ」
目の前に見えるあの場所は『祈りの丘』と、そう呼ばれている。
いつも見えているのに、たどり着いたという記録は存在しない。行く方法も、理由すらもはっきりとしていない。
それでも僕らは見続ける。いつかあの場所へ、行くために。
足早に廊下を進み、じいちゃんが待っている部屋の扉を開く。
「じいちゃん。来たよ」
「おう、蒼人。どうだ?」
じいちゃんは僕の顔を見るなり、ノートを見せろと手を差し出す。
「どうだって言われたって、いつもと同じだよ。何も変わってない」
僕はノートを手渡す。じいちゃんはノートをパラパラとめくる。その眼光は鋭く、まるで僕の嘘を見抜こうとしているかのようだ。
「……ふん。本当か?」
「ほら、写真」
携帯の画面を見せる。昨日と今日の画像を並べると、じいちゃんはフムと鼻を鳴らした。
「……確かに変わっていないな。いいだろう」
「ねぇ、観測ってほんとに必要なの?」
「当たり前だ。祈りの丘に行くためには僅かな変化も見逃してはならない。ちゃんと続けろ」
「はいはい。わかったよ」
「返事は一回だ! 蒼人! 本当にお前は……。まったく……誰に似たんだか」
「うるさいな。もう行くからね。見回りもあるし」
じいちゃんは最近、小言が多くなった。話していると背負わされる「宿命」とやらが重くてめんどくさい。僕は話を早々に切り上げる。
「見回りか。ちゃんと準備していけよ」
「うん。わかってる」
(……今日は一時間くらいだし、これで充分だな)
ウエストバッグに、最低限のお札と強化式が刻まれた投げナイフを詰め込む。本気で戦うことなんて、もうないんだから。
「お母さん!出かけてくる!」
玄関で靴を履きながら声をかける。母さんののんびりとした返事を聞く前に、僕は外の眩しい光の中へと飛び出した。
家の外の階段を、どこか歪んだ町並みを見渡しながら下る。
「亀裂はないな。じゃあ、丘に近づいてみるか」
僕の仕事は二つ。丘の観測と、町の見回り。
……僕は見回りの方が好きだ。ちゃんと調べて報告さえすれば、じいちゃんの目の届かないところで、割と好き勝手に動けるから。
丘へ近づくと、段々と霧が濃くなっていく。空気がピリピリと肌を刺し、世界の色が薄れていく感覚。それでも大樹は遥か向こうにそびえ立っている。
「ほんとにあるのかよ、あんな場所……」
ノートを片手に歩く。昨日はこの辺りで奴らに邪魔をされた。
この町のどこにでも空間を割って現れる、僕たち観測者の天敵――。
ピシッ。
空中に、黒い亀裂が走る。
ゆっくりと広がった闇の裂け目から、カタカタと骨の音を鳴らして異形の存在が姿を現した。
「出たな。トガビト」
骸骨のような醜悪な姿。よく見る歩行型だ。人間を見つけたら問答無用で噛み砕きに来る、この世界の害獣。
「ガァァ!」
トガビトが突っ込んでくる。動きは単調だ。腕を振り下ろす軌道を見切り、僕は軽く身体をひねってかわす。
「一体だけか。余裕だな」
腕輪に神力を込める。脳内に刻まれた回路が起動し、光が溢れる。
「神装展開――『骸月』」
光は僕の手の中で、一本の無骨な槍へと姿を変えた。これが僕の神装。
「こいよ」
トガビトの腕を槍の柄でいなし、ガラ空きの足元を払う。自重で激しく転倒したトガビトの頭部へ、容赦なく槍の切っ先を突き立てた。
ズブッ、という肉と骨を貫く感触。モンスターだと分かってはいるものの、この感触だけは虫唾が走る。
「おわり」
バッグからお札を取り出して貼り付ける。
「浄火」
唱えると、青白い炎がトガビトを包み込んだ。肉の焼ける、言い表しづらい匂いが辺りに漂い、やがて綺麗な灰になって消える。こうしないと、奴らの死骸はこの世界に残り続ける。
『トガビトはわしらの理とは別の次元におる』というじいちゃんの言葉を思い出す。難しいことはわからないが、僕にとってはただの「めんどくさい仕事」の延長だ。
「よし、帰ろ」
一応ノートに討伐の記録をつけ、踵を返す。同じ場所に留まるのは危険だ。トガビトは一体出ると、連鎖する。
ピシシッ。
「……はぁ。帰るとこなんだけど」
背後で、先ほどより一回り大きい亀裂が広がっていく。
ため息をつきながら槍を構えたが、僕は思わず絶句した。
「……うーん。まじか」
姿を表したのは、背中に羽をはためかせ空中を浮遊するトガビト。飛行型。それも、三体。
「槍じゃ相性悪いな……」
ジャンプしても届くかどうか。しかもこいつらは、上空から神力の弾を撃ち込んでくる。
「逃げるか!」
僕は振り返り、全速力で走り出す。
当然、背後から「キュキュギュ!」と鳴き声と共に光弾が降り注ぐ。
躱し、槍の腹で弾いて防ぎ、また逃げる。なかなか距離を離すことができない。
空中をチラリと睨みつける。このまま直線で逃げても、上空からの格好の的にされるだけだ。
「めんどくさいな……。戦うか……」
そうは言っても、あの高さに攻撃をするには工夫をしなければならない。
僕は走りながら必死に辺りを見渡した。
「……あっちだな」
町の入り組んでいる方へ、僕は強引に舵を切る。建物が密集する細い通りへ。
背後からの攻撃をギリギリで躱しながらトガビトを引き付けつつ、距離を確認する。
視界の先に、急な直角の角が見えた。
角を曲がる。その一瞬、建物の陰に入れば、トガビトの視界から僕の姿が完全に消えるはず――。
その瞬間を、僕は狙う。
角を曲がった刹那、僕は速度を落とさずにコンクリートの壁を思い切り蹴りつけた。
「いまだ!」
壁の反動を利用して、宙へと高く舞い上がる。
僕を追ってスピードを落とさずに角を曲がってきたトガビトたち。狙い通り、奴らは僕を見失って一瞬動きを止めた。その無防備な頭上を、僕は完璧に捉える。
「こっちだ」
僕は上空から体重を乗せ、思い切り槍を突き刺した。
ギギン!!
「な!?」
槍はトガビトの身体の表面に展開された、蜂の巣のような光の壁に弾かれた。シールド。普通の飛行型が持っているはずのない、高等な防壁だ。
一瞬の動揺。トガビトがその隙を見逃すはずもなく、僕の足元に光弾が叩き込まれる。
「くっ……!」
爆風で吹き飛ばされ、瓦礫に背中を打ち付ける。
きつい。三体を相手に、この狭い路地で、届かない上空からの猛攻。
トガビトたちが一斉に、口元に禍々しい光を溜め始める。一斉射撃。まともに喰らえば、肉体ごと消し飛ぶ。
(耐えられるか……?)
僕は槍を盾にするように構え、覚悟を決めた。
トガビトの光が最大に達し、放たれようとした、その瞬間――。
「神装展開――『雨櫻』」
冷徹な、しかし聞き覚えのある少女の声が響いた。
直後、空を覆い尽くすほどの光の矢が、文字通り「雨」となって降り注ぐ。
一撃目の矢がトガビトのシールドを紙のように打ち破り、続く無数の矢が、三体の飛行型を瞬く間に串刺しにして肉煙に変えた。
「なにしてんのよ」
瓦礫の上に立ち、冷たく僕を見下ろす少女。
その顔の右側には、白い眼帯が痛々しくあてられていた。
彼女の名は、佐伯美宇。
(……ああ、やっぱり僕は、彼女の隣を歩く資格なんてないんだ)
美宇の眼帯を見つめながら、僕は冷え切った己の右手を握りしめる。
――彼女の右目を奪ったあの日から、僕は、頑張ることをやめたんだ。




