第3話 絶望
神父が呟いてから、長い沈黙があった。耳が痛くなりそうな沈黙を破ったのは、台座の両隣に立っていた二人の騎士の、大きな大きな拍手の音だった。
パチパチパチと、拍手の音が響き渡る。
やめろ。
「凄いじゃないか!」
「おめでとう! キミはきっと偉大な騎士になる! いやあ、羨ましい!」
やめてくれ。
釣られるようにして、周りの人たちも手を叩き始める。教会中に拍手の音が反響して、オレの耳になだれ込んでくる。なだれ込んできた音が頭の中で更に反響して、思考がぐちゃぐちゃにかき乱されていった。
背中を丸めて泣いていた、あの日の母さんの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
──騎士になんて、絶対になりたくない。
数十秒と続いた気持ちの悪い祝福に耐え切れなくなったオレは、
「嫌だッ!」
堪らず、叫んでしまった。
途端に、拍手の音がまばらになっていく。教会中に満ちていた祝福の空気が、困惑の空気に塗り替えられていくのがわかった。
マズい。やってしまった。
顔を見合わせた騎士の一人が、戸惑った表情を浮かべて歩み寄ってくる。
「混乱しているのか? まあ無理もない。だが、キミには見たこともないような剣士の才能があるんだ。間違いなく歴史に名を残す立派な騎士になれる。誇り高い、栄えある王国の騎士にね。どうだい、嬉しいだろう?」
オレの過去を何も知らない騎士が訝し気な顔をして、ずかずかと心に踏み入ってくる。
何が誇り高い王国の騎士だ。冗談じゃない。母さんを泣かせるような仕事に何の栄光があるっていうんだ。
黒々とした感情が渦巻いていることなど知る由も無い騎士は、無遠慮にオレの肩に手を乗せ、まだ騎士というものが如何に栄誉のある職であるかを語っている。
ふざけるな。
どす黒い感情の湧き上がりを抑えきれなくなる。
「騎士なんて、くだらない」
そう呟いて、右肩に乗っていた騎士の手を払ってしまった。
しまったと、後悔した時にはもう遅かった。
「……なんのつもりだ?」
先ほどまでとは比べ物にならないくらい低い声を発した騎士の視線には、怒気が孕まれていた。首が痛くなるほど見上げないと視線を合わせられないような大人から、突き刺さる敵意のようなものを肌で感じる。
大袈裟でもなんでもなく、本気で殺されると恐怖した。落ち着いて考えれば、いくらなんでも殺されることはないとすぐに思い至れただろう。もっと言えば、彼らが本気の敵意を抱いてすらいなかったという事実にも気が付けただろう。
それでも、この時のオレには無理だった。
──剣が無ければ抜かれる前に奪え。できなければ逃げろ。
チャンバラごっこの後に父さんが言っていたことが、ふと脳裏をよぎった。
手を払われた騎士が握り拳を作る。
殴られるかもしれない。その恐怖が手を動かした。
「なっ!?」
ぶら下げていた剣をオレに抜き取られた騎士が、驚きの声を上げて腰に視線を移す。
初めて握った本物の剣は、五年間毎日握った包丁と同じくらい、手によく馴染んだ。
「キサマっ!」
──戦いの最中に表情を変える奴は半人前だ。
また、記憶の中の父さんが言う。心臓はバクバクと鼓動しているのに、体は自分とは別の生き物みたいに勝手に動く。本当に不思議だ。
騎士は驚いた拍子に体の重心を少し後方に傾かせていたので、オレは剣を抜いた勢いを利用して体を半回転させ、背中から全力で体当たりした。
「うおっ!?」
ガシャンと鎧が硬い石の床にぶつかる派手な音がする。騎士が尻もちをついたのを確認したオレは、すぐにそいつから視線を移した。
何故なら、
「このガキ!」
もう片方の騎士が、異変を察知して動き出していたからだ。
──常に視野を広く保ち、視界に敵を収めろ。
うるさいな。わかってるよ。
視界は驚くべきほどに良好だった。二人の騎士はおろか、真ん中で口を開けて呆けている神父の表情までもがハッキリと見えていた。
残りの騎士が一歩近づいて来たタイミングで、剣を腰に留めるためのベルトに狙いを定める。
「ふっ」
相手が子どもだから、剣は抜くまでもないと判断したのかな?
などと考えながら、鋭く息を吐いて革製のベルトを断ち切った。剣は包丁よりも遥かに重たかったけど、両手を使えばどうにか素早く振るうことができた。
支えを失った剣が、重力に従ってするりと落ちていく。
「おお!?」
ダメだなぁ。この人も視線をオレから外した。
「しっ!」
剣先が騎士の鼻を掠めるように、ギリギリの距離で振るう。当てるつもりはないし、その必要も無い。
「ひっ……!」
騎士は反射的に体をのけ反らせる。すると、重心が後方に傾く。当たり前のことだ。
──力はそこまで重要じゃない。大事なのはタイミングだ。
だから、わかってるって。
「よっ……と」
もう一度渾身の体当たりをかます。どれだけ体格差があっても、倒せるときにぶつかることができれば倒せる。
二度目の金属音が教会中に響き渡った。
訪れる静寂。
圧勝だった。
それでも剣を構えたまま、オレは辺りを見渡す。
「──あ」
正気を取り戻したオレは、一瞬にして血の気が引いていくのを感じた。
周りの大人は自分たちの子どもを庇うようにして後退りし、恐怖の色濃く籠った視線をオレに向けている。子どもたちは、不安げな顔でお父さんやお母さんに抱き着いていた。
この場で一番危ない奴は、他の誰でもなく、オレだった。
相手が油断していたとはいえ、二人の騎士を十三歳の子どもが圧倒してしまったのだ。皮肉にも、自分の才能を自分で証明してしまった。
手のひらから滑り落ちた剣が、ガシャンと大きな音を立てる。
後方からガシャガシャと耳障りな音が聞こえてきて、倒れていた騎士が立ち上がったのがわかった。
駄々をこねない、どころの騒ぎではない。
騎士に歯向かうのは国に逆らうのと同じ。食堂で口汚く罵り合うのとはわけが違う。剣を向けたのだ。尻もちをつかせたのだ。
下手をすれば首が切られるかもしれない。そうでなくとも、間違いなく王都食堂に大変な迷惑がかかるだろう。
どうしようもなかったとはいえ、自分のしでかした事の大きさに眩暈がする。
どうしようもなかったとはいえ──どうしよう?
完全に思考が止まってしまったその時、母さんと目が合った。咄嗟に怒られると思って身構えた。母さんは言いつけを守らなかったときだけは凄く厳しいから。
でも、違った。
「大変申し訳ございませんでしたっ!」
オレの前に飛び出した母さんが、何の躊躇いもなく土下座をして、絶叫にも似た大声で謝った。その勢いで、頭に被っていた日よけの布がハラリと落ちる。
「……ッ!」
瞬間、搔きむしりたくなるほど胸が締め付けられる。
大好きで尊敬して止まない母さんが、オレのせいで額を床に擦りつけたのだ。辛くないわけがない。
この時母さんに目を奪われていたオレは、完全に見逃していた。
母さんの顔を見た騎士たちが、ハッと表情を変えたことに。
彼らは王都食堂の常連だったらしい。故に、母さんの顔を見てオレがロイド騎士団長──つまり父さんの息子であることもすぐに思い出せたのだ。
その時点で、この暴挙に対するお咎めはほぼ無しになっていたらしい。騎士というのはとことん身内に甘い組織なのだと、のちに知った。
しかしながらそんな裏話をまだ知らないオレは、脳をフル回転させて考えた。どうすれば許されるのか、どうすれば母さんと王都食堂を守れるのか。
足りない頭で、迂闊な脳みそで捻り出した答えは。
「騎士になって、オレが魔王を倒します! 何の報奨金も要りません!」
自分の、恐らくは類稀なる才能を差し出す。それしか思い浮かばなかった。
よくよく考えてみれば、『傑物』以上は強制的に職を決められてしまうのだし、この宣言にはまったくもって意味が無い。我ながらアホすぎる答えだった。
ともかく、こうしてオレの命運は決した。
後日、当初「不明」と言われたオレの才能の等級が、文献の特徴から『天賦』であると公表された。
千年を超える王国の歴史において、史上十一人目の『天賦』の才の持ち主が誕生したらしい。
────
鑑定式から三日後。この短い時間で、オレを取り巻く環境は目まぐるしく変わった。
まず鑑定式の場で魔王を倒すと宣言してしまった後、それはそれはとんとん拍子に王国騎士団への入団が確定した。まあ、才能の等級からしてどう足搔いても騎士にならざるを得なかったのだし、ささやかながら暴れられただけマシなのかもしれない。ざまあみろだ。
それから、入団に伴って王城の敷地内に移り住むことになった。十五歳になるまでの二年間は毎日のように訓練を受けなければならないらしく、そうなると家から通うのは合理的でないと判断されたのだ。
この決定が何よりも辛かった。母さんやユニ兄ちゃん、アイラ姉ちゃんと毎日顔を合わせることができなくなるし、料理の修行だってできなくなる。
騎士になることが確定してしまったものの、定食屋を継ぐ夢を諦めてはいないし、諦めるつもりもない。
そのことを言わずとも察してくれていた三人は、
「さっさと魔王とやらを退治して家に帰ってきな」
「ロロくんなら大丈夫、お姉ちゃん待ってるからね」
「何度も言ってるけどよ、未来の店主はお前だぜ、ロロ」
と熱く励ましてくれた。思わず涙がこぼれそうになった。
もちろん魔王を倒したとて騎士を辞められるかどうかはわかっていないのだけど、さすがに世界を救うレベルの偉業を成し遂げたらささやかなワガママくらいは聞いてくれると信じたい。
そういうわけで、オレは一日でも早く魔王を倒してみせると決意を改めた。
なんて意気込んだはいいものの、オレはまだ十三歳だ。騎士として働ける年齢に達していないし、第一腕が未熟だ。何の訓練も受けていないので当然ではある。
そもそもの話、騎士が何をしているのか全くと言っていいほど知らない。だから、まずはそこから学ぶ必要があった。
騎士の仕事については、鑑定式の二日後に騎士団長補佐の何とかって人が教えてくれた。名前は憶えていないけど、いかにも騎士って感じのゴツゴツとした体格で、だけど街中でキャーキャー言われそうな顔をしたヘンテコな人だったことは覚えている。
教えられた内容は確か……
「我々騎士の仕事は、一言で表すならば『国の治安維持』だ」
「はぁ」
気の抜けた返事をしたオレをじろりと一睨みして、騎士団長補佐は続ける。
「悪事を働いた不届き者を捕まえたり、各地で猛威を振るう魔物どもを討伐したりする」
「魔物の討伐は冒険者がやってるんじゃないの……ですか?」
危ない危ない、敬語って難しいんだよな。まだ全然慣れないや。
オレのたどたどしい敬語に眉をひそめつつ、彼は不愉快そうに鼻で笑った。
「ハッ! あんな野蛮人どもに王国民の安全を任せられるハズがない。奴らは金のために動くが、我々は国の安寧のために動く。やっていることは同じでも、その崇高さは雲泥の差だ」
「なるほど……です」
酷い言いようだ。いっそすがすがしいくらいに仲が悪いよな、冒険者と騎士って。昔何かあったのだろうか?
というか、自分たちだって一応仕事をしてお金を貰っているのでは? なんて野暮は言わない方が良いだろう。今度こそ首を切られそうだ。
「他にも貴族の護衛など、騎士の職務は多岐にわたる。しかし、キサマが果たすべき役割はただ一つだ。何かわかるな?」
「魔王の討伐、ですよね」
「そうだ。本来であれば騎士には教養、気品、強さの三拍子が求められる。が、魔王がいつ動き出すかわからぬ以上、悠長にすべてを伸ばしている暇など無い。故に、キサマにはひたすらに強くなってもらう。目指すは王国最強だ。わかったな?」
「……はい、わかりました」
とまあ、ざっくりとこんな感じだったか。他にも騎士の階級だの騎士としての心得だの長々と説明されたけど、長すぎて全部は覚えていない。後半は眠らないように耐えるので精一杯だった。
そんな感じで、オレの王城生活が始まった。
翌日からは、早速剣術と魔術の修行が始まった。
え、騎士って魔法も使うの? と驚かされたが、どうやら剣術とは別に、サポート的な武器として魔法も使うらしい。例を挙げるなら目くらましとか、軽傷の応急処置とか。そのレベルの魔法だそうだ。
逆に魔法をメインの武器として使う王国魔術師団というのもあると聞いた。こっちも初耳だし、これまで見かけた記憶が無い。
「王都食堂で魔術師団らしき人を見たことはないのですが」
と尋ねると、騎士団長補佐は、
「フハハハハ! 奴らは根暗で地味だからな。たとえいたとしても、気付けなくて当然だ」
と豪快に笑い飛ばしていた。これまた酷い言いようだ。
騎士に対する印象が、また少し悪くなった瞬間だった。
騎士団長補佐の評価はさておき、オレ自身としては魔法にはほんの少しだけ興味があった。
少なくとも、剣術よりは興味があった。
ところが、だ。
鑑定式から三日目の朝──訓練の初日にオレを指導してくれる予定だった魔術師団長補佐のアレーニスさんは、顔を合わせるなりベタベタとオレの体を触り、
「ロロくんだったかな? やはりというべきか、キミには魔法の才能が欠片も無いな! こればかりは仕方がない。スッパリ諦めたまえ!」
と言い放った。酷すぎる言いようだった。遠慮もへったくれもあったものじゃない。王城にはこんな人ばかりなのかと、一瞬げんなりしてしまった。
しかし、やる前から向いていないので諦めろと言われて素直に「はい、そうですか」と納得できるわけがない。
ということで、オレは即座に反論した。
「まだ何もしていないのに、どうしてそんなことがわかるの……ですか?」
「ム、済まなかったな。言葉足らずだった。ちゃんと説明しよう」
おや? もしや意外とちゃんとした人なのか?
「あ、お願いします」
「理由は主に二つある」
そう言って、アレーニスさんは整った顔の横で指を二本立てた。肩口まで伸びた銀色の髪がふわりと揺れる。
「第一に、文献によれば『天賦』の才を持つ者は、例外なく己の才以外のことに関して常人以上に適性が無い。たとえば剣士であれば剣術以外はからっきしで、魔術師であれば魔法以外はてんでダメ、ということだな。一言で表せば、”専門バカ”だ」
「はぁ……」
そんなことを言われても、やっぱり納得できない。それに、母さんはオレの手際を褒めてくれた。そりゃあ剣士よりは向いていないのかもだけど、料理だってそれなりに向いている自信がある。
「フム、不満そうだな。無理もない。だが、決定的な理由はもう一つの方にある」
「もう一つ?」
「そうだ。第二の理由は、キミの魔力の流れにある」
「魔力の流れ……ですか」
何だそれ。聞いたことがないぞ。
「魔力の流れというのは、文字通り体の中に存在する魔力の流れ方を指す。などと説明されても、キミにはまだピンと来ないだろう。ただここで大切なのは、『魔術師に向いている人と剣士に向いている人では、魔力の流れ方がまったくの真逆である』という事実なのだ」
んー、難しいな。つまり……。
「オレに剣士の才能があるせいで魔法に向いてない……ってことですか?」
首を傾げながらそう言うと、アレーニスさんはニッコリ笑って頷いた。
「キミは中々筋が良いな! その通りだ。もう少し踏み入って説明しよう」
褒められて悪い気はしない。むしろ嬉しい。
アレーニスさんは良い人かもしれない。あの騎士団長補佐も見習えば良いと思う。
「私たち魔術師の魔力の流れというのは、常に体の内から外に向いている。というのも、魔法とは体内の魔力を体の外に放出する行為に他ならないからだ。その向きが顕著であればあるほど、魔法使いに向いていると言える」
「内から外、ですか」
オレに魔力の流れなんてのはさっぱり感じられないけど、言っていることは何となくそれっぽい。王国の魔術師団の偉い人なのだから当たり前だけど。
「一方で剣士の魔力の流れというのは、常に外から内に向いている。これは、剣士が魔力によって己の肉体を強化して戦うことに起因している」
「……なるほど、です」
剣士の才能があるオレは、恐らく魔力の流れがとんでもなく外から内に向いているのだろう。そうなると、体の外に魔力を放出するのが難しくなる。だから、魔法を使うのに向いていない、ってことか。
「納得できたかな?」
「はい、一応は」
完全に飲み込めたわけじゃないけど、ここまで丁寧に説明されては反論のしようがない。剣術とは違って、魔法にはちょっぴり興味があったんだけどな。
「ハッハッハ! そう落ち込むなロロくん。人には生まれつき向き不向きというものがある。キミには人智を超えるような素晴らしい才能があるのだ。それを世のため人のために活かすというのも、存外悪くないぞ。私のようにな」
「はぁ……」
アレーニスさんは、ポンポンと頭を叩きながら慰めてくれた。
けどその言葉は、オレの欲しかった言葉ではなかった。
向いているとか向いていないとかじゃないんだ。たとえ絶望的に向いていなかったとしても、オレには諦められない夢がある。
そういう理由で、オレの魔術訓練は無くなった。時間の無駄だと判断されたのだ。
代わりに剣術の訓練時間が増やされる、なんて悲劇が起こらなかったのがせめてもの救いだった。