第11話 兆し
シュルトの怒声が訓練場にこだまし、その場にいた全員の視線があいつに注がれた。
最初、その怒声は自分には無関係なものだと思っていた。ここ数日は身体強化の特訓をサボっていたので、遠くの会話までは拾えなかった。だから、あいつが怒った経緯は知らなかったのだ。
シュルトはプライドが高い。何か礼に欠けたことをされれば相手が誰であろうとしっかり怒るタイプだ。大方、騎士の誰かがうっかり逆鱗にでも触れたのだろうと踏んでいた。
異変を察した上級騎士全員が急いでシュルトの元へ向かい、中級騎士との間に入って何事かを話すのをボーっと眺めていた。相変わらず内容はわからないけど、中級騎士はただただ困惑していて、上級騎士たちがやけに怒っているシュルトを宥めているように見えた。
やがて話が済んだのか、上級騎士が中級騎士を連れて訓練場を去っていった。どうやら、あいつの訓練も今日のところは切り上げになったらしい。
いつもなら見向きもしない光景を、オレは何もせずに突っ立って眺めていた。
「あ」
何も考えずに眺めていたせいで、遠くに立つシュルトと目が合った。
ヤバい。とてつもなくバツが悪い。
向こうもそう思ったのか、表情が固まっている。
何食わぬ顔で目を逸らしてしまおう。お互いにとってそれが一番良い。
オレがそう判断して行動に移そうとする寸前で、シュルトの顔が何か意を決したものに変わった。
え? 何?
戸惑っている間にも、奴はずんずんと近付いてくる。訓練場はそこそこ広いとはいえ、無限に広いわけではない。
シュルトはすぐにオレの目の前までやってきた。
「な、なんだよ」
何はともあれ先手を打つ。すると、奴はごにょごにょと何かを言い淀んでいた。
珍しいこともあるものだ。乙女の如く手をいじいじとする様は、申し訳ないけど普通に気持ち悪かった。でも、おかげで幾分か冷静さを取り戻せた。
「わざわざ来たってことは、何か用があるんだろ?」
「あ、あぁ。その、なんだ」
ゴホンとわざとらしい咳払いをして、シュルトは切り出した。
「きょ、今日は食堂に行かないのか?」
「……お前には関係ないだろ」
気味が悪いくらいに優しい声色だった。だけど、丁度触れてほしくない話題だったから、ついキツい言葉で返してしまった。
「それはそうだが、最高の料理人になるんじゃなかったのか?」
どの口が……!
瞬間、オレはこらえきれなくなった。
「だから、お前には関係ないだろっ!」
静かな訓練場に、オレの絶叫が響いた。
最大限に拒絶したつもりだった。が、無様に失敗した。オレの声はみっともないくらいに震えていて、視界は涙でぼやけていた。
それでも、シュルトが息を呑んだのは察せられた。
「…………」
短い沈黙があって、
「少し待ってろ」
奴はそう言ってどこかへ向かった。
涙を拭って視線で背中を追うと、シュルトが倉庫に向かっているのが見えた。あそこには下級騎士なんかが訓練に使う道具が色々と置いてあると前に聞いた。
あいつは何をしているのだろうか。
呆気に取られながらも待っていると、シュルトは一体の古びた打ち込み人形を抱えて出てきた。打ち込み人形というのは、文字通り木剣を打ち込むための木偶人形だ。何度も何度も無心で打ち込み続けることで、下級騎士たちは正しい剣の振り方というのを学ぶらしい。
「よっと」
運んできた打ち込み人形をドカッとオレの前に降ろして、シュルトは腰に差していた短刀をオレの足元に投げた。
打ち込み人形には、茶色く汚れ切った布が張り付いていた。巻いてある箇所から推察するに、人間の弱点を示すものだろう。歴代騎士たちの汗やら何やらが染みついているのか、鼻が曲がりそうな匂いがする。
「え、何?」
「この人形に一切傷を付けることなく、張り付いた布を切り裂くことができるか?」
「質問に質問で返すな」
「できるのか、できないのか?」
試すような物言いに、段々と腹が立ってきた。
なんなんだ、突然絡んできて。
「そんなことして何になるんだよ」
「それは……ともかく! ボクはできるのかって聞いているんだ。お前こそ質問に質問で返すな」
怒りが徐々に膨れ上がり、爆発する直前。
「はぁ、わかったよ。やればいいんだろ?」
怒りは空気が抜けるように萎んでいった。今のオレには怒る気力すらない。何がしたいのかはさっぱりだけど、それでシュルトが満足してどこかへ行ってくれるならお安い御用だ。
足元の短刀を拾う。包丁くらいのサイズだ。手に吸い付くように馴染むのに、まったく嬉しくない。
「ほら」
一瞬だけ身体強化を行い、布が巻かれていた箇所すべてに刃を通す。布はガチガチに張り付いていたため、薄皮を剥くような繊細なコントロールが求められた。短刀は初めて扱ったけど、それでも余裕だった。本当に憎たらしい才能だ。
「これで満足だろ」
短刀を手渡すと、シュルトは「あ、ああ」とぎこちなく受け取った。
短く溜息を吐いてその場を去ろうとするが、
「…………」
まだ何か言いたそうにしているシュルトのせいで足が止まった。
「あのさ、言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
すると、
「──もできるんじゃないのか?」
シュルトはもごもごと何事かを呟いた。
「え? 何だって?」
「だ、だから、皮むきもできるんじゃないのかと言っているんだ!」
「……はぁ?」
こいつは何を言っているんだ。
そう顔に書いてあるのが読めたのだろう。
「打ち込み人形に硬く張り付いた布一枚をこれほどまで見事に剥けるのなら、同じ様に、野菜の皮も綺麗に剥けるのではないのか?」
シュルトは顔を赤くしながら、ぼそぼそと呟いた。「いや、もしかするとボクの見当違いかもしれない。だが」と付け足して、いつもの満ち溢れた自信など欠片もなく。
「……あのなぁ」
それとこれとはまったく関係が無いだろ。
溜息交じりに返そうとした正にその時だった。
本当にそうか?
…………!
とんちんかんな勘違いだったかもしれない。単なる思い込みだったのかもしれない。それでも、その時は確かに何かが掴めた気がした。
「行ってくる!」
気が付けば走り出していた。あれだけ重かった足は、羽のように軽くなっていた。
オレは不器用に励ましてくれたシュルトにお礼を言うことすら忘れて、食堂に向かって駆け出していた。というより、この時の愚かなオレは、励まされていたことすら理解できていなかった。
「え? あ、あぁ。そうか」
空気が抜けたみたいなシュルトの声が、背後から微かに聞こえてきた。
────
「ペトラさん!」
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
ドタドタと厨房に駆け込んできたオレを見て、ペトラさんは目を丸くしていた。どころか、ジーナさんもポーナさんも、エルルさんも驚いていた。
「もう一回だけ、皮むきをさせてほしいんです!」
「わかった。でもその前に、ちゃんと手を洗いな」
ペトラさんは何も聞かずに、快諾してくれた。
「はい!」
急いでバシャバシャと手を洗う。久しぶりにワクワクしていた。そんなオレを見て、四人は狐につままれたような顔をしていた。
「ほら、やってみな」
ペトラさんから渡されたジャガイモを手に取り、包丁を握る。
心臓はこれ以上なく早鐘を打っていたけど、不思議と、失敗する気はしなかった。
訓練場での感覚を思い出しながら、迷いなく包丁を振るう。
「……嘘」
そう呟いたのは、ポーナさんだった。
シュルリと薄皮が剥け、ジャガイモの綺麗な肌が露わになる。
「──できた」
呟いた途端、じわじわとこみ上げてくるものがあった。
ポンと、ペトラさんの手が頭に置かれた。
「完璧だよ。ロロちゃん」
重たい鍋や食材を運び続けて節々がゴツゴツになっていて、それでいて繊細な包丁さばきを可能にする柔らかな手だった。そんな手が、オレの頭を撫でてくれた。
こみ上げてきたものは、自然と流れ落ちていた。
一日に二度も泣くなんて、生まれて初めてだった。
「よくやったね。頑張ったね」
上手に皮むきができた。言葉にすれば、本当になんてことないことだ。むしろ、料理人を目指すならできて当たり前のことだ。
だけど、厨房にいた四人全員が優しく、温かく、心の底から惜しみなく褒めてくれた。
実に、五カ月ぶりのことだった。
ひとしきり泣いたあとに、ペトラさんが尋ねてきた。
「それにしてもロロちゃん、どうして急にできるようになったんだい?」
「それは──」
オレは訓練場での出来事をポツポツと語った。このタイミングで、オレは大恩あるシュルトにお礼の一つもしていないことに気付いた。
「これまで辛抱強く教えてくれて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
「もちろんさ。またビシバシいくから覚悟するんだよ」
「はい!」
元気よく笑顔で応えると、
「……ロロちゃんは、おばちゃんたちのことが好きかい?」
唐突に、ペトラさんが尋ねてきた。
「そりゃあもう」
腕の立つ料理人というだけでも好印象なのだ。その上これだけお世話になっている人たちが嫌いなわけがない。当然だ。
「じゃあ、騎士様たちのことが嫌いかい?」
「それは……」
間髪入れずに問われたオレは、思わず口籠ってしまった。ペトラさんの眉が八の字になる。
「ロロちゃんに何があったのかは知らないし、深くは聞かないよ。けどね? おばちゃんたちが料理人である前に一人の人間であるように、騎士様たちも騎士である前に一人の人間なんだってことは、頭の片隅で憶えておいてくれるかい?」
「えっと、はい。わかりました」
とりあえず頷いたものの、この時のオレはまだ、ペトラさんの言葉の真意を理解できていなかった。




