第10話 ロロ シュルト視点
ロロの第一印象は、「腹の底からムカつく奴」だった。いや、正確には第一印象は「気持ちの良い奴」だったが、それはすぐに変わった。
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ボクの生まれた都市は王国から馬車で十日近く北に離れたところにある、王国でも有数の大都市だ。
家名であるバーデングルクがそのまま都市の名前になっているのは、類稀なる魔法の才を認められた先祖がこの領地を王家から与えられ、代々統治しているためだ。
そんな誇り高い貴族の嫡男として生まれたボクは、幼い頃から厳しく育て上げられた。
「シュルトよ、お前もいずれこの地を守る『盾』となるのだ」
「シュルト、いついかなる時もバーデングルク家の教えに従い、清く正しくあるのよ」
父上と母上は、いつもそう言ってボクに道を示した。その教えに従い、常に己を律して振舞ってきた。
バーデングルク領は王国の北端にある。領土より北は不毛の大地で、人族が住めるような土地ではない。故に、自然と多くの魔物が集まる。『五大魔族』の一人である『寵愛』のペーリアットが根城を建てているのも、魔物の増加に拍車をかけているらしい。
東側で隣接する北方諸国への政治的・武力的対応だけでなく、食糧を求めて襲い来る飢えた魔物たちから領民を守護するのがバーデングルク家のお役目だ。
だからボクは物心ついたときより己を鍛え、家名に恥じぬ男になろうと研鑽を重ねてきた。礼儀作法に教養、そして何よりも、領民を守るための魔法の鍛錬だ。
「鑑定式が楽しみですな」
魔法指南をしてくれたアッティオール師匠が仰っていた。ボクには魔法の才があると。しかし、本音を言えばそれはどうでも良かった。才能がなければ、その分人よりも努力すれば良いだけの話だ。それが”実力に見合った振舞い”というものである。
「ほっほっほ。頼もしい限りですな」
師匠は長く伸びた白い髭をさすりながら目を細め、ボクを褒めた。
だがこの時のボクは、才能の壁という「どうにもならない残酷さ」をまったく知らなかっただけなのだと後に知る。
魔法の腕はメキメキと上達した。八歳になる頃には、下級の騎士ですら突進の一撃で死に至らしめるビッグボアを難なく仕留められるほどになっていた。
この頃のボクは、魔法の鍛錬が楽しくて仕方なかった。そんなボクを後押しするように、妹のメリポーサが生まれた。
母上に似た巻き毛の金髪に、父上と同じ茶色の瞳。新雪の如き柔肌をつつけば、得も言われぬ多幸感が身を包んだ。
断言しよう。ボクの妹は、世界一可愛い。
「だ、あ!」
言葉にならない言葉を発して小さな小さな両手を伸ばす妹。
その手がボクの人差し指をギュッと握ったとき、ボクは決意した。
父上と母上だけでなく、メリポーサの誇れる兄になろうと。
迎えた十三歳の誕生日。何の気負いも無しに迎えた鑑定式で、外の陽光に負けず劣らずの光を鑑定石が放った。深い紅色の光を目にした時、すぐにそれが魔術師の才だと確信した。父上より予め聞いていたからだ。
老齢の神父は静かに頷き、落ち着き払った声でこう言った。
「魔術師の適正アリ。等級は『傑物』。流石にございます」
特段嬉しいとは思わなかったが、珍しく満足気な父上の顔を見て、ほんの少し誇らしかったことだけは覚えている。
鑑定式を受けた日の夜、屋敷では盛大な晩餐会が開かれた。
「流石はバーデングルク家のご子息殿。これで次代も安泰ですな!」
「十万人に一人と言われる『傑物』の才。私もかの才が放つ石の光を目撃したかったものです」
「いやはや、将来が楽しみですなぁ!」
顔を赤くした大人たちのおべっかを聞き流して、ボクは静かに決意の炎を滾らせた。
王国におよそ百年ぶりに誕生した『天賦』の才を持つ剣士と、王国に七人しかいなかった『国宝』の才を生まれ持った僧侶。
彼の者らと共に魔王を征伐し、王国に真の安寧をもたらす。そうして一族の繁栄をより盤石のものとし、メリポーサからの尊敬を一身に受けてみせる。
父上と母上は「それでこそバーデングルク家の子だ」と頭を撫でてくれた。
領民たちに見送られたあの日。王都に向かう馬車に揺られるボクの胸には、既に輝かしい未来が見えていた。
そして、ロロに出会った。
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城内の談話室で初めてロロを目にした時、暴力的なまでの存在感に鳥肌が立ったのを覚えている。
温かな魔力を放つニコとは対照的に、奴は部屋中の魔素をその身に宿さんとしていた。幼少期より領土で数え切れぬ程の騎士を見てきたが、ただの一度も目にしたことのない光景だった。
こいつは神に愛されている。
嵐の如く渦を巻く魔力を知覚しながら、疑いようもなく確信した。
気圧されていることを悟られぬように話してみると、意外にも、ロロは中々どうして気持ちの良い奴だった。
貴族のボクに物怖じするでもなく、へつらうでもなく、ごく自然に接してくれた。対等な友人というのは産まれてこの方初めてだったので、ボクは柄にもなく心が躍っていた。
だが、夢のような時間はたったの一週間で終わった。
『最高の料理人になって、母さんの王都食堂を継ぐこと!』
ボクの問いに対し、奴は一切の躊躇なく言い放った。
質の悪い冗句だと思った。というより、そうであってほしいと願った。
しかし、そうではなかった。
『お前ほど恵まれた人間は王国に十人しか生まれていない。そうだな?』
『うん。だから?』
悪びれることなく、ロロは答えた。
腹が立った。力ある者がそれをおざなりにして、己が責務を放棄しようとしていることに。
……いや。実際は、己よりも遥かに恵まれた人間が、惜しげもなくその才を投げ捨てんとしている事実への嫉妬も僅かばかりあった。
そんな醜い感情を、抑えきれなかったのだろう。
奴の語った夢を、ボクはままごとだと切り捨ててしまった。決して腹の底から出た言葉ではない。どちらかと言えば、口をついて出てしまったものだった。
直後、身の毛もよだつような寒気がボクを襲った。
ロロの声は底冷えしそうなまでに怒気を孕んでいたが、ボクのつまらないプライドが、そこで引くことを許さなかった。
そうして、奴との決闘が始まった。
負けるとは毛ほども思ってなかった。
騎士たちの話によれば、ロロは一日四時間ちょっとしか訓練に励んでおらず、更に訓練に臨む態度も真剣には程遠いものだと聞いていた。
対してボクは、五歳の頃より魔法の鍛錬を欠かしていない。しかも奴に及ばないながらも、十万人に一人と言われる才能も持ち併せていた。
倍どころではない努力を費やしている。完全に上回っているつもりでいた。
故に、小手調べのつもりで得意の《炎槍》を六本お見舞いしてやった。軌道も可能な限り複雑にした。
一撃は当たるだろう。酷い火傷にならぬよう手加減もしてやった。
ボクの甘い考えは、一瞬にして打ち砕かれた。
「っ!?」
ロロは事もなげに魔法を木剣で打ち落とした。ただの木剣で、だ。魔力を纏わせていることは一目見てわかっていたが、それでも易々とできる芸当ではない。
すぐに気持ちを改めた。侮っていては負ける。瞬時にありったけの《土壁》を生成し、身を隠した。
運良く一撃を与えられた。奴の魔力感知がまとも機能していなかったためだ。
ここから息を吐く間も与えず、一気に決める。ボクはありったけの魔力を練り上げた。
限界まで魔力を練り上げ、合計十五本もの魔法の槍を生成した。脳が破裂する寸前まで回転させ、複雑怪奇に軌道を操作した。最初の《炎槍》とは質も量も違う。
手加減のことなどとっくに失念していた。それほどまでに追い詰められていた。
そのあとの光景は、生涯忘れられないだろう。
大気中の魔素が、一点に凝縮されるような錯覚を覚えた。そして、すべてを破壊しながらロロが突っ込んできた。
太刀筋なぞ一辺たりとも目で追えなかった。ただ、渾身の魔法があっけなく消し飛ばされたという事実だけが視認できた。
「はぁ!?」
間抜けな叫び声を漏らしたボクは、それでも諦めなかった。剣士に近付かれてはいけない。それだけを考えて、堅牢な《土壁》で身を守った。
そこで安心するわけもなく、奥の手として岩魔法で剣を生成した。残されていた魔力をほとんどすべて練り込んだ。そこいらの真剣とも易々と打ち合えるであろう岩の剣は、ずっしりと重かった。
まさか魔法使いが剣術を扱えるとは思うまい。当たり所が良ければ気絶させられる。
暗闇の中で長い長い一瞬を過ごした。
奴が近付いてきたのを察して、土壁から《土槍》を生やす。あんなバケモノに同じ手が二度も通じるなどとは思っていなかった。が、できることはすべてやっておかないと気がどうにかなりそうだったのだ。
案の定あっさりと槍は砕かれ、堅牢な土壁はこじ開けられた。
光が差し込み、奴の顔が見えた。
──何の感情も表情も無い、冷たい目をしていた。
「うおおおお!」
血が沸騰し、柄にもなく大声を上げて斬りかかった。ロロにとっては予想だにしない反撃だったハズだ。
なのに、奴は顔色ひとつ変えずに、ありったけの魔力を込めて生成した剣をへし折った。
パキンという音と一緒に、ボクがこれまで積み上げてきた誇り諸共。
アレーニス殿が止めてくれなければ、きっとただでは済まなかっただろう。
何もかもが悔しかった。その日生まれて初めて、目が赤く腫れるまで泣いた。部屋で一人、声を押し殺して泣いた。
翌日から、剣術訓練にも参加させてもらうようになった。
たった一度の敗北で屈するような柔な男ではない。そんな風には育てられていない。
このボクを負かした男を横目に見ながら、絶対にあいつを超えてやるのだと訓練に励んだ。
ところが魔術師や騎士たちと関わるようになって、ロロに対する考えが少しずつ変わっていった。
奴は王城に招かれてから、毎日料理の練習に心血を注いでいると耳にした。結果こそ伴わないものの、剣術の訓練とは比べものにならぬほど真面目に取り組んでいるらしい。
騎士たちはバカにする風に言っていたが、ボクは何とも言えない気分になった。この複雑な気持ちの正体が掴めるようになったのは、ニコのおかげだった。
アレーニス殿の計らいで開かれる懇親会という名の近況報告の場で、彼女と多くの言葉を交わした。
ニコは努力家で、実に謙虚だった。
『国宝』という才能に胡坐をかかず、日夜勤勉に鍛錬と学習に励んでいた。同い年でここまで努力できる者と初めて出会ったボクは、徐々に彼女に惹かれていった。
ニコはどうにも謙遜が行き過ぎている節があり、それがどうしても気になっていた。だから彼女と出会ってから二カ月が経ったある日、ボクはその理由を聞き出すことにした。
出過ぎたマネだとは思ったが、彼女は己の内面に深く関わる事柄を包み隠さずに話してくれた。
ニコの言い分をまとめると、
「自分は分不相応な才能を授かれたから頑張っているだけで、他の人よりも向いているから努力しているだけで、二人みたいに明確な目標があって頑張っているわけではない。なので、褒められる資格は無い」
といった具合だった。
てっきり彼女はボクと同じく「志と適性が偶然一致していたタイプ」だと思い込んでいたので多少驚かされたが、それは些末な違いだと感じた。
だから。
「そう自分を卑下せずともよい。どれだけ優れた才能があろうと、努力無しに結果は得られない。今のニコに向けられた周囲の評価は、疑う余地なく、キミの努力の賜物だ。誇って良いことだ。それに、才能の有無に関わらず、努力し続けるというのは誰にでもできることではない」
と熱弁した。頬が紅潮するのを感じたが、まくし立てるように褒めちぎった。もっと色々言った気もするが、あまり覚えていない。
ニコは目を丸くして驚いたあと、涙を滲ませて笑った。目に焼き付くほど美しかった。
涙を拭った彼女は「ありがとう」と可憐に礼をして、
「じゃあ、ロロくんのことも認めてあげなきゃね」
そう言った。
どうしてここであの男が出てくるのだと思ったが、すぐに思い直した。以前聞いたことがある。
『天賦』の才を持つ者は、自分に適した事柄においては正しく天与の力を発揮する。が、逆に、他の事柄においては如何なる凡夫にも劣る結果しか残せない、と。
ボクには魔術師の才がある。等級にして上から三番目の才だ。
魔術を習えば他の者よりも圧倒的な速度で熟達していったが、剣術を習えば他の者の何倍も努力せねば同じ結果は出せなかった。
故に、剣術の訓練があまり好きではなかった。それで手を抜くことだけは絶対になかったものの、ハッキリと好きではなかった。どちらかと言えば苦痛だった。
そこでふと、恐ろしくなった。
どれだけ頑張っても報われない可能性があるとき、果たしてボクは、どこまで空虚な努力を続けられるだろうかと。
少なくとも、ロロは半年近く続けている。奴のいっそ恐ろしいまでの努力を、執念を、誰が否定できようか。
理由は不明だが、奴は常に身体強化を行っている。見ればわかる。
ということは、五感すべてが強化されているハズだ。ならば、城内での己の聞くに堪えない悪評なぞ、耳を塞いでいても入ってくるだろう。
その評価に耳を貸さず、ひた向きに邁進する姿は、間違いなく気高いものだ。
奴の振舞いは、バーデングルク家の教えには真っ向から反している。故に心から応援するにはまだ時間がかかる。それでも、今の態度は恥じるべきだった。即刻改めるべきだった。
「そうだな。ニコの言う通りだ」
ボクは、力強く頷いた。
翌日の訓練の時間。ボクはわかりやすく緊張していた。生まれてこの方喧嘩などしたことがなかったのだ。自動的に、仲直りもしたことがない。
そういうわけで、訓練前の声をかけるタイミングを逃してしまった。
訓練中、どうにも気になって横目でチラチラとロロの様子を窺い、愕然とした。目を疑うほどに覇気が無い。
ボクの自信と誇りを一撃で砕いたあの時の姿は、見る影も無かった。
そこで初めて、ロロがどれだけ追い詰められていたのかを知ったのだ。
胸が張り裂けそうになった。
少しして、上級騎士たちが訓練を中止した。やはり、あの様子は尋常ではなかったらしい。
暗闇の中を歩くような足取りでロロが歩き出すのを見て、側にいた中級騎士のバーゲスが口を開いた。
「お? 剣士様は随分と早いお帰りのようだな。まったく、また無駄な努力でもするおつもりなのかねぇ」
ボクの中の何かが、音を立てて切れた。
「恥を知れ!」
少し前までの自分のことなど棚に上げて、ボクは大声で叫んでいた。




