お嬢様は密かに伝える
ヘレネの屋敷にアリィシアはやってこなかった。リデアはすっかり手懐けたアリィシアだが、ヘレネとは親しんでない。病気療養に好ましくない顔があるのはよろしくないだろうという理由だった。
つまり煽るだけ煽ってエリーゼに丸投げたわけである。
まあ、確かにヘレネはアリィシアに軟化していないので、リデアとの仲直りの場にいても、むしろ邪魔なだけというのはその通りだろう。
エリーゼにとっても、もしかしたらこの間の話になるのかもしれないから、不確定要因は排除した方が良いに決まっているのだ。
とはいえ、なんだかハメられた感はあるので、今度、ちくちくと嫌味を言おうとは思う。
「ごめんねリデア。私……あの人はいなくなるし、身体の調子は悪くなるしで、少しイライラしていたの。言い過ぎたと思っているわ……」
「そんな! いいのよヘレネ。私だってあんなことくらいでヘソを曲げたりして! 大人気なかったと思ってるわ。その……あなたが具合が悪いなんてちっとも気づかなくて、ごめん」
「……いいのよ」
ヘレネとリデアの仲直りは拍子抜けなほどにすぐに終わった。
エリーゼとリデアがヘレネと顔を合わせてすぐ、時効の挨拶もそこそこにヘレネがリデアに謝ったのだ。
あっさりと目的が終わってしまい、すぐに噂話に花を咲かせ始めた2人の横で、エリーゼは所在なげにヘレネの部屋を見回した。
屋内の雰囲気は落ち着いていて、一見して華美ではないように見えるが、さりげなく置かれた家具や小物は、趣味がよく高価なものばかりだ。
庭もよく手入れがされており、ランサイスで流行っているという、迷路のように凝った幾何学模様が庭木の剪定で作られていた。
最低限の広さと格式が保たれていればまあいいや、というエリーゼの屋敷とは、根本から考え方が違う、他者を迎え入れ、示威することを考えられた家だ。
「それにしてもこんな時期に病気だなんて。ご両親には知らせたの?」
「……実家の指示で、ここにいるのよ。その……学園での療養にも限界があるからって」
「! そんなに具合が悪いの?!」
「ち、違うわ。その……うまく情報が伝わっていなかったみたいで、妙に心配されてしまったのよ。別に……そんなにひどくはないのに」
いつも冷たいほどにはっきりさっぱりと発言するヘレネには珍しく、もごもごと歯切れの悪い言葉だ。
それはそうだろう。恋人に会おうとして連れ戻されたーーなど、はっきりとは言えない。
「そうね。あの人もランサイスに行ってしまったのでしょう……。気落ちするわよね」
リデアは気づかわしげに、しかし気にもせずにその話題に触れた。
エリーゼはぎょっとした顔をしないよう、無表情を装った。ヘレネは下を向いたまま、表情がわからない。
エリーゼはちらりと部屋の隅を見る。
そこにはお仕着せを着た若い女の使用人がひっそりと控えている。
あの使用人が誰であろうが、一つだけ確かなのは、この部屋での話はすへて、ヘレネの家の“然るべき人”に報告されるだろうということだ。
エリーゼにとってのカティナたちと同じく、たとえ自分に仕えているかたちの使用人であっても、雇い人は親、もしくは王都での責任者の方だ。
屋敷に連れ帰られたということは、ヘレネの逃亡劇はバレており、始終監視されていると思った方がいいだろう。
「とにかく、早く戻って来てね。あなたがいないと寂しいわ。あなただってここで一人だなんて、余計に病気がひどくなっちゃうわ。そうじゃない? 」
にこり、とリデアは笑った。
「そうね。……寂しいわ」
最後の一言は、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だった。
ヘレネの屋敷は、エリーゼが住んでいるのと同じ、王都での活動用の拠点であり、当然ながら領主であるヘレネの家族は住んでいない。
領地を持つ貴族、特に要所を有する領主は、当然ながら王都には住まず、領地に住む。
例外は、王家に仕えて国政を行う貴族だ。
例えば、先日、王女の事件で散々な目に合わされたリット伯は、北方に広大な土地を持つ領主であるが、国政も担うので、王都にいる。
その場合には、領地を治める家族との分担である。基本的に、領地経営は一族分担だ。
国政と領地経営、どちらに軸足を置くかは、その家によるし、人材にもよる。
エリーゼの実家は、あえて国政に関わらないスタンスをとっているので、一族の中で、国政に関わっている人はいない。
叔父のルイスも、位置付けとしては外交という情報収集係である。
……学園に通うエリーゼもまた、外交担当でもあるのだが。まあ今まであまり役に立った覚えはない。
「あなただって、ここで一人だと寂しいでしょう。私だってそんなに遊びには来てあげられないし、学園祭までにはちゃんと治しなさいよ!」
「まあ、そうね。それまでには……戻るわ」
「そうよ! リューネ姫も心配していたわ。学園祭までには戻ってきてほしいとおっしゃっていたし」
リデアはどこまで知っているのか。リューネ姫の言葉をあっけらかんと伝えた。
部屋の隅の使用人がさりげなくリデアに視線を移すのを横目に見る。
今回の事柄をすべて知っているリューネ姫の言葉だ。
ほぼ、命令に近いし、ベッケンブルクとて、おろそかにはできないだろう。
ヘレネのベッケンブルク家は、ヘレネの父の弟と、妹婿が国政の要職についている。もともとは王弟というより、亡くなった前皇太子と親しく、そのまま親ランサイス派として、王弟派にスライドしたのだ。
大領主にして国政の重鎮。自派閥の要であり国の守りの要であるベッケンブルク。王女もおいそれと手を出せない相手ではある。
しかし、それでも彼らはただの領主。王家の威光に逆らうほどの力はない。
だからーー
エリーゼは、にこにこと無邪気に笑うリデアを見た。
アリィシアの言に乗った時には知らないまでも、後からリューネ姫から何か事情を聞いているのだろう。
おそらく、何か勘づいているだろうリデアは、はっきりと物を言わない。仲直りが済んだら、たわいもない噂話と、ロマンス小説の話ばかり始めた。
「最近では、やっぱり『セリッツアの恋人たち』よね。ムートの故郷に彼の恋人がいるのでは? という展開で、アリエスが結ばれるのが、ムートなのかレントなのかわからなくなってきたわ。でもあの恋人騒ぎはきっと罠だと思うのよね。トルネアが何か企んでたもの、きっとそれに巻き込まれてるんだわ」
さすがにヘレネはあまり気が乗らないらしい。言葉少なに相槌を打つ。
リデアが焦れたように、がしりとヘレネの両腕を掴み、その顔を覗き込む。
「ヘレネ。いい? 私は思うのだけど、アリエスもそうだけど、物語の女主人公は、ハッピーエンドになるものよ」
急に、リデアが力強く言って、ねえ、エリーゼさんと声をかける。
「……それが、どうしたの?」
「ちゃんと聞いてほしいのよ。ねえ、エリーゼさん」
リデアが、何かを言いたげにエリーゼを見る。
どうやら、ただ、ロマンス小説の話題をしていたわけではないようだ。
その話題に乗せて何かを伝えようとしている。ーーリューネ姫に伝えられた、何かーー。
ならば、エリーゼが伝えるべきことは……。
「姫は、ロマンス小説が好きでいらっしゃいますから。ヘレネさんも、お戻りになったら、いくつか勧められますわよ」
「あら、エリーゼさんもそうなの?」
「はい」
乗ってきたリデアに、エリーゼはにこりと笑いかけた。
どうやら、言わなければならないらしい。
いや、元から、これを言いに来たのだから、これでよかったのだが。
「姫は、読むだけでなくて、今度、離れ離れになった恋人が再会するシナリオを書いてみたいと仰っていました。ヘレネさんにも是非お見せしたいとか」
ヘレネが顔を上げて、エリーゼを見た。
何か合図を……せめて頷きたかったが、使用人がじっと3人を見ている。うかつなことはできない。
「まあ、姫が物語をお書きになるの?」
「ええ、学園祭のシナリオで建国神話……というかそれを基にした恋物語を書いてみて、ご自分でお話を作ってみるのもよいのでは? とお勧めしてみたのです。絶対に私に読ませると仰ってましたので、きっとヘレネさんにもお声がかかるのだと思ったのですわ」
ヘレネは泣きそうな顔で笑った。
「きっと、姫のご期待に応えますわ」
「……ええ、お待ちしております。早く戻って来てくださいね」
通じたのだろうか。とにかく、エリーゼは笑顔を崩さないまま言い切った。
心臓がまだ、バクバクしている。使用人に気づかれなければいいのだがと、それだけを願っていた。




