お嬢様は気づいてしまう
「ディール、あの……こっちの方向って……」
「アリィシアは王子の宿舎の一室で静養している」
フェリクス王子は、リューネ姫が女性寮の離れを改築して宿舎としているように、貴賓室である男子寮の離れを改築して宿舎としている。
そもそも男子寮に足を踏み入れる機会など、ほとんど女子生徒にはない。女子でも男子寮の『客室』には入れるので、兄弟や親戚、婚約者がいる女子生徒ならともかく、そもそも男子学生に親しい相手がいないエリーゼにとっては、普段は行く必要などない場所だったからだ。
何度かクラス長の任務で訪れたことがあるが、それだけだ。
「そんなところにアポイントもとらず行っていいのかしら……」
「まあ、そこらへんは蛇の道は蛇、というか」
「……もしかして、正面から行くわけではないとか、そういうことかしら」
「まあ行けばわかる」
やっぱりそうか、とエリーゼは、アリィシアと共に城壁の隠し扉から出入りしたことを思い出す。
いろんなところに、王子の部下である彼らだけが使える出入り口というのがあるのだろう。
「でも、どうしてわざわざ王子の離れなんかに?」
バレたら醜聞どころではない。事情がどうあれ、女生徒を部屋に引き込み、一晩泊まらせているのだ。アリィシアの醜聞であり、王子にとっての醜聞でもある。
「今、アリィシアは生命力自体が落ちているからな。自分の部屋に一人で戻すには少し容態が不安だ。そうなると看病する人間が必要になるんだが、目立つだろう。表だって人を手配すれば、事情がバレかねない」
「それは、怪我の……ということ?」
「……それだけならいいが、魅了の力の使いすぎが根底にあるからな。今のアリィシアは弱ってるから、魅了の力を制限させるにも魔力を使うから、余計に容態を悪化させかねない。寮の人間が病気になった場合、まずは医療棟に知らせることになってるが、医療棟の事情を知らない人間をつけるのは危険だ。かといって他から人をつれてくると、不自然だ」
「……なるほど」
アリィシアの状態は、どうやらかなり特殊らしい。
「そういうわけで、寮には実家から呼ばれて帰っているとして、離れの屋敷で隔離しているってわけだ。まあ、明日には帰れるだろう」
「それならよかったわ」
そのまま、二人とも会話を終え、なんとなく気配を消してあたりを憚りながら歩く。
沈黙が続く。
ふと、自分が自然とアリィシアを案じていることに気づいたエリーゼはこっそり苦笑した。
少し前までの自分なら、アリィシアなどどうでもいいと、本気でそう思っていただろう。誰かと心理的な距離が近づくことを、無意識のうちに拒否していたのだ。
この学園での生活は仮初めのもの。いずれすべてを捨てて修道院に行くのだから。
でも、どうしてだろう。事情は全く変わっていないのに……。
ーーあなたが何を望んでいるのか知りたい。あなたのやりたいことは何だ?
ヴァイスの言葉が、脳裏に浮かぶ。別に、あんなうさんくさい子猫の言うことを本気にしたわけではない。
ただーー。そう、ただ、いずれ修道院に行くとしても、それまでの間、自由に生きて、やりたいことをしてはいけないわけではない、という気持ちが、少しだけでてきただけなのだろう。
自分の望むこと、自分のやりたいこと。
ーーでも、どうせ、かなうわけもない夢だよ
そう心の中で、ささやく声がある。
ーー大それたことじゃなくても、ささやかな衝動をかなえるくらいならできるんじゃない?
そう心の中で、ささやく声がある。
なんだか、エリーゼは、今はこの声の肩を持てる気がした。
そう、自分は何もできなかったわけではない。うさんくさい黒猫の導きあってではあるが……。
だって、アリィシアを助けたいと思って、助けることができた。
だって、リューネ姫を助けたいと思って、助けることができた。
ささやかな衝動を、思いを、願いを、かなえることができたではないかーー!
「お嬢様、こっちだ」
ディールにささやき声をかけられ、目的地についたことに気づく。声をかけられなければ通り過ぎてしまうところであった。
「これ、どう考えても、玄関とは逆方向の壁よね」
ディールは頷いて、壁に手を当てた。
「『其は土に伝える、ここにいるは忠実なるディールである』」
「……やっぱり隠し扉なの……」
ディールの呪文に合わせて、人気のない場所のただの壁に、勝手口が現れた。
アリィシアもそうだが、王子の部下ですらない自分に、ちょっとなんでも見せすぎではないか、信用しすぎではないかと呆れる。とともに、何かあった場合には口封じをされるのではないかという恐れも感じた。
正直、勝手に見せないでほしい。
二人とも黙って、廊下を歩く。エリーゼは屋敷の位置関係がわからないから、ディールにただついていくのみだ。
位置関係はわからないが、どうやらディールは屋敷の中でも外れの方に進んでいるらしいということはわかる。誰にも会わない。
そのうち、ディールは一つの扉の前で止まった。ここが、アリィシアのいる部屋なのだろう。
ディールは、右手でノックをしようとしたが、直前で止める。
人の声がしたのだ。
よく耳を澄ましてみると、どうやら王子の声のようだ。
王子が見舞いに訪れているのだろうか。中に入るのがためらわれて、ディールとエリーゼは顔を見合わせた。
応えているのであろうアリィシアの声は聞こえないが、会話しているのだろう。苛立ったような王子の声の調子など初めて聞く。
いけないと知りつつ、思わず聞き耳をたててしまうーー。
「だから! おまえが無茶をすることを、俺は望んではいないんだ! 何故わかってくれないんだ!」
突然、王子の激昂した声が響き、エリーゼはびくりとした。
怒っているのだろう。王子の言葉に、アリィシアが何か反論しているのが聞こえる。
「……ただ、おまえが危険に陥ることで、傷つく私のことも考えてほしいだけなんだ!」
はっきりと聞こえた言葉は、まるで切実な懇願のようにも思えた。
いつも、にこにこと笑い、穏やかで静かで捕らえ所のない、心の奥底を見せない、隙のない王子。リューネ姫と同じく、身分が違うから、その心を知る必要などないと思っていた相手。
その彼が、まるで心の内を吐露しているかのようなーー。
ディールが、エリーゼを見て、首を横に振った。エリーゼもこの雰囲気の中に割ってはいる気などない。
二人は無言のまま、その場を去ることにした。
◇◇◇
エリーゼは、自室で机の前に腰掛けて、本を開いていた。
しかし、まったく内容が頭に入ってこない。
そもそも、ここ最近は、いろんなことが起こりすぎて、情報量が多すぎるのだ。あまり起伏のない日々を過ごしてきたエリーゼにとっては、こういう状況は慣れていない。
どうしても、さっきのフェリクス王子とアリィシアの様子を思い出してしまう。あれは、ただの心配するという様子ではなく、まるで……。
エリーゼは頭を振った。
……聡明で冷静なフェリクス王子にも、そんな気の迷いもあるだろう。
アリィシアも分をわきまえている。
この国の行く末を考えるならば、ゆゆしき事柄かもしれないが、学園の中での恋なんて、そんなに大げさに考えることもないハシカみたいなものだ。
そもそも、結婚するのでなければ、愛人としてひっそりと愛を育むことが許されないわけでもないーー。
にゃおん。
最近、すっかりお馴染みな、子猫の鳴き声がした。
「ヴァイス」
いつのまにか、窓辺にしっぽを巻いて座り込んでいる黒猫に、もう慣れた様子でエリーゼは声をかけた。ヴァイスは、窓辺から絨毯の上に降り立った。
「何か餌はあるかな?」
「ないわ」
きっぱりと言い切るエリーゼに、ヴァイスはどこかしょぼくれた様子でぺたりと腹這いになった。
「何か準備してくれていてもいいのに」
「だってあなた、いつ来るのかわからないもの。それに前にも言ったでしょう? 寮の部屋に猫が食べられるような食べ物を常備しているご令嬢なんていないのよ。あなた、お菓子食べないでしょう」
「まあ、猫だからな」
ヴァイスの言葉に、エリーゼは溜飲を下げた。
まあ……もちろん猫の餌くらい用意できないわけではない。
しかし、なんとなく、この子猫には振り回されてばかりなので、部屋で歓待してやるものか、という意地があることは否定できないのであった。
「少し、表情が晴れやかになったみたいだな」
「ディールみたいなことを言うのね」
「彼がそんなことを言ったのか」
ーー今のお嬢様の方が……いいと思う
少し、顔が赤くなるのがわかる。誉められて照れるなんて、安い女みたいじゃないかと思うと恥ずかしい。
「最近、生意気になったのよね」
「昔は素直だったのか?」
「……いや、そうでもないわね。考えてみたら全然そんなことないわ」
ふと、『昔』という言葉にひっかかる。何故、ヴァイスがそんなことを知っているのかと思ったが、考えてみればディールとは昔からの付き合いであるということは、最近いろんな人に説明しているのであり、神出鬼没のヴァイスであれば、誰かへの説明を聞いたに違いないだろう、とエリーゼは自分ひとりで納得した。
「前に俺が言ったことを、考えてくれたみたいだな」
「……なんのことかしら」
ドキリ、とする。自分の望み、やりたいこと、それを考えてほしいとヴァイスに言われ、それがどうしても頭の片隅に残ってしまっていたのは事実だ。
はっきりと何かを掴んだわけではないが、少し吹っ切れたのも事実ーーとはいえ、それをヴァイスに真っ向から指摘されると、それはそれで認めたくないような気持ちになるというか。
「まあ、お嬢様が納得しているなら、俺は何も言わないさーーただ、そうだな」
ヴァイスは言葉を切ると、エリーゼを金色の瞳でまっすぐに見つめた。
「今後は、もっと、あなたの周りの人間にも少し興味を持ってほしい」
「それはどういう意味ーー?」
エリーゼがそう問うが、ヴァイスは何も応えずに、しなやかなジャンプで窓辺から去っていった。
「相変わらず、わけがわからない猫」
一人残されたエリーゼは、首を傾げた。
まあ、ヴァイスが思わせぶりなことを言い逃げるのは今回だけではないし、もしかしたらしばらくすればその意味がわかってくるかもしれない。
なんとなく腹の立つ話ではあるが、ヴァイスの行動にも慣れたなーーなどと思いながら、エリーゼは必要以上に、気にしないことにした。




