お嬢様は気づかないことにした
「『死神』ーー!!」
「その呼び方、やめていただきたいなあ」
軽い調子でリット伯の腕をひねりあげたあと、アルベルトはその腕を離した。今のうちにとエリーゼは咄嗟に何歩か退いて距離をとる。
リット伯は舌打ちをし、苛立たしげに床を蹴った。
「ふん」
それでも偉そうに鼻を鳴らすと、アルベルトを一睨みし、今度こそ扉へと歩を進めた。
「お待ちください。どうされる気です」
「気が削がれた。帰る」
「帰られては困ります」
アルベルトが言葉で制するが、その歩みを止めない。アルベルトも、手をかけてまで彼を止めようとする気はないようだった。
「何故だ?」
アルベルトの言葉に、リット伯は、振り向いて、にやりと笑った。
「わたしを止めるつもりか? 力づくでか? 何の権限があってか? 騎士風情が」
「この惨状を作り上げたご本人に言われたくないですね」
リット伯は、それでも強気に笑った。
「わたしに何かをしたいのであれば、後日、堂々と屋敷に来るがいい。法に則り、証拠を携えてな。その対価がどうなるかまで、考えてから来るがいい」
それだけを言い残すと、リット伯は、歩みを早めることなく、そして、内心はともかく、堂々と扉から出て行った。
「追いかけないんですか」
エリーゼの問いに、アルベルトは肩をすくめた。
「おそらくリット伯爵に、私たちからは罪は問えないだろうね……」
「何故ですか? 言ってみれば、ここにいる私たち全員が証人です。リューネ姫までこの場にはいらっしゃるのに」
「それが政治さ」
アルベルトは、自嘲じみた表情を浮かべた。
「それより、ディールくんたちを解放してやりたいんだが、これ、どうすればいいかわかる?」
「あっ! 申し訳ありません!」
ツェツェーリエの魔法により、この場にいる者たちは魔法で戒められている。
エリーゼは慌てて、まずディールに駆け寄った。そのまま、背中を撫でる振りをして能力でツェツェーリエの魔力を喰らい、魔法を解く。
「大丈夫? ディール、どうしたらいいかわかる?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとうお嬢様」
アルベルトの目の前で、あまり能力を使うのは得策ではない。ディールには、自力で魔法を解いたことにしてもらい、リューネ姫とリヒャルトの魔法はディールに解いてほしかった。
さすがはディールというべきか、その意図を察してくれたらしい。魔法の後遺症でまだ身体を動かしにくいような素振りを見せてはいたが、立ち上がる。
「リューネ姫とリヒャルト様については、俺にまかせておけ。外の騎士たちもな」
「わかったわ、ありがとう」
ディールは、懐から魔硝石の粉瓶を取り出し、リューネ姫に向かって撒きながら呪文を唱えた。リヒャルトにも同じようにする。
二人は、溺れかけた人が息を吹き返すようなぜいぜいとした呼吸をしながら、その場に突っ伏した。かなり体力を消耗しているようであり、何かを喋る余裕はなさそうだった。
「さっきの続きだけどね」
煙に巻かれたのかと思ったが、アルベルトは、他の人の治療を先行させただけであり、話は続けてくれるようだった。
「リット伯とルイーズ殿では、あまりに接点がないと思わないかい? 彼のような身分と権力がある人が、ランサイス貴族の出身とはいえ単なる王弟妃の侍女を害そうとしたとなれば、不審を招いて当然だ。王子派の重鎮である宰相の弟にして右腕が、王弟派の侍女を害そうとした……となれば、罰するに当たってその理由も探られる。『侍女』の素性、その理由などを明らかにせざるをえなくなるだろう」
「……それだと、結局は、彼らのやろうとしていた『疑惑の芽を蒔く』ことの後押しになる……ということですか」
「その通りなんだよね。もし、ターゲットをルイーズ殿ではなく、王弟殿下だとして捕らえた場合には、彼は王子のための陰謀だということを強調するだろう。その場合、自派閥のごたごたを押さえられなかったというのは、王子の失点となる。王子としては、自分で自分の首を絞めることになりかねない……ってわけさ」
「今は悔しくとも、手が届かない相手……ということですか」
「……今は、リューネ姫を守れたことだけで、良しとすべきだろうね」
「それは、ありがたい話ね」
ひどい疲労感に苛まれているのだろう。かすれた声でリューネ姫が言った。
さすがのアルベルトも、リューネ姫の前でさっきの言葉ではマズイと思ったらしい。言葉を補った。
「……いえ、本当はリット伯爵を排除すべきではあります。王子を支持すると公言している者の暴走を止められなかったのは、我々の不徳といたすところ。お力及ばず大変申し訳ございません、姫」
「いいのよ。お互いの立場など、わかっているわ。それより、何のために戻ってきたの、アルベルト。……ルイーズは、どうなったの?」
エリーゼは窓の外を見た。もう、空が白み始めてきている。朝まで、そんなに時間がないだろう。
ーールイーズの命は、今朝まで
アルベルトが口を開こうとしたのを、しかしリューネ姫は掌を動かして制した。
「わかっているわ。あなたがここに戻ってきてくれて、本当に助かったってこと。今回は、エリーゼの機転とディールの魔導具に助けられたけど、私たちだけでは難しかったでしょう……だから、ルイーズに何かあった後で、間に合わなかったとしても、私は何も言うつもりはないわ。あなたが、そしてその主であるおにいさまがこの件について、最大限に尽力してくれたことは、私が……よく知っているから……だから……」
「ルイーズ様の居場所はわかりました」
リューネ姫の言葉を遮って、凛とした声でアルベルトが断言した。
「……!」
リューネ姫は、思わず立ち上がり、そしてふらついた。
エリーゼは慌ててリューネ姫に駆け寄り、支える。
「屋敷から出てきたツェツェーリエ殿に聞いたところ、あっさりお答えくださいました。王子に魔導具で伝え、ここから私が行くよりは、砦の一つから数人、馬で駆けさせた方が早い位置だったので、既に行かせているとのことです。……朝までには間に合う距離かと」
はあっ、とリューネ姫が息を吐き出し、身体の力を抜いたのがわかった。身体が震え出す。その白い頬に、涙が後から後から伝っては落ちた。
「……」
リューネ姫は何かを言おうとして、口を開き、しかし言葉にならず、エリーゼに身体を預けたまま、佇んでいた。
いかなるときも感情を見せなかったリューネ姫の取り乱す姿に、エリーゼの中に疑問が生まれた。
ーーもしかして、あの話は……
いや、とエリーゼはその思いを打ち消した。
本当だろうと、そうでなかろうと、それを自分は知る立場には、ないのだから。




